師匠のはなし

「1+1は何になる?」
まだヒヨッコどころか卵の殻から顔だけ出してピーチクやってるレベルだった私に対して、当時在籍していた会社の社長が話し掛けました。
彼は社長でありながら、私のプログラミングの師匠でもあります。

1+1は2です。その計算結果が不安になって私に声を掛けたのではないことは確かですから、何かしらのトンチ問題かしらと思った私でしたが、気の利いた答えも浮かばず、
「2です。」
と答えました。するとさらに、
「うん。それは答えのうちの一つだな。少なくとも三種類の答えがあるよ。」
と返ってきます。
「なんでしょう、すみません、ちょっとわからないです。」
そう言うと、彼は目を細めて笑い、
「1が数字だと囚われているね。文字として考えたら、1と1をくっつけると11になる。さらに2進数として考えると10となる。これは全部、1たす1と言える。」
二十歳を少し過ぎただけの私は正直言って「何言ってんだ」と思いましたが、
「ははぁ、なるほど。」
と答えるに留めました。現実的に
「1+1は11でもあり10でもあり、2でもあります。」
などと言ったら嫌味な野郎であるうえ頭の心配をされてしまうでしょうから、この知識はいったい何の話なんだろうと困惑しました。

しかしそれから数十年が過ぎ、何故か頭に残ったこのやりとりの意味が自分なりにわかってきました。
世の中にはいろいろな人がいます。考えていること。就いている職業。立場。自分と全く同じ人はいません。
そんな世の中で、「1+1は2しかありえない」という道理が通るでしょうか。
1+1が11になる、或いは10でも間違いとは言えない以上、
「私にとっては普通1+1は10だよ」という人もいるでしょう。
自分と違う道を歩いている人に対しては、自身の常識は通じないことが多々あります。
「1+1が10だってさ。」と笑ってしまうことと、
「確かに10にもなり得る。」と受け止められることは大きな違いがあります。自分では正しい義だと思っていることが通らない時、人は苛立ち、怒り、諦めてしまいがちです。
物事には必ず理由があります。1+1が10になる事が求められるとき、その理由が必ず存在します。見かけだけで判断せずにその理由を求め、納得できるように努めなさいということだったのかなと、今では思います。

個人的にはいい思い出でありよい訓話なのですが、奥さんに話すと
「たしかにそうだけど友達になりたくないタイプ。」
と言われてしまったので記念にnote.comに記しておくこととします。

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