こんにちは

自己紹介

まだ給料をもらっていない頃は書くことが好きで、いつでも書きたいものが頭にあって、書いては散らし、散らしては書いてを繰り返していました。
モノ書きになって、自分の世界が評価されて生活するんだと信じていました。
でもだんだんとアイデアが枯渇した気分になり、いくら書いたってこんなものはと思うようになり、人が書いたものを読むのが嫌になり、粗を探すような癖がつき、好きだった分だけもう一度向き合うのが億劫で怖くなってしまいました。
それでも何かを書くことには触れていたい残骸のような気持ちがプログラマーという職を選ばせたのかなと思います。

ところがひょんな事がきっかけで、また少しなにかを書きたいナァと思うようになり、リハビリも兼ねて広告の裏に書く気持ちで始めてみました。

書くってこと。

”文を書く” 行為は、人間社会、特にIT界一般においてとてつもなく多様化しました。ブログ、メール、Slack、Twitter、Instagram、LINEなど、みな無意識に文体やキャラクターを使い分けて文字を通信に乗せています。
すべてに共通し、また文体を使い分ける原因ともなるのは ”人が読む前提” であることです。自分との対話のみで文ができるのではなく、相手の脳に、精神に書き込むような意識があるのだと思います。
だから何でもいいから、本当に何でもいいから自分の思いの丈を書き連ねてくれなどと言われると困るわけです。困るということは書きたい、訴えたい本当の事がないということです。ともすると書きたいことがないのに毎日毎日書かされていることになってしまいます。大袈裟かもしれませんが、誰かが言って欲しいことを書くことに慣れすぎた気がします。
対して自身と向き合い、素直な気持ちを文に表現する力がどんどんなくなっていきました。誰にも読ませない日記ですら、文体や表現に意識がまわって自己規制してしまうのは現代病と言ってもいいと、私は思います。

本来、書く作業は爽快で痛快でゆったりお風呂に浸かるような滲み出す感情があるべきと考えますが、残念ながらそういった時間であったり意識であったりが音をたてず私の中から消えてしまったのだと、38才になって気付かされました。

最後にきちんと向き合って何かを書いたのがもう20年近く前になるので、果たしてこの文ですらも本当の私なのかどうか、それはもうわからなくなっています。しかし内容は自分の内面を吐露していますので、相当に恥ずかしいのですがこうでもしないとリハビリにならないと思い頑張っています。

何を書くかってこと。

偉そうにえらそうな事をツラツラ書いていますが、私自身いま何か訴えたくて読んでほしくて書きなぐれることがあるかというと全然ないのでなんだよお前ということなんですよね。ごめんなさい。
とりあえず日頃思ったことなどを忘れないように ”おれってこういう思考回路なんだ” を書いていこうと思っています。
たぶんぜんぜん面白くないのでそんなものでインフラに負荷を掛けていくのは職業柄ちょっとアレな気持ちもありますが、とにかく長文を書くことに脳みそを慣らす気持ちでやろうと考えています。
自分の考えを前面に出したモノを書くのがあんまり得意でないので、うっすら塩味みたいなことになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。



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