見出し画像

【つぶやき#11】 オーストラリアの庭

昔から、お花に興味があった。しかしお花にまつわる職業に就きたいとは思っていなかった。

音楽と美術が好きだから、仕事をするならそういった仕事をする人間になりたかったし、何より植物、自然物は究極の美しさがあるから、人間が手を加える必要がない、みたいな気持ちがあったからだ。
仕事を辞めて留学し、オーストラリアで朝から晩までガーデニングをしていた。それはいわゆる「秘密の花園」みたいなハイセンスでオシャレなお庭ではない。それは手をほとんど加えていない、いろんな植物が生い茂っているお庭で、カンガルーのフンが落ちていたり飼われている犬がウサギと追いかけっこして殺してしまったウサギの死骸が落ちていたり、自然界を凝縮したようなものだった。伸び切った雑草を刈り、ヘッジトリマーで庭木を一回り小さくする。ブラックベリーの茎が腕に刺さって血を流しながら、ひたすらに刈る。ローズマリーのツンとした香りと、ウサギ、カンガルーの匂いが混ざり、時間という概念を忘れていた。
お庭が綺麗になると同時に、ああ、このお庭には自分の「これが美しいだろう」というエゴが混ざってしまった、と気づいた。人間が生活する上で、目に入った時に美しいと思える具合いを調節してしまった。大量の刈られた草を見て、悲しくなった。
しばらくするとホストファミリーのお母さんがマーガレットの植木を買ってきて、梳いてすっきりした土に植え替え始めた。本来、その行為がなければ刈られなかったかもしれない草と、自然の恵をたっぷり受けたお庭の土に、植えられなかったかもしれないマーガレット。生と死が生まれる瞬間を見た気がした。

植物を部屋に飾ろうと思った人間は罪深い。美術や音楽と同じで、生きるためには無くてもいいかもしれないけど、自分らしく生きるためには必要な存在。飾るために生み出された仕事、技術、ツール、お花。世界中のお花屋さんは、生活に彩りを加える運び屋なのかもしれない。神の使い手みたいなものなのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?