戦争と国家神道

 2013年12月26日、安倍晋三は靖国神社を参拝した。参拝後、安倍は「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りした」、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」と説明した¹。
 あくまで靖国神社参拝は国の為に戦った人を追悼する為で、天皇統治を正当化する行為ではないととれる発言である。しかし、靖国神社は戦没者の追悼施設ではないと私は考える。
 靖国神社は明治以降に建てられた比較的新しい神社で、国を守るために戦って亡くなった、主に兵士達を“祭神”として祀っている。しかし、例えば、明治政府ができる時、内乱で亡くなった政府軍は合祀されているが、亡くなった『敵側』の兵士達、つまり、旧幕府軍や反政府軍は合祀されていない。第二次世界大戦の指導者だったA級戦犯達は合祀されているが、空襲や原爆などで亡くなった膨大な日本国民は合祀されていない²。
 これらのことを鑑みれば、どういった人が合祀されているかは明らかだ。「天皇の為に戦ったかどうか」それだけが基準になっている。その事実をうやむやにし、日本の首相が「戦没者を追悼するために参拝した」ととれる発言をした。そのことと安保法案を繋げて考えると、やはり戦争へ向けて一歩近づいたように思えてしまう。
「死んだら靖国で会おう」と、当時の兵士達は命をなげうって戦った。「国家神道」という一大宗教の為になぜ当時の日本国民は戦えたのか。その社会的背景と、古典の利用が、どう影響を与えたかを考察していく。


天皇崇拝の為に利用された古典
現存最古の史書といわれる『古事記』は簡潔にいうと、天つ神が大和の支配者になるまでの物語を記した歴史書である。天武天皇が『古事記』の編纂を命じ、天武天皇の皇子である舎人親王が最終的にまとめたのが『日本書紀』だ。『日本書紀』は『古事記』よりも神話の比重が軽く歴代の天皇の事績を称えることに比重をおいている。つまり歴史的事実に準拠して天皇を称えた歴史書だといえる³。
しかし、その内容は、歴史的事実とはいえないものも実際は混在している。例えば、神代の巻で、天地開闢、天孫降臨、国つ神から天つ神への国譲りなど、アマテラス系の神話によって、その子孫である大和朝廷の正統性を印象づける話がある。他にも、初期の天皇の項に、神武天皇が神助によって大和に導かれた話や神功天皇が神託を受けて新羅を攻めた話などの天つ神との繋がりを示す記述が多い³。
これらは『古事記』でも記述があったものだが、歴史書なのであればそれらの神話は省くべきではないかと私は思う。歴史書として後に明治政府が利用するのだが、事実と神話を混同して利用し、そのことを指摘した研究者は罰される。それなら、『日本書紀』は最初から事実だけを載せるべきだろう。
しかし、『日本書紀』は、「天皇はアマテラスの子孫であり、その権限で日本を統治してきた、なのでこれからも統治していく。」そんなメッセージをこめてつくられたものなので、神話を利用するのは当然ともいえる。
江戸時代に本居宣長が『古事記』から「漢意」を排除した『古事記伝』を完成させたことにより、外来思想から自立した「神道」が成立した。そこに平田篤胤が死後の世界についても言及し、「神道」に宗教的要素を加え、その後に吉見幸和が吉田神道を批判し、天皇に統治権があるという「神道」をつくりあげた⁵。
 海外列強が日本に進出し始め、幕藩体制が揺らいでくるに従い、「復古神道」という形で天皇中心主義的な思考が強まっていった。海外から入ってくる世界観、キリスト教にのまれてはいけないという思いが、時の政府、国民達を「神道」という「宗教」へむかわせたのではないだろうか。
 現在の国際情勢もまさにこの時代と似ているように感じる。北朝鮮からのミサイルやイスラム過激派によるテロ。それらに対する恐怖の思いが、天皇中心主義的な政治に向かわしているように思える。
 明治4年、渡米直前の岩倉具視が在日英国代理公使アダムスに述べた「天皇陛下は天照大御神からのたえることのない血統のご子孫であらせられ、従って神性を有する御方であらせられると日本の国民が信じることは絶対に必要なことである」⁵という言葉から、天皇を「神性」という根拠といえないものでも信じてもらい、国家を早く創ろうとする当時の焦りが伺える。たとえ、神話であったとしても、その歴史的正確性よりも、中央集権国家設立の方が急務だったのだろう。
その後も明治政府は天皇制を中心にした国家作りを目指していった。「神仏判然令」を出すなどし、神仏分離を進め、「廃仏毀釈」で神社という宗教施設から仏教的要素だけが取り除かれ、国体思想や天皇への崇敬の念つまり、「国家神道」が広く国民のあいだに浸透・定着していった。神社は国家的祭祀や儀礼を行う場所へと変貌を遂げていった⁵。
それから、日清・日露戦争という戦争を通し、「国家神道」は完全に国民へ浸透した。そして、そのまま「国家神道」により統一された国民の世界観を利用し、太平洋戦争へと向かっていったのだ。
戦争を戦うためにある程度のナショナリズムは必要である。しかし、根拠のない神話をあたかも本当であるかのように書いた『日本書紀』や『古事記』からつくられた概念である「国家神道」を信じるのは正しかったのだろうか。その当時は正しさよりも一つにまとまることが必要だったのだから仕方ないとしかいえないのかもしれないが、「国家神道」という宗教を利用していなければ、もう少し冷静に戦況をみることができ、早く負けを認めることができたのではないか。
 太平洋戦争は初めから明らかに負け戦だった。1940年当時の軍事物資のアメリカへの依存度が高かったことからそのことが推察できる。「鉄類69.9%、石油76.7%、機械類66.2%」と、軍事物資はほとんどアメリカに頼っていたのだ⁶。
経済制裁を受ければ、戦う武器さえ確保出来ない。そのような国を相手に戦争をして勝てる訳がないのは、誰にでも分かる。それでも、戦争を続けたのは、「国家神道」という宗教により、天皇の為に死ぬことが正当化されていたからだ。
 宗教すべてを否定することはしないが、国民の世界観を統一する当時の動きは否定すべきである。先述したことすべてのことから複合的に考えると、靖国神社参拝は絶対するべきではないし、「国家神道」を推進することに賛成はできない。中国や韓国に靖国神社の本当の事実を説明し、受け入れてもらえるとは到底思えないのだ。
なんらかの権力により規制がかかることが多い現在の社会。太平洋戦争当時のことを知るたびに、その当時と現在と重なる部分がどんどん見つかってしまう。たしかに北朝鮮、テロと日本の明日の平和が脅かされる社会情勢ではあり、アメリカに頼りきりで平和を守れていた状況とは違ってきた。それでも「国家神道」のような宗教による思想統制に頼るのではなく、どれだけ困難な状況でも現実の中に解決策を見出すべきだと私は考える。自国で戦力を持つ、戦争を仕掛けようとする国に経済制裁を加える。どんな策を講じても、戦争は起き続けてきたが、「戦争を無くす為に」戦い続けることは決してやめてはいけない。今こそ、戦争をしてきた歴史を「平和」という方向へ生かすべきだろう。

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