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正解がない世界の中での、正解

どう言ったら伝わるだろう? 世の中には正解があるようでないし、みんなそれぞれに生きる世界の中で「正解とされていること」を大切に生きている。もっと言うと、無意識に刷り込まれたものも含めて、みんな「それぞれの思う正解」を持っていて、そこから判断し、目の前に出てきたものに対して、善し悪しを分けていたりするなあ…と。

そこで、オラクルカードの「直観リーディング」なのだけれど…。これというのは、とても宇宙的というか…やはり正解のない世界だなあ、と。

だから面白いし、同時に「語る側(リーダーやテラー)」にいる者にとっては、それなりに力量がいることになるなあ…と思うのです。

なぜか? 

答えは簡単で、自分の正解と他人の正解を混同しないことが大事だからであり、「正解はひとつではない」ことを知っている必要があるからであり、かつ、それを言語化する力量を持ち合わせていないとリーディングそのものが難しい、ということがあるから…なのです。

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正解はないのだけれど、正解を伝えるという難しさ

何かを教えるということの中には「仮の正解を提示する」という役目があるのではないか? と思うようになりました。そんなことを考える理由には、オラクルカードの、生徒さん方とのやり取りがあります。

わたしは基本的に「正解」は、それぞれが持っているものであり、他者がどうこう言えるものとは違うのではないか?と思っている人だったりします。それは幼少から受けている「個性教育(芸術教育)」のせいかも知れないし…なぜそうなっているのかは謎なのだけれど。どうもわたしの場合「正解」は、常に、たくさんあるよねー、という前提(視点)で生きていたりします。

それは、他者への安易な否定をすごーく減らしてくれるし、フラットなリーディングをするためのベーシックとして、とても役に立つ視点だと思っています。

だけど、オラクルカード・リーディングを教えさせていただいていて思うのは、親が子どもに自分達の正解(常識やベーシック)を教えていくのと同様に、やはり一度、先生として自分の正解を提示する必要はあるんだよなあ…ということなのです。

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