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「避けたいことを避けない」伝統に縛られず、廃校寸前から超人気校に/広尾学園副校長・金子暁さん (前編)


☆様々な分野の「学びのプロ」に桜木建二が話を聞く!

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学校が変革し、躍進するには何が大切か?

広尾学園という名前は耳にしたことがあるんじゃないか? 国内トップの海外大学進学者数を誇り、中学受験者数も都内No.1の超人気校だ。


もともとは順心女子学園という名の女子校だった広尾学園。一時は生徒数が減り、廃校寸前にまで陥った。

そこから、共学化、教員研修、独特なスタイルの説明会、最先端のICT(情報通信技術)教育の導入、インターナショナルコース、医進・サイエンスコースの創設、キャリア教育などに力を入れ、今では受験生や保護者だけではなく教育関係者からも注目を浴びる学校に。

これらの改革を牽引してきたのが、副校長である金子暁さんだ。

金子(グラウンド)

金子暁
1958年、福島県いわき市生まれ。広尾学園中学高校副校長。筑波大学人文学類(日本史専攻)を卒業後、順心女子学園に勤務。生徒急減期の体験を経て、2007年の校名変更と共学化に合わせた広報戦略を担当。キャリア教育、ICT活用を推進し、新設された教務開発部の統括責任者となり、2017年から副校長として教育改革に取り組む。

今回、広尾駅からすぐそばの一等地にある広尾学園で、金子副校長に話を伺いに行ったところ、広尾学園が華々しい復活を遂げた経緯を教えてくれた。

「教員こそが避けたいことを避けない。大人も子どもも関係なく学びを拡大していく」など、廃校寸前から人気校へとなった理由がわかるようなエピソードの数々を聞けた。

金子副校長が取材時に実際に見せてくれた資料とともに、伝統的な女子校がどのように超人気校に変化していったのかを見ていこう。

生徒数が激減し、廃校寸前の危機に。

「87年には生徒数が1800人だったのが、2003年には486人にまで落ち込み、銀行の融資が止まったら経営破綻し、廃校だというところまでいきました。そんな状況でしたので、今までの『穏やかな女子校』という伝統を捨て、抜本的に変わらざるを得なかったのです」

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――数値を見て俺も驚いた。一時は生徒数が約4分の1にまで落ち込んだんだな。教員の給与や賞与を極力までカットしても、もうこれ以上どうにもならない、というところまでいき、ほとんど廃校寸前だったそうだ。

「あそこまで生徒数が減ってしまうと、予算を組むにしてもお金がかけられませんし、どんなにいいアイディアがあっても実現できなくなってしまうということを身を持って体感しました。

 幸いなことに、今は1700名弱の生徒数ですが、私立はこうしたことがいつだって起こりうると今でも常に意識しています」

――超人気校になった今も、そうした意識があるのは、廃校危機を実際に目の当たりにしてきたからだろう。当時いた教員のほとんどが今でも働いているそうだ。学校というのは、変革が起きづらい場もあると俺も実感しているが、実際に危機を体感した経験が、教員が一丸となった改革に繋がったのかもしれないな。

社会と学校の間には20〜30年の開きがある

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「学校と社会には、20〜30年のギャップがあるのではないでしょうか。

『不易流行』という言葉があります。

いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくことという意味ですが、学校については、この言葉が『流行を追わないことが正しい』という意味で言い訳的に使われているケースが多いように感じます。

というのも、私たちもあそこまでの学校存続の危機に瀕さなかったら、変わらないことを選択していたと思うからです。変わらざるを得なかったことが、逆に功を奏したのかもしれません」

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教育というものは、短期間で目に見えた成果がでる性質のものではありませんし、経済的な利益重視する会社ともまた違う存在なことは確かです。しかし、学校は社会の一部であることは間違いありません。

そう考えると、社会と学校には20〜30年のギャップがあるのはおかしい。社会と学校はぴったり合っていて当然じゃないかと思うんです。

そんな思いから、伝統を重視して変わらないのではなく、変化し続けている社会の姿に合わせようと。まずその考えを教員間で共有しました」

――社会と学校に時代のズレがあってはおかしいとは、まさに俺も感じることだ。しかし、そう考えて変化しようとしている学校は多くないのが実情だ。
まずはどのようなことから変革し始めたのかを聞いていこう。

「変革には数段階ありました。第一段階では、共学化・校名変更、そして進学校化を目指す改革を行いました。

女子校・男子校から共学へと変更した学校は他にもありますが、募集的にはさほど変化が見られなかったという例を見てきました。

ただ単純な共学化だけでは、入りたいと思うような学校にはなれずに終わってしまうだろうと思い、授業の変革に力を入れ、進学校化して復活を遂げようと試みたのです」

年3回の入試・授業研修によって変わった教員の意識

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――授業を改革するにあたって、具体的に何をしたんだろうか?

「まずは教員の入試研修からスタートしました。進学校化を目指すとなっても、それまでは違ったわけですから、教員が大学入試の問題をきちんと解いたことがなかったんですね。女子校だった頃には、指定校推薦による大学進学が大半でしたから。

皆、自分たちが受験した時代のことは知っていましたが、今の時代の入試の知識は乏しかった。だから、まずは教員が実際の大学入試を解いてみようと。

最初はセンター試験から始め、徐々に難関私大・国立大学の試験も解いていきました。年に3回、生徒が試験を受ける時のように、教室に集まり、時間を計って実際の試験に近いような形で試験を解くんです」

――教員から反対の声はあがらなかったか?

「間違いなく、『嫌だなぁ』とは思ったでしょうね(笑)。教員は、散々生徒をテストで締め付けますが、自分たちが締め付けられるのは嫌いですから(笑)。

私自身も、大変なことを言っちゃったな……。という思いでしたが、いざテストを受けるとなると必死に勉強するわけです。

自分達がテストを受けてみて初めて気づくことが沢山ありましたし、大学入試を意識した授業に変えていく上で大いに役立ちました。

また、『授業研修』も始めました。教員が他の教員の授業を見合うものです。声が通っているか、生徒を惹きつける工夫はしているかなどの基礎事項から、具体的な授業内容に至るまでを互いにチェックする。

もともとは、「穏やかな女子校としてやっていけばいい」と教員のほとんどが思っていましたので、授業に対してもあまり力がなかった。

自分に都合が悪いことを人から指摘されると腹が立つのが人間です。授業研修のフィードバック時にはかなり辛辣な言葉が飛び交ったりしていました。

ですが、続けているうちに、他の教員の教え方の良さに気づいたら、自身で取り入れてみるようになったり、もっと魅力的な授業をするためには、どのようにしたらいいのかと、それぞれに工夫する教員が増えていきました。

振り返ると、『避けたいことを避けない』ようにしたあの時の判断は、間違っていなかったように思います」


後編へつづく


取材・文/代 麻理子(@daimarikooo

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