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『マイノリティデザインー弱さを生かせるかせる社会をつくろう』聴こえにくい耳が捉えた軽やかなステップ #読書の秋2022

※ これは、好きな本について語り尽くすnoteです。ネタバレだらけかもです。ご注意を。

おことわり 文中のマイノリティ、マジョリティ、デザイン、パラダイムシフトにカッコでつけた注は、筆者なりの言葉の解釈です。著者である澤田氏はいずれの言葉も規定していらっしゃらず、もしかしたら、筆者の解釈とは違うものをお持ちかもしれませんので、その旨ご了承ください。

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『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』は、ずっと気になっていた本だった。でも、この本を読んで感想文を書いてコンテストに応募するのは、あざといんじゃないかな? ズルなんじゃないかな? ずっとためらっていた。何故なら感音性難聴者である私自身がマイノリティ(筆者注・社会的少数派)=当事者だから。

みんなはもっとマジョリティ(筆者注・社会的多数派)の感想を読みたいのかもしれない。

そう思いつつも「はじめに」の前の部分を読んでいるときから、言葉と涙がぽろぽろこぼれてきて、どうしても書きたいと思った。

そして読みながら自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づく。

誰がマイノリティなのか? どんな人たちがマジョリティなのか? その境界線はどこにあるのか?

そんなことを考えながら一気に読んだ。自分の未来をデザイン(筆者注・設計)しながら。

マイ・マイノリティデザインと絡めた『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』の話、良かったら読んでください。

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この本の著者は、広告会社で「渋谷駅のハチ公前の大看板に、自分の考えたキャッチコピーが掲載され(p32より引用)」「自分の企画したCMがテレビで放送されて、多いときには8000万人にリーチ(p32より引用)」する仕事をしていたコピーライターの澤田智洋氏。

その澤田氏が息子さんが目に障害を持って生まれてきたことを契機に、福祉の世界にもスライドし、コピーライターとしての経験や才能を掛け合わせながら、多くの友人たちと共にワクワクする新しい世界、「マイノリティデザイン」を作り上げていく。『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』はそんな話だ。

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「ハンディキャップは乗り越えられる人にしか与えられない」と言われるキツイ人生


読んでいて、嬉しくてたまらなかった。泣きながら笑っていた。この本の中では誰かが拳を振り上げて「ハンディキャップは乗り越えられる人にしか与えられない。きっと乗り越えられる、頑張ろう!」なんて私に言ったりしない。

もう障害と闘わなくていい。頑張らなくていい。

私の障害についても触れておこう。

マイノリティ中のマイノリティ

私は感音性難聴の診断を受けていて、電車の事故があったときなど、アナウンスが聞き取れなくて右往左往する、健聴者から見れば完全にマイノリティだ。

しかし“そこまで耳が悪くないから(国が決めた基準値に達していないから)”ということで身体障碍者手帳は持っていない。だから難聴者の中でもマイノリティなのだ。

健聴者として働くには耳が悪すぎて、難聴者として働くには耳が良すぎる。だから働ける場所が限られていて、低所得者にならざるを得ない。

そんな健聴者と難聴者の境目に立ち尽くす自分を、マイノリティ中のマイノリティだと思っていた。だから人並み以上に努力するのは当たり前だと頑張ってきた。

マイノリティがマジョリティ

ところが、この本を読んでパラダイムシフト(筆者注・当たり前だと思っていた物の見方や考え方が劇的に変化すること)が起こる。

「私はマイノリティだから、この本の感想を書いてコンテストに応募するなんてズルなんじゃないか?」なんて、とんでもない勘違いだった。

私だけがマイノリティなのではない。誰もがマイノリティなのだ。マイノリティとマジョリティの境目なんて、私が勝手に作っているだけなのかもしれない。

どんな人にも弱さや苦手なことはあって、その分野では誰もがマイノリティで、マイノリティであることがマジョリティなのだ。

弱さ(マイノリティ性)は誰かとつながることで、クルッと強さに反転していく。

『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』では、様々な実例で、弱さが強さに変わる鮮やかな反転を紹介している。

・ 義足をファッションにした「切断ヴィーナスショー」(p114より引用)
・ 運動音痴でも日本代表選手と戦える「ハンドソープボール」(p173より引用)

などなど、たくさんの実例がとびっきりの笑顔の写真と共に紹介されている。“あぁ、私も参加したかったな”と誰もが思うだろう楽しさだ。

そこではマイノリティ(弱さ)とマジョリティ(強さ)の間に橋が架かっていた。その橋を、眉間にしわを寄せながらヨイショヨイショと渡っていくのではなく、拳を振り上げて「頑張ろう! きっと乗り越えられる!」と努力させられるのでもなく。

ダンスのような軽やかなステップを踏みながら、いつの間にか橋を渡って二つの世界を行き来する、ワクワクする世界があった。

私の弱さも強さに変わる。私なりのマイノリティデザインを考えてみたい。

本を読み終えるころには、強くそう思うようになった。

マイ・マイノリティデザイン


マイノリティデザイン。弱さを生かせる社会を作ることって、私に当てはめるとどうなるんだろう?

私の弱さは聴力の弱さ。だから、映画を観たくても、健聴者と同じように映画を観ることができない。

えっ? 映画館で観る映画って音がすごく大きいよね? と思うかもしれない。でも私は語音明瞭度が低いタイプの難聴者、つまり映画のセリフを音として聞くことはできるのだけれど、言葉として聴くことができないのだ。

あくまでも私の場合、具体的には母音が同じ言葉の区別がつきにくい。坂 sakaと赤 aka、中 nakaがみな同じに聞こえる。母音が同じ言葉なんてたくさんあって、そのほとんどを聞き分けることができないから、映画を観ても登場人物がセリフを言っていることは分かるが、その内容を聞きとれない)。

だから、コロナ前は日本映画でも字幕を付けて上映される期間があるから、その期間に映画を観に行っていた。(下記の映画を観たという意味ではなく、こんな感じで情報が公開されていることを伝えたい)。

DVDで、バリアフリー日本語字幕(もしくは日本語字幕)と表示があるものは、日本映画でも日本語字幕がついているので、DVDで観ることも多かった。

私は使ったことがないのだが、今は映画館で字幕表示用の専用眼鏡をレンタルできて、それを使って映画を楽しむこともできるらしい。

他にも調べたらいろいろあるかもしれない。

様々な聴覚障碍者用のアイテムを使って映画を観て、その情報を発信していけたなら。弱さを生かした社会を生きていることにならないだろうか?

このnoteに聴覚障碍者として観た映画のコラムを書いていくことで、noteのみんなとつながって、私の弱さも強さにクルッと反転していけるのではないだろうか?

早速やってみよう。小さいけれど、それが私のマイノリティデザイン。

誰もが弱さを持っている。私たちの弱さは強さに変わる。

軽やかなステップでマイノリティとマジョリティに架かる橋を渡って行こう。

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『マイノリティデザインー弱さを生かせる社会をつくろう』を作って世の中に届けた方々。この本に登場する、すべてのマイノリティでマジョリティな方々に敬意を込めて

三田綾子

























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