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BLANCHE

新宿が嫌い。
酔っ払いの喧嘩に巻き込まれたり元彼が歌舞伎でホストになったりバイト先をクビになったり、臭いしうるさいし人は多いし伊勢丹は私のカードを切らせようとしてくるし、とにかくいいことがない。オカダヤでAirPods落としたことあるし。泥酔して新宿駅から新大久保まで走ってカバンも携帯も財布も無くして知らないおばさんに「ホストに鼻を噛まれた」という話を聞かされたりしたし。

マイルド吉瀬美智子(以下、マイ吉)は新宿で働いていたときの会社の社員だった。その名の通り吉瀬美智子をマイルドにした感じの顔と雰囲気をしていて、美人だった。いつもゴヤールのトートにタイトスカートでピシッとしているのに、物腰が柔らかくて声が可愛いかった。
私はこの時期、躁状態だったので、眠らずに働いて学校に行って遊んで、翌朝出勤の電車で寝てしまうこともしょっちゅうあって、目覚めたら知らない駅にいて遅刻の連絡をすることもしょっちゅうだった。自分が躁鬱の躁状態だったことも、この時は自覚がなかった。とにかく焦燥感が頭の大部分を占めていて、24時間予定を詰め込まないと気が済まなかった。睡眠は時間の無駄だと思っていた。
コールセンターで働いていたので、保留にした瞬間に寝てしまい、保留する前に何を話していたのか覚えていないこともあった。毎日人間の身体の限界に挑戦しているような気分だった。
足を止めたら死んでしまうと思っていた。なぜそう思っていたのかはわからないけど、漠然とした恐怖があった。
 マイ吉は優しかった。遅刻の連絡も欠勤の連絡も、怒られたことはなかった。社会人として普通に「ヤバい」人間だったと思うけど、責められたことは一度も無かった。おそらくはたから見たら、ほぼ眠らずいつもハイテンションの私の様子は異常だったのに、それでも優しかった。本心なんてどうでもよくて、その優しさが嬉しかった。ネイルも毎回褒めてくれたし。
マイ吉はとにかく量を食べる人だった。ゴヤールのトートから、どん兵衛を二つ出して同時に作って交互に食べていた。そのあとお弁当バッグから手作り弁当を出してきて、それも完食していた。
ときめいた。
私はこのとき22か23くらいで、もう10代の時より全然食べられなくなっていたので、すげぇな。と、好きかも。が同時に脊髄にきた。人が人を好きになるときは脳みそじゃなくて脊髄が全てを支配する。少なくとも私はいつもそう。私は脊髄反射でマイ吉を好きかも。と思ってしまった。20年以上異性愛者として生きてきて、初めてだった。なんなら同性を可愛いなと思う気持ちもこのとき初めて知った。女の子の顔が可愛いなとか、洋服や持ち物のセンスがいい、可愛いは理解できたけど、いわゆるもう古代語になってしまった「萌える」みたいな、男性には感じたことがある、え、かわい〜!きゅん!みたいな気持ちを女性に感じたのが初めてだった。
女性アイドルを好きな友達が女性アイドルを好きな気持ちが少しだけ理解できた。ま、ちょっと違うか。
吉瀬美智子(本人)の顔が元々好きだったから、マイ吉は最初からわりと自分の中の好感度が高かったけど、この日を境に恋愛感情……なのかも!?みたいな目でしか見れなくなってしまった。
マイ吉に嫌われたくなかったので、電車で寝落ちて遅刻するのだけは気をつけるようになった。マイ吉に会うために毎日出勤した。新宿=マイ吉になった。だから新宿=わりと好きかも。まで新宿の好感度も上がった。

 恋は人を盲目にして、愛は人を全裸にする。これは当時の日記に書いていた、多分私が適当に考えた格言。なんとなく「レズ」とか「百合」で調べるうちに少女革命ウテナを全話みたり、レズビアン風俗のお姉さんに恋愛相談したりした。同性に性欲は一切感じないので、これは恋愛感情ではないのかも……になったり、でもレズビアン風俗のお姉さんが手を握って聞いてくれて、それに感動したりした。このくらいになるともう女の子というだけで、良くないか!?みたいな気持ちになっていた。なんか、女の子、可愛くないか!?という感じだった。
だって女の子、それだけで良くないか!?別に性欲を感じない「好き」があったって、よくないか!?マイ吉、かわいくないか!?
レズビアン風俗は2.3回行った。可愛い子があの手この手で楽しませようとちやほやしてくれるのが本当に良かった。(※お話のみ)
脳汁が出るという表現があるけど、まさにそれだった。私が躁状態だったということをひいても、満たされ方が凄まじかった。まぁ、誰かに自分の話を聞いて欲しかっただけな気もするけど、本当にいい体験だったので、それはそれでよい。
マイ吉の話。既婚者だった。別に女性に性欲を感じるわけではないので、既婚者だろうがなんだろうが、まあ少しだけショックではあったけど、私には関係がなかった。気持ちを伝える気なんてさらさらなく、ただ近くでキティちゃんのボールペンを使っていることとか、いつもネイルがベージュピンクで小さめのストーンをのせていることとか、香水がバイレードなこととか、パソコン越しに目が合うと笑ってくれるところとか、小さな「可愛い」と「好き」を積み重ねて癒されていた。香水はこっそりお揃いにした。
マイ吉の旦那は同じ会社の営業の社員だった。普通に気に入らなかった。顔がよかろうが、金を持ってようが、身長が高かろうが、多分気に入らなかった。挨拶は人間関係の基本というのを信じているので、誰にでも必ず挨拶をするけど、こいつにだけは適当に頭を下げていた。「おはようございます」「お疲れ様です」の「す」しか発音しなかった。私はわりとネチネチしているから。エレベーターで一緒になったらボタンはそいつに押させた。私はわりとネチネチしているから。「ありがとうございます」の「す」しか発音しなかった。挨拶の基本の「き」の部分もやらなかった。

 そいつの不倫がバレた。不倫相手も同じ社内の人間だった。隣の席のギャルが教えてくれたとき、思わず笑ってしまった。でも2秒で真顔になった。どうしたって本当に気に入らない男だと思った。マイ吉も、旦那も、不倫相手も、その後すぐに会社を辞めた。
最後の日、マイ吉にハグをされた。マイ吉も私も同性で、社内という公共の場所でハグされてもセクハラにならないことに本当に心から感謝した。
マイ吉は、「転生さんは本当に頑張り屋さんだから大丈夫。」と、私の背中を優しく叩いてくれた。あーこの人、本当に優しい人だったんだなと思って、ちょっと泣きそうになって、でも我慢した。マイ吉の香水の匂いがして、温かかった。
もう休憩がかぶった時に喋ることも、駅からの道で一緒になって2〜3分並んで歩くこともないんだなと思って、一人暮らしの部屋に帰って玄関に座り込んで靴も脱がずにちょっとだけ泣いた。旦那の顔を思い出してケッ!と思った。
でもやっぱり私は、人を好きになること≒性欲みたいなところがある人間なので、1週間くらいでふっきれた。好きじゃなくなったという意味ではなくて、ただありがとうみたいな気持ちになった。
こっそりお揃いにした香水は、欲張って50mlを買ってしまったので、未だに残っていてたまに使う。その度に「頑張り屋さんだから大丈夫。」を思い出して、別に本当は頑張り屋さんでもなんでもないんだけど、どちらかというとサボり屋さんなんだけど、それでもマイ吉がそう言ったんだからまぁそうなんじゃないかと思い直して、頑張れたり、しなかったりする。

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