吐きそう

恥の多い生涯を送ってきました。

言葉にこんなに共感したことは無い。私の人生は恥が多い。まだ終わっては無いのだけれど。

太宰治の人間失格は読んだことは無い。内容をはっきりと知らないからこそこの言葉に共感できるのかもしれないが。話に聞くと女遊び、酒だとかの内容でこの恥が多いと言っているようだが、まだ奔放に生きれているそれは恥なのか。私の方が何もなしえていないくせに、過去の過ちやトラウマだけが深く残っている。恥しかない。

ずっと自己肯定と自己否定を繰り返している。自己肯定と言うよりかは自己許容(きょよう)なのかもしれない。自分をずっと許しているのだ。自分が可愛くて仕方ないのだろう。何もしていないのに。逃げることは悪くないと言うような歌詞を聴きながら一丁前に泣いてしまいたいのだが、泣けるほど感情に素直ではなく、泣けるほど努力の実績もない。

遊びにも手を抜いているのだろう。インスタはリア充が…とかネタにして笑っている人間でさえ私からするとキラキラしているように思う。そのような楽しそうに憧れ遊びたいのだが、仕事を終えると何も動かずまっすぐ家に帰って惰性でケータイ画面を覗き時間を乱暴に扱いまた次の一日を過ごす。勝手に可哀想な毎日を送っている。こんなことしか出来ないのに「あいつらは遊んでばっかで。」などと罵ることは出来ない。遊ぶことさえも出来ないような人間なのだから。

仕事は仕事で上手くいってるやつの気が知れない。全くできないことは無いが、別に必要とされる程でもない。人と比較しても仕方の無い事なのだが、人と比較されるものが会社で社会だ。


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