いつかはノスタルジー

10週目

十中八九の予想がリアルに変わる瞬間には、喜びも戸惑いも存在せず、ここ数日間浸っていた不調の理由にただただ納得した。
命との向き合い方もわからないくせに、体内に住まうもう一人の生命に会ってみたいと願ってしまった。生む以外の選択肢は頭に浮かばなかった。

薬局で購入できる検査キットを試すこともなく産婦人科を訪ねた。野生の感でも、女の感でも、もちろん神のお告げがあったわけでもなく、ネット記事に書かれた妊娠の兆候にピッタリ合っていることと、何よりあの夜の記憶が産婦人科の予約を後押しした。戸惑いという感情は体調不良に抗いながらネット記事を読み漁っていた先週末でピークに達し、受診する覚悟をもてたときに若干、和らいだ。産婦人科へ予約の電話をかけたときの数秒間のコール音は、戸惑いが憑依して音を立てて追いかけてきたように感じたが、柔らかな声と反し機械的に対応する電話口の女性との会話が終わった瞬間に出た溜息とともに浄化されていった。戸惑いを乗り越えたからこそ、担当医と対面することができたのだ。今更に感情的になる気力が残されてないだけかもしれないが。

待合室で会計を待っている間に眠りこんでしまい、膝をトントンと叩かれ目を覚ました。看護師なのか事務職員なのか判別はできないがナース服を着た女性がしゃがみこんで私の顔を覗き込んでいた。心配げに眉を下げていた。10分やそこらの時間だっただろうが、ひさしぶりに眠れたこと、目を覚ました時に一人でなかったことと膝に置かれた手の温かさが嬉しくて涙が出そうになってしまった。覚悟と強さはイコールではない。どれだけ覚悟を決めたからと言って、無感情に突き進むことなんて私にはできないだろう。だから、私の覚悟は「母は強し」ではなく、弱音をはく瞬間も、傷つく出来事も、喜びを声に出すことも、何かを神頼みしてしまう気持ちも、全てを私の人生として語る覚悟だ。
体調を気にかける言葉で再び、優しさと温もりが体中に染み渡った。「大丈夫」と言いながらつくった笑顔がよほど緩んでいたのか、彼女は少し拍子抜けした表情になったが、すぐにハツラツとした笑顔を返し、会計窓口へ案内してくれた。

会計窓口のカウンターに置かれた時計を見ると、10:30だった。早い時間に予約していたので、昼前に終わってしまった。人生の一大事を迎えたというのに、外に出て見上げた空は清々しい晴天やノスタルジックな茜色とはいかなかった。もう少しドラマチックな演出ができる時間帯にすればよかったと思いつつ、この空への不満も数年後にはいい思い出かもしれないなと、空を見上げながら深呼吸をした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?