エジプト人のように歩け

Apple Musicで2020年の一年間に、その人が一番たくさん聴いた曲は何か、集計してくれるというので試してみた。


おおかた一番だろうと予想していたのは、大好きなエルトン・ジョンか、作業用のEDMか、趣味で聴くディズニーのパレードの曲。しかし私が2020年に一番良く聴いた曲は意外なものだった。


バングルス “Walk Like an Egyptian” 111plays


バングルスは80年代に活動したアメリカの女性バンド。そしてそのヒット曲”Walk Like an Egyptian”(エジプト人のように歩け)


私はこのバンドについて特別熱心なファンというわけでもなかったが、この曲が「ジョジョの奇妙な冒険」のアニメEDに使われたこともありダウンロードしていた。

(ジョジョの第三部はエジプトへ旅をするストーリーなので、「エジプト人のように歩く」というタイトルやしゃかしゃか前進する曲調が合っていたのだ)


でもなぜこの曲が、他の曲を押しのけて私の2020ベストに?
いつどんな風に聴いていたっけ。思い出すと浮かぶのは、冷えた空気と暗い夜道に並ぶ街灯。

ちょうど一年ほど前、私はその時付き合っていた彼氏に愛想を尽かしていた。理不尽に疲れていた。無責任で無関心で許せなかった。でもそれはきっと向こうも同じだったのだろう。
街に満ちたクリスマスの温かい光を見ていると、私と彼の冷え切った時間が一層みじめに思えた。
そしてある日の仕事中にふと、「あ、別れよう」そう思い立った。仕事が終わり、会社を出た途端に電話した。


「別れたい。今すぐケリをつけたい。そっちの家に行くから」
「え、俺も明日仕事だし週末にしようよ」


別れたくないとは言われなかった。「俺」は明日仕事だと言ったけれど、「君」も仕事だよね、とは言われなかった。
この数か月ずっとそうだったのだ。疲れているから、めんどうだから、重いよ、そう言われそうで我慢してばかりで、顔色を窺ってやっとなにかを相談しても「個人の自由じゃない?」と言って寄り添ってくれることはなかった。


「付き合っている間ずっとそっちに合わせて我慢してきたんだから、最後くらいわがまま聞いてよ」


そう無理矢理に言って、なんとかすぐに彼の家へ向かう約束を取り付けた。


「夜道が怖い」と言って迎えに来てくれるような人ではなかった。特にこのような状況では。


私は一人、絶対悲しい結末しか待っていない場所に向かって、夜道を前進しなければいけなかった。


その時に聴いていたのが”Walk Like an Egyptian”だった。男にはこりごりだ~という気持ちからガールズバンドの曲を聴いたのだと思う。


イントロはどこかエキゾチックでいびつな音色のパーカッション。遠くでなにかを建築しているような低い金属音と、歩く度に揺れるキーリングのようなしゃかしゃか。
 


 “墓に刻まれた絵は 砂の上で踊っているの 知ってた?
 あんまり速く動いたら ドミノみたいに崩れちゃう“
・・・
 “円を持った日本人も ソ連共産党の男たちも
 中国人たちも知っている みんなエジプト人のように歩くの“ (筆者和訳)


失恋に向かって特攻する片道には似つかわしくない、奇妙奇天烈で陽気な音楽だった。
その意味の分からないしゃかしゃかに合わせ、私は怒りを込めてズシンズシンと歩いた。
 


ひどい、ひどい、こんなに、こんなに、
つらくて、くるしい、私、ばっかり、
許さない、許さない、でも、でも、
好きだったのに、幸せだったのに、
いったいいつからこんなことになってしまったの・・・


リズミカルに揺れていた街灯が、涙でぐらりとにじみ始めた。まずい。


タンバリンに合わせて奇妙な詩を歌っていたガールズバンドの声が、サビに差し掛かって急に低音でこう囁いた。


“Walk like an Egyptian”


エジプト人のように歩くってどういうことだろう。幸せの幻影を追い払うように、私はエジプトへと思いを巡らせた。


壁画に刻まれた、一列になって歩くエジプト人。
草食動物のように真横についたまぶた。
肉食動物のようなするどい白目。
からからに乾燥した砂漠のように、心を感じさせない表情。
けれど確かに歩いている。どんな生き物も神様も、一列になって歩いている。
私も今その一部になって歩こう。歩け、歩け。大股でズシンズシンと歩け。
悲しみに飲まれないように、悲しみを忘れないように、
前に進むエネルギーに変えて、歩け、歩け。

彼と別れてまもなくして、2020年がやってきた。
たくさんの不安があった。悲しみがあった。不安に、悲しみに、時には喜びや期待や興奮さえも、私を襲った。感情に飲まれて叫びたくなりそうな瞬間があった。濁流のような感情に支配されると、私はもう目の前に転がるティッシュごみをどけることすらできなくなるのだった。
 

そんな時は、”Walk Like an Egyptian”を聴きながら夜道を歩いた。

歩け、歩け、前へ、前へ
飲まれるな、忘れるな
前進する歩みに変えていけ

歩いていると、リズムが生まれ、景色が変わった。

Apple Musicが数え上げた111plays。

111回。

私はこの一年で、111回も感情の高ぶりを感じて、踏み越えてきたんだ。

この一年間の、切ない習慣の積み重ね。その111回の前進が、私をこの場に連れてきた。



年の瀬に。

奇しくも等間隔に並んだ3つの”1”は、あの冬の夜の街灯に似ていた。



(注1)文中の日本語曲名や日本語歌詞は筆者が勝手に和訳したものです。

(注2)文中の「エジプト人」は古代エジプト壁画の登場人物をイメージするものです。ステレオタイプですが、バングルスの原曲の世界観を尊重してこの表記にしています。

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