前世がトイレットペーパー

自分の過去の話を人にすると、重たすぎて引かれることの方が多いけど、鬱が順調に快方に向かっていて、文章を書いたり読んだり出来るようになってきたので、リハビリと記憶の整理を兼ねて書きます。
重たいのやだなーという人はフィクションだと思ってください。

私がヴィジュアル系に気が狂って拳と頭をぶん回していた中学生のころ、父親はギャンブルに気が狂いパチンコとスロットをぶん回していた。
元々家庭崩壊気味ではあったけど、ときを同じくして弟が割と重たい病気にかかったことにより(現在回復)、崩壊の速度が一気に増した。

父親は家に帰らずパチ屋をハシゴし、サラ金から莫大な額の金を借り、それでも足りずに借りられるところから金を借りまくって全てギャンブルでスッた。私は結構ギャンブルが強い方だと思うんだけど、父親にギャンブルの才能はなかったらしい。
これが母親にバレたのが弟の病気の手術と同じ時期で、家の中を家電が飛び交う喧嘩になった。
アイロンが押し入れの戸を突き破って、食卓とテレビが正面衝突していた。お互いガラスが割れないようにだけ気をつけていることを馬鹿みたいに思った。
私は子供は持たん。とこのときに決めた。
諸事情で一時実家に帰っていた時期が半年くらいあって、そのときはパチ屋でバイトしていたんだけど、イチパチで父親を見かけたから、パチンカスとは治らない病気だと思う。

中学生だった私は、毎日いつ家族がバラバラになるかということに怯えていたけど、でもどうすることもできずに音楽とネットに逃げた。和室界隈だったので襖に金属バットをかませて開かないようにして、ヘッドフォンをつけて大音量で音楽を聴いた。
静かに全員路頭に迷いはじめている雰囲気がいつもあって、それに耐えられなかった。
今はもう家族全員と縁を切ってしまったけど、やっぱり「家族」という自分の根幹が揺らぐ経験を思春期にしたことは自分の価値観に大きな影響を与えていると思う。
家族の温かさとか、優しさ、安心感みたいなものを多分あまり感じたことがなくて、初めて友達の実家に泊まったとき、家族と仲のいいところを見て、「あっこういうの嘘じゃなかったんだ!」と思った。毎日、刃物を出さないだけマシ、みたいな、小規模の戦争みたいなことって普通は起こらないんだなと知った。
のちにHIPHOPを聴くようになったときに、私より酷い家庭環境の人間が何人もいて、こ、こに仲間がおったか〜〜!となった。
私は川崎で生まれず、韻も踏まず前科がないだけで多分ほぼBADHOPだった。

 中学2年の大晦日、きっかけは覚えていないけど父親がブチギレて母親をボコボコにした。母親の顔と部屋の畳が血まみれになったことを覚えている。紅白も終わり間際で、テレビで出演者が全員笑顔で歌っているなか私たちは全員何かを叫び怒鳴り合い阿鼻叫喚だった。
楽しい正月気分はとっくに失せて、台所のシンクにあった包丁が目に入って、父親を刺せばこれは止まるのか、と数秒真剣に考えた。それで運良く正当防衛になって父親が死んでくれれば一石二鳥なんじゃないかと思った。
でも人を殺す勇気が出なかった。仕方なく、母親の上に覆い被さって、父親の拳から庇った。別にどちらも好きじゃなかったので、本当に仕方なくだった。父親も良心は残っていたようで、私のことは殴らなかった。
いつのまにか年を越していた。テーブルの上の散乱した年越しカップラーメンのスープの匂いと母親の血の匂いがした。母親は自分で救急車を呼んで、弟が畳の血を拭いていた。父親はもういなかった。私はいつの間にか空いていた窓から入る冬の風に、寒いなと思いながら、母親の握る受話器を眺めていた。
母親は顔に傷が残った。弟の中学の入学式の日、両親の二回目の離婚が成立した。(そう、なんとこの2人、この3年前に一度離婚している。私はこれで復縁は上手くいかないということを理解した。)

 元々過干渉でヒステリックだった母親がさらにおかしくなったのはここからだった。両親は元々どちらもまともではなくて、明確にどこからおかしくなったというのはなくて、元々おかしい。
どの地域にも、地元で有名な占い師、霊能者みたいな人がいると思う。母親はそこに拠り所を求めた。宗教は絶対に信じない、神はいないというのが信条だったのに、占いは信じるらしい。
行くべきは占いではなく精神科だったと思うけど、私は母親の爆発から逃げ回り、逃げられなくなると母親より火力の強い爆発で全てを燃やし尽くすしかなかったので、そんなことはとても言えなかった。
母親が占い師を家に呼んで、霊視をしてもらうと言い出し、基本的に私と弟に拒否権はないので、そいつは夕食どきに家に来た。じゃら付けの数珠以外は普通のおばあちゃんだった。クソガキだったので「ばあちゃんお洒落やん笑」と弟に囁いたりした。
私はオカルトが好きなので、なんとなく好奇心で夕飯を食べながらおばあちゃんを眺めていた。儀式みたいなものが一通り終わると、私と弟の座る食卓の近くに座り、私の顔をじっと見た。
通っていた小学校も中学校も治安が悪く、こういうとき目を逸らしたやつは舐められると思っていた私は限界まで目を見開いて耐えた。日プ3のまばたき大会、いい線行くと思う。

しばらくしておばあちゃんは口を開いた。

「あんたの前世はトイレットペーパー!」

私は今でもこのときの自分に湧き起こった感情を正確に表すことはできない。とにかく笑った。めちゃくちゃ笑った。大晦日の一件以来の笑顔だった。弟も泣きながら笑っていた。母親とおばあちゃんは神妙な顔をしていた。
トイレットペーパーが人間に生まれ変われるわけないだろうが。アホ。
私はクソガキだったけど根っこは素直なガキだったので、大人の言うことをいちいち真にうけたりしていたのが、これ以来あんまり他人の言うことを信じる必要ないな!と思うようになった。
たまにこのおばあちゃんが夢に出てくる。生き霊か、幽霊か。はたまた。
母親の占いへの執着は止まらなかった。娘の前世がトイレットペーパーだと言われてもなお止まらなかった。私はしばらく思い出し笑いが止まらなかった。おしゃべりなガキでもあったので、クラス全員に言いふらした。割とウケて大満足だった。
母親が占い師のおばあちゃんに聞き出したところによると、私は動物、トイレットペーパー、人間の順で生まれ変わってきており(これが三度転生の由来)、家庭内で魂の色が1人だけ違うらしかった。
なんで一回トイレットペーパー挟むんだよとまた笑った。書いてても思うけど、なんでこんなの信じるんだよ。おかしいだろ。元々おかしいのか。
「その魂の色の違いによって、様々な悪運がこの家に引き寄せられていると言われた。」と真剣な顔をした母親から伝えられたとき、あ、もうこの人ほんとうにダメなんだなと思った。身内に本当にヤバい人間がいる人には分かってもらえるかもしれないけど、こういう人と一つ屋根の下で暮らしていくのは無理がある。
それから間も無くして、私は自分の部屋の戸に熊よけの鈴をつけて金属バットをベットの中に入れて眠るようになった。これは高校を卒業して家を出るまで続いた。4年弱、私は母親と静かな殺し合いをしていた。
それとは関係なく、普通に幽霊が出る家だったので、ベッドに入ると複数人の男の声で般若心経を読まれたり金縛りにしょっちゅうあったり、風もないのに窓を叩かれたりもあった。
部屋の熊よけの鈴は何度かなったけど、部屋の外に誰もいなかったりもした。
もしかしたら本当に私の魂の色の違いが原因だったのかもしれないと頭をよぎることもあるけど、前世トイレットペーパーだしな…そんな力あるわけないか…と思うことにしている。

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