Supercalifragilisticexpialidocious

 4月、うつ病と診断された。薄々そうかな、そうだろうなとは思っていたけど、正式に病名がつくと、やっぱりちょっと不思議な感じだった。他人から自分に知らない名前をつけられたような気持ちで、でも、はぁ、やっぱそうかと思いながら精神安定剤を飲んで、睡眠薬を飲んで寝た。睡眠薬なしではもう1時間も眠れなくなっていた。
このときは面白い、楽しい、嬉しいなんかの感情の針が動かなくなっていて、心が粘土みたいになった気がしていた。外からの刺激で凹んだりはするけど、そこから浮かび上がることがないみたいな。凹んだら凹みっぱなしで、凹んだことにも何も思えなかった。
だから、なんとなく応募したラポスタのチケットが当たったとき、正直行くかどうか本当に迷った。まず電車に乗れなくなっていたし、人混みも息苦しくなってしまって本当にダメだったし、当たると思ってなかったし。
このときJO1に対しての認識は、INIの先輩で、ギリ全員の顔と名前が一致するかな、くらいだった。豆原一成は田舎道をママチャリで走っていた子というのは知っていた。
心も粘土になっていればもちろん脳みそも同じようなものだったので、自分では答えを出せずに友達に相談した。「3組見られるならお得だし、キツかったら抜けてくればいい」というアドバイスをいただいたので、とりあえず行くかどうかは置いておいて、Apple musicからおすすめされたJO1の「Supercali」を聴いてみた。

メリーポピンズだ、と思った。
昔ビデオで何回もみた、魔法使いメリーポピンズの呪文だった。(娯楽に理解がない家庭だったので、親の目を盗んでポケモンのビデオと交互に本当に何回も見た。)「Supercalifragilisticexpialidocious」というメリーの魔法の言葉を、JO1が魔法使いじゃなく人間として唱えて自分を鼓舞する側だったことが刺さった。
もう魔法使いも魔法も信じていなかったけど、JO1の唱える呪文で、私の感情の針は動いた。これは人生を変える魔法の言葉だから。夜勤明けの朝日のささないガラガラの地下鉄で、大泣きした。魔法なんて存在しねーよ、クソがよ。と思って、なんでもいいから誰か助けてくれよ。とも思って、親の足音に耳を澄ませながらコソコソビデオを見ていたあの頃に戻って泣いた。
とっくに成人した大人が人目を憚らず号泣する姿は、ちょっと怖かっただろうなと思う。泣きながら電車を乗り換えて、電車が地上に出て窓から光がさしても、私はまだ泣いていた。
こういうとき誰も声をかけてこないのが東京のいいところだなとちょっと冷静になったのを覚えている。最寄りの一駅前で改札を出て、歩いて帰った。久しぶりに朝の空気の匂いを嗅いだ気がした。

 それからずっとスパカリを聴き続けた。夜起きて昼寝るまで(夜勤のため)ずっと聴いた。
このときは希死念慮の波が1番高くて、この波がこの先一生続くなら死んだほうがマシかな……と思いつつ、実行するだけの気力もなく、昔のトラウマをひたすら反芻して、未来無し急旋回急降下お先真っ暗ここが地獄の3丁目みたいな毎日だった。洗濯しようとして洗剤を切らしていることに気がついて、なんかどうしようもない気持ちになって1時間空の洗剤のボトルを眺めながら泣いたりしていた。ティッシュでも同じことをした。部屋の片付けもできないし、お腹が空いてもご飯を食べる気にもなれなかった。私の文化的な最低限度の生活は死んだ。私より早く。
でもどれだけ途方に暮れていても、いつでもJO1は私の耳元で呪文を唱え続けた。

 ラポスタ初日、家を出なきゃいけない15分前に起きた。髪の毛と下地とビューラーだけなんとかして、鞄を引っ掴んで家を出た。電車の中でペンライトを忘れたことに気がついて、泣きそうになった。
平日の昼過ぎなのに混んでる車内で気持ち悪くなりながら、心の中では、なんか帰りたいかも。と、絶対にスパカリを生で聴く。が戦っていて、結局スパカリが勝った。ライブ中に気づいたけど、スパカリを聴きすぎたせいでスパカリと無限大しか知らないままだった。
 そして、私は呪文をこの耳で聴いた。川尻蓮の「Supercalifragilisticexpialidocious」が聞こえてきたとき、神経が音楽に集中するのを感じた。
一つのことに集中するのが難しいタイプだったけど、このときは頭の中の声も音も止んで、ただステージのJO1と音楽だけを追いかけていた。ペンライトもうちわもなく手ぶらとか、もうそんなことどうでもよくて、ただただステージに夢中だった。
たまたま鞄に入っていたオペラグラスで金城碧海を追いかけたりも、まあ、した。好みだから。北斗の拳の悪役みたいな衣装だなとも思った。
粘土だった心が、段々、楽しい!に形を変えていくのが分かって、あぁまだ私もこんな風に思えるんだなって嬉しくなった。ここでちょっと泣いた。
 JO1はライブがめちゃくちゃ上手かった。特に川西拓実の客のノせ方には凄まじいものがあった。
沸くとかそういうことよりも、ひたすらこの人がラポネのキングなんだ。みたいなことを思っていた。
本人も言ってたかもしれない。それは覚えていない。
例えば川西拓実がロックバンドを組んでいたとしたら、客は拳メロ突き上げ頸椎破壊膝骨折という感じだっただろうし、ラッパーなら「兵庫で有名なりたきゃ ラッパーになるか 川西拓実になるか」みたいなことを言ってストリートの教科書になったかもしれないし、とにかく、本当に上手い。全員分これを考えるのはちょっと大変なので、川西拓実だけにするけど、JO1、ちゃんと全員上手い。これはほんとにすごいことだと思う。世紀末リーダー伝たけしを初めて読んだときの感動に似ている。なんとなく。

 で、久しぶりに感情の針が「楽しい」にふれて、粘土なりにワクワクしながらコンビニでお酒を買って帰った。お酒を飲みながら、アドバイスをくれた友達に楽しかったことを伝えて、いつもの習慣で睡眠薬を飲んでしまった。24時間寝た。起きたらまた夜で、骨に響くイヤな頭痛の中で、ラポスタって夢だったんじゃないかと思った。でもちゃんと記憶に残っていたから、現実だったんだよなと思い直した。ありがたい友達からは「え、死んだの?」とLINEがきていたから、スパカリのMVのリンクだけ返信しておいた。
 ラポスタの2日後に、上司にうつの診断がついたことを伝えて、7月から会社を休職して、そのまま辞めた。スパカリを聴き続け、耳元で呪文を唱えられ続けて、ここら辺で自分の人生ときちんと向き合うのも悪くないのかなと思いはじめたから。実家が「毒親」で検索したら出てくることが8割くらい揃った場所で、そのせいで小学生くらいからうっすら死にたいかもな〜っていう気持ちがあったけど、ずっとそこから目を逸らし続けてきた。
家庭とか親、家族は人間の根っこに存在しているもので、そこが歪んでいてもそれを認めるのは自分も否定されてしまうようで辛いし怖い。
でも、結局自分のことは自分しか助けられないし、そもそも歪んでたものを治すことは誰にもできない。だからせめて、目を逸らさないで、粘土からゆっくり人間に戻れればいいなと思っている。
メアリーポピンズは私の中にいる。JO1も私の人生の中にいる。
Supercalifragilisticexpialidocious
これは人生を変えてしまう魔法の呪文。

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