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2024年7月

 先月末から今月の頭にかけては影の地に生活を支配されていたので、記憶が全部それになっている。

 ゲーム内容以前の話として、500時間遊んで培った習熟と知識をぶつけられる対象が現れることが楽しみだった。本編発売当時はダクソ無印しか遊んだことがなく、故によちよち歩きの狭間の地はひどく過酷だったし、エルデの王になった後に挑んだダクソ3は生温かった。
 要するに今回のDLCは僕にとってフロムへの御礼参りであり、リベンジに発奮していたのである。

 一段落したいま、思えば思うほど正当な追加コンテンツだと感じる。
 ソウルシリーズ全般例外はないと思うけど、ELDEN RINGは特に自分のこだわりと折り合いをつけるゲームに感じる。盾や遺灰を使わないとかレベルは一定以上上げないとか攻略情報を見ないとか、そういう基準を設けて遊ぶ人が過半数だと思うんだけど、本作の「あるモノは何でも使え」というつくりには強く逆行しているわけで、そこで我を通すか手段を選ぶかは当人次第であるわけで。実際、本作は「あるモノは何でも」使ったらスゴい数値が出るゲームであることは訓練された褪せ人によって示されていて、究極そういう手段を取ったっていいのだけど、言ってしまえばそこはプライドとの闘いなんだと思う。
 実のところ、今回影の地に出奔させたマイキャラは粗野な武器を担いだ半裸の老人だったのだけど、レラーナの連撃にハメられたあたりでちゃんと服を着るようにしました。俺には無理や。

 方や、そんなゲーム性だからこそこだわりを貫くことに価値があるんじゃないかなと思うが、まあやりすぎなボスがいることについて異論はないのでキレてる人いるのも何となくわかる。純魔とかってどうやってこいつ倒すんだろう、みたいなシチュエーション結構あるし。DLCにおいてそれを最大まで突き付けられたのが某イノシシライダーと光波連打デミゴッドであり、気付いたら僕も左手にデカい黒鉄の板を持っていた。
 自分の好きなスタイルで最後まで走ることはできなかったけど、故に限界を試された感が得られたので体験としてはかなり良かった。その辺は今やっている二周目で改めて取り組みたい。
 総じて良質なDLCだったんじゃないかと思います。


 影の地で激烈に濃い体験をした故、お口直しにさっぱりとしたゲームを頂きたい気持ちになったので、折よく開催していたSteamのサマセでこんなゲームを買いました。

 逆転裁判ライク、韓国発。
 やたらと良い評判ばかりを聞き及んでおり、デモ版で味見を敢行したところ惹き込まれる内容だったため購入。その流れのまま遊び尽くすことになりました。結論から言うと、次回作も遊びたくなるモノだったのでちょっとお喋りしようかなと。

 証拠や証言を突き合わせて真実を明らかにするゲーム性、端々に含まれるオマージュから、少し遊べば逆転裁判の影響をバシバシ感じる仕上がり。
 世界設定として「この世界には異能があり、それを有する一握りの人間は『ステッパー』と呼ばれる」という前提があり、故に時として常識では測ることができない事件が起きる。主人公はそういった異能を持たないが、代わりに深い洞察や思考の力を使ってこれらの事象に太刀打ちすることになるわけだけど……。

 難易度は肌感だと逆裁よりも緩め、ヒント機能が充実しております、所謂ゲームオーバー的なものも無いのでライトに遊べる仕上がり。ぶっちゃけ逆裁のライフシステムはゲーム的にあまり意味がないと思うのでこれで良い気がします。トリックも首を傾げた種明かしが無いわけではないけど、世界設定をよく汲んだ絡繰がほとんどで、核心に触れた際には声が漏れたものもいくつか。
 また、物語もほろ苦テイストでナイス。舞台となるイギリスにおいて上述したステッパーたちは機関によって管理されており、その能力の強さによって様々な制約が課され、監視や拘束の対象になることも。故にステッパーとそうでない人々には断絶があり、そうした社会的背景が様々な事件に干渉している。故に真相を解き明かしてもスッキリ解決ということはほとんどなく、主人公は幾度となく逡巡することになる。
 と言いつつも、仲間との軽妙なやり取りがよいガス抜きになっており、この辺のメリハリもまた逆裁さながら。韓国の作品でありながら、ほぼ非の打ち所がなちローカライズでやきもきすることも無し。

 アイデアが整然と詰め込まれたことを感じる、インディーズとしてかなり好みな一作でした。続編頼む!


 夏、あまりにも暑い。

 先日美容室に行った際、美容師の人と田舎トークに興じて「昔の夏って夜は窓開けて寝てましたよね~」みたいな話をしていた。そういう夏の過ごし方があったなという思い出はあるが、いま同じことをやれと言われてもとてもじゃないけど考えられない。幼心に残っている夏には、例えば朝早起きして出歩いている時の朝もやのひんやりした感じや、陽が落ちて程よく夕を涼んでいる時の記憶が残っているが、あの情緒に対する手触りを全く適用できないくらいに夏の「質」が変わっている、という思いがある。
 酷暑が、無機質に、膨大に、淡々と横たわっている。

 とはいえ夏のノスタルジーな情感は好きなので、どうにかそれを得たいという思いが慢性的にある。暑くなる度にホタルが見たいとか、地方の綺麗な河川に行きたいとか、空気の澄んだ高地に行きたいとか、そういう願望が確かにあるんだけど、ここ数年は身辺上色々あったこともあってとんとご無沙汰になっている。気付いたらホタルのシーズンも終わっていた。
 今年こそどこか行こうかな~、ちょっとした小旅行。
 一応、盛夏が去った頃に山にでも行かんかというナイスな提案を友人から受けており、目下それを楽しみとしているのだけど、もっと自発的に単独で行くことが重要な気がしている。外出自体は好きだけど根本的に出不精なので、それを打破したのだという実績づくりのような意味がおそらくある。影の地も一段落ついたし……。

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