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二十年の片想い 15

15.
「花枝ちゃん。俺、おみやげは夕張メロンがいいって言ったと思うけど」
「将来、お金持ちにでもなったらね」
「白い恋人、か。花枝ちゃん、のろけちゃって」
「北海道のおみやげの定番じゃん」
 夏休みが明け、最初の授業の教室に入ると、花枝、高村、片山の三人が喋っていた。楓は、演劇サークルの同期と同じ感覚で喋ればいいんだと自分に言い聞かせ、思い切って声を大きくして、笑顔で自分からあいさつした。
「おはよう。久しぶりだね」
「あ、楓、おはよう。久しぶり。元気だった?実家に帰ってたんだっけ?」
 花枝が少し驚いた様子で、真っ先に応じた。
「少しだけ。あとは、演劇サークルの旅行に行ったり、九月からは稽古も始まったし」
「秋山さん、前と随分感じが変わったね。なんか、明るくなったよ。夏休み、何かいいことあった?」
 片山も驚いた顔を見せ、初めて見る楓の笑顔にいつもの笑顔で応えた。
「うん。少し」
「楓、急にどうしたの?もしかして、彼氏できた?」
花枝は楓の小さな目を、しげしげとのぞきこんだ。化粧も全くしていない。髪型も変わっていない。服装も特に変わっていない。中身が、変わったのだ。表情がいきいきしている。喋り方も前期とはまるで違って、はきはきしていた。
「そうじゃないけど、今度は、台詞のある役をもらえたの」
「へえ、よかったね。本格的に女優を目指し始めたとか?」
 高村も初めは驚いた様子だったが、ごく普通の女子学生になった楓に、ごく普通の友達として喋った。
「そこまでは……でも、後期は演劇サークルの活動も、もっと一生懸命やろうと思ってるの」
 高村の癖であるまっすぐな視線には少し戸惑ったが、がんばって目を逸らさずに、笑顔を通した。
「楓。すごく変わったよ。すごく成長した。ほっとしたよ。嬉しいよ。それが本当の楓なんだね。あ、これ、北海道のおみやげ。食べて」
 花枝は涙を流しそうなほど、楓の成長ぶりを喜んでいた。
「ありがとう。いただきます」
 楓が笑顔でお菓子の小袋を開けようとした時、大野が教室へ入ってきた。少し日焼けをした大野の姿を見るなり、楓の鼓動は大きくなった。「違う違う。やめて。静まって」と、必死で願った。
「久しぶり。なんだお前ら、かりんとうみたいに真っ黒」
 大野は片山と高村の日焼けっぷりを笑った。
「久々に会った第一声がそれかよ。何度も足繁く海に通った結果だよ。お前、土壇場になって、やっぱり行かねえ、とか裏切りやがって」
「気が変わったんだよ。貧乏脱出のためにバイトに励むことにしたんだよ。ところで、いい女は見つけたのか?」
「いいこと聞いてくれたな。俺たちがちょっと本気を出せばちょろいもんよ。な、高村」
「白鷺大ビーチバレーチーム作戦、見事に成功。片山とも息ぴったり」
「いやいや、キャプテン高村のおかげですよ。他大のやつらも、高校生のガキも、社会人のやつらも、誰も手も足も出せないほどの、スーパープレーのオンパレード。さすが元バレー部。俺まであやかって、水着ギャルたちの黄色い声援を浴びっぱなし。気持ちよかったなあ」
「いやいや、片山くんのお膳立てのおかげですよ。誰にでもにこやかに、ちょっと一勝負しませんか?あんな真似は俺にはとてもできませんよ」
「いえいえ、あっしの特技といえばそんなことぐらいですから」
「いえいえ、その大いなる特技のおかげで何試合もできたんですから。それに、いいトスを上げてくれるし、アタックだって何気に上手いじゃないですか」
「いえいえ、キャプテンがいい指示をてきぱき出してくれたからこそできたんですよ」
「いえいえ、片山くんが機敏に動いて砂まみれになってくれたからですよ」
「いつまで譲り合ってんだよ。それじゃいつまで経っても終わんないだろ」
 大野は「相変わらずなやつらだ」と笑いながら、二人の「漫才」を止めた。
「漫才のコンビも息ぴったりだね。そんな試合ならあたしも見てみたかったよ」
 花枝は、ふったふられたの域を超えて、二人のやりとりを笑いながら聞いていた。前期は暗くうつむいてばかりいた楓は、初めてきちんと聞いた「漫才」が新鮮でおもしろく、時に笑い声まであげていた。
「っていうか、漫才になってないだろ。ボケもツッコミもないし、オチもない。で、水着ギャルに囲まれて黄色い声援を浴びて?肝心の……」
「超美人ゲット!鴨之池大学一年、羽田千佳(はねだちか)ちゃん」
 大野の言葉を遮って、片山が自慢げに「ゲット」した女子学生の名を行った。
「ここから近くじゃないか。よかったな。いつでも会えるじゃないか」
「見た瞬間、運命だと思ったね。サーブを打とうとしたその時、きらきらした目で俺を見ている、一際まぶしい、白いビキニを着た美女が……」
「俺のほうも超美人。胡蝶蘭女学院一年、野島恵(のじまめぐみ)ちゃん」
 いつまでも話をやめようとしない片山を遮って、今度は高村が自慢げに言った。
「こちょうらん?そこ、すごいお嬢様学校だぞ。よく相手にしてもらえたな」
「そうなのか?ぜんぜん気取ってなかったし、ブランドじゃらじゃらでもなかったし、普通に会話できたぞ」
「お前がいいならいいけど。二人とも、おめでとう」
「大野も来ればよかったのに。よりどりみどりだったぞ」
「大野。世界は広いぞ」
「俺は、気が向いたらでいい」
 浮かれる二人に対し、大野は以前と変わらぬ落ち着いた口調で言った。聞いていた楓は、ふと、心が翳るのを感じた。美咲をあきらめることができないのかと。
「大野くんはバイトづけか。偉いね。また一段と男っぷりをあげたみたい。はい、これ、北海道のおみやげ」
「ありがとう。ああ、小谷さん。こいつらの漫才がうるさくてあいさつが遅れました。久しぶり。どうだった?彼氏との北海道は」
「ありがとう。もう最高だったよ。釧路湿原もよかったけど、やっぱり美瑛の丘が一番よかった。メルヘンの世界みたいで、二人でロマンチックに。昼も夜も、熱い毎日だったわ」
 花枝は冗談めかして色っぽい声を出してみせた。
「小谷さん、のろけすぎ」
「だって、幸せなんだもん」
「こらっ。そんなこと言ってると俺が花枝ちゃんをさらっちゃうよ」
「痛いっ。だってぇ~」
 大野も冗談で、花枝の額に軽く「デコピン」をした。夏休み明けの教室は、やはり夏休みの話で盛り上がる学生たちで、明るく賑やかで、一人一人が新鮮に輝いて見えた。九月の新しい光が、新しい風が、きらきらとまぶしく、教室全体を包んでいる。後期は楽しい学生生活が送れる。楓はそんな予感がした。
 問題は、大野のことだった。心臓の鼓動は、どくん、どくんと、大きくなったまま、音量が下がってくれない。「この人はただのクラスメイト、ただの友達」と何度も言い聞かせた。それでも心臓は言うことを聞いてくれない。意識しすぎかもしれない。片山や高村と同じように、普通に、普通に、喋ればよいのだ。鼓動は仕方なくそのままに、顔だけは平静を装い、笑顔で声をかけた。
「久しぶりだね、大野くん」
「久しぶり。秋山さん、なんか、すごく変わったね。明るくなったよ」
 大野は楓の顔をまじまじとのぞき込んできた。
「ありがとう」
 大野の顔がすぐ目の前にあって、心臓は爆発寸前ぐらいになったが、楓はなんとか、にこっと笑ってみせた。
「笑うとかわいいね」
 顔がぼっと熱くなった。そんな褒め言葉を、人生で言われたことはなかった。しかも大野が、変わらぬ声で、やさしい微笑みを向けてくれて。お世辞は言わないと思う。
「いい女になったよ。彼氏できたの?」
 途端に楓の笑顔は凍りついた。最後の言葉が、鋭い矢のようにぐさっと胸に刺さり、予想以上に痛かった。「明るく」「かわいく」「いい女に」なれたのは、悲しくも大野のおかげだった。まだ恋人をつくるなどとは考えていなかった。大野への恋そのものを否定してしまった楓は、大野本人を目の前にして実際これほど心が揺さぶられていることが、大野をまだ想っている証拠なのだということが、まるでわかっていなかった。
「これからつくるの」
 それでもにこっと笑って答えたが、声はかなりうわずっていた。
「今の秋山さんなら、きっといい男がすぐに見つかるよ」
 二本目の矢がぐさっと刺さった。笑顔を維持するのもしんどくなってきた。
 そこへ美咲が教室へ入ってきた。
「みんな、久しぶり」


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