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【お金】お金は穢い物なのか?


お金は穢い物なのか?

日本には、昔からお金は穢い物だという考え方がある。

自分も小さい頃、お金を触った後は必ず石鹸で手を洗うように親からしつこく言われた。どんな病気の人が触ったかわからない物だからお金は汚いのだと。

これは物理的な汚さではあるが、コロナ禍を経験した現代社会では理にも適っているから、大人になった今でもその教えは律儀に守っている。

ただ、子供の頃に刻み込まれたのは、そんな物理的なお金の汚さではなく、洗っても洗っても落とせない貨幣に憑りついた怨念のような穢さだ。

お金は穢い存在だからこそ遠ざける素振りを見せなければならず、もしそうしなければ、我利我利亡者とか銭ゲバとかの誹りを受けることになる。

しかし、本当はみんなお金が好きなのだ。好きで好きで堪らないのだ。

だが、お金は一部の人のところに集まって自分のところには回ってこない。お金は天下の回り物なんて全部嘘っぱちである。

好きなのに永遠に手に入らぬ物は、いっそのこと逆に遠ざけたくなる、それが人情というものだ。

お金が好きなのに穢いと言ってしまう矛盾した態度は、小学生の男の子が好きな女の子に意地悪してしまう気持ちにも似た感情なのかもしれない。

思想的な背景

お金は穢い物という感情の思想的な背景を探ると、儒教の一種である朱子学に辿り着く。朱子学とは江戸時代に取り入れられた、例の士農工商などの身分制度などで有名な思想である。

朱子学では、お金儲けは卑しい者がする行為であるという発想があるようだ。そのため、士農工商の身分制度において商人は一番下に位置付けられている。

上流階級である武士はけっして金儲けに勤しむことはなく、武士は食わねど高楊枝とスカしていた。

日本と同じように儒教を受容した韓国でもそのような発想があるようで、多くの人が働くことを好まず、早期リタイアを望む社会であると韓国人の知人から聞いたことがある。

西洋のキリスト教世界でも過去には利子の受け取りがタブー視されていて、銀行業はユダヤ人が担ってきたというのは有名な話だ。

そう考えると、お金を穢い物と捉える思想は日本固有のものではなさそうだ。

しかし、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』で解明し、そして免罪符を与えたことで、西洋の資本主義社会においては、金儲けが正当化されるに至った。

翻って、現代の日本社会はというと、お金の話題は未だにタブー視されているきらいがある。

そのことが、日本の家庭や学校での金融教育を阻む要因になっているように思う。

学生時代のT君の言葉

お金のことを考えると、今でも大学時代のT君の言葉が思い出される。

お金は、幸せを演出してくれる

もしかしたら彼自身の言葉ではなく、当時流行っていた深夜ラジオのパーソナリティの言葉だったかもしれない。

お金で買えないものこそが一番だという考えに憑りつかれていた当時の自分には、正直あまり響かなかったが、妙に心に引っかかる言葉だった。

その後、何やかんやあって、2人の子供を育てた今となってはその言葉の意味がよくわかる。

世の中には、お金で買える幸せと、お金じゃ買えない幸せの2種類があって、それはどちらも大切な物なのだ。

お金が足りないせいで、お金で買える幸せを諦めるのは、ちょっと悲しいことだ。

よーく考えよう♪お金は大事だよ♪

※本記事は、お金に関する個人の感想を綴ったものであり、特定の投資手法や商品などを勧誘するものではありません。投資は自己責任でお願いします。

お金の教科書

日本の金融教育は世界に遅れている。やっと、2022年度から高校で教えるようになったが、まだまだ発展途上だ。

いつまで、お金の怨念に憑りつかれたままなのだろうか?

お金を忌み嫌っていた自分がまさかお金の本を執筆することになるとは、夢にも思っていなかったが、そんな私が書いたお金の教科書が、kindle本『資産運用の新常識』だ。

読んでもらえるかはわからないが、もう成人した2人の子供への家庭の金融教育のつもりで書いた。


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