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大学で軽音学部から逃げたオタク vs "ぼざろ"

 最近”ぼっち・ざ・ろっく!”を楽しみにしつつ、他の趣味をそこそこにベースへと没頭しています。
 この記事における表題のアニメの感想は側面で、ほぼオタクの自分語り告解が前面にあるので、そこはご注意くださいね。



 高校受験時、地元でイキっていた進学校の門を叩いたのが運の尽き。
 質と量を1:1でブレンドした詰め込み教育、それらを「大変だね~」と零しながらも受容する同級生、朝は早く夜は遅く、不届き者にキレて椅子をぶん投げる教師がおり、それに負けず劣らず教育ママも百戦錬磨。
 インターネットで揶揄される『進学校』を原液でサーブされた当時の私はいわゆる授業レベルの学習で悪くない点数が取れるタイプの学生で、その為に勉強への汗をかけない人間でした。そういうナメた人間が勉強についていけるはずがなく、そういう学校に馴染めるわけもなく。

 放課後は速攻帰宅してニコニコを見るスクールライフに帰着し、そこから紆余曲折を経て邦楽にハマり、周囲に迷惑をかけ散らかしながら大学受験を乗り越えた私はベースを購入。
 大学に入ったらその手のサークルに入って音楽仲間を作りたいという野望があり(高校には片手で数えられる程しか友人がいなかった)、何とかそれを果たして入部式ではsyrup16gやandymoriのコピー(何よりもamazarashiがやりたかったが周囲の反応が鈍かった)をしたいと述べ、数か月後には新入生枠でライブ(ボカロだった)もして。
 漆黒の高校生活を返上せんとするアホの発奮により、大学デビューは果たされたかのように思われました。

 無事、半年後にはフェードアウトする形で退部してました。
 理由は上述の通りで、趣味である音楽の為にさえ汗がかけず、ベースの練習に打ち込むことができなかったからです。加えて、高校の頃にそういう生活を送っていた陰キャが急に大学のバンドサークルに入ろうなんて、そんな無茶が続けられるわけないよな!


 毎日6時間の猛練習を積み、なおかつ自己の陰キャな部分と向き合おうとするぼっちちゃんの尊さ(本来の意味で)に低頭しながら視聴しています。
 最初に琴線に触れたシーンはアニメで指すところの4話、作詞のくだり。

 「他人の事考えてつまんない歌詞書かないで自分の好きなように書いてよ。皆ぼっちがいいと思ったから頼んでるんだ。バラバラな人間の個性が集まって、それがひとつの音楽になるんだよ」

ぼっち・ざ・ろっく! 1巻

 魂の入った言葉だよな……金欠ムーブやその他諸々の奇行を差っ引いても十分にお釣りが出る、リョウさんの貴重な舵取りシーン。
 何よりこれを作曲する当事者が発言してるのがいいですよね。「私が曲にするから、好きに書いて持ってこい」っていうこの頼りがい。もうリョウさんはぼっちちゃんのことを滅茶苦茶買ってるじゃん~って五体投地。
 虹夏ちゃんが精神的支柱という点でそれならば、彼女は思想および技術の面でこのバンドの"結束バンド"なのかも。

 最近は療養中のために何かと手隙で、普段と毛色が違うことを始めたいな~と思っていたところ、未練がましく処分していなかった埃まみれのベースに白羽の矢が立ったことには、少なからず本作が影響しています。
 で、ほとんどニューゲーム状態だから基礎練から毎日やって、簡単で有名な洋楽を引っ張ってきて弾けるようにして、という日々が楽しい。この地道な努力と情熱があの頃あればという慙愧の念にはバカほど堪えないけど、たらればですしね……。

 でもまあ、あの時何やかんやあって放り投げちゃったベースを、こうして拾い上げて楽しむ契機をもたらしてくれたという点に絞っても、それだけで本作は私にとって値千金だと言えます。
 ファッキン感謝。

 作中の曲ということを加味するとやはり「ギターと孤独と蒼い惑星」が愚直でダサくて最高に格好いいんだけど、単品ではこちら。
 パっと聞いた時は岸田教団かと思ったけど、彼らに所縁がある草野さんだったということで当たらずとも遠からじ?


 おまけ

 日々ベースを練習すると共に、欠かさず視聴しています。


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