見出し画像

二十年の片想い 20

20.
「美咲。何かあったの?地元の彼とは別れて、晴れて自由の身になったんじゃないの?大野くんじゃだめなの?」
 文学部棟の広いロビーに設置されたソファに、美咲と花枝は座っていた。美咲の思い詰めた顔に、花枝は小さな声で聞いた。美咲は花枝の目を探るように、すがりつくように見ると、一息おいてから、逆に聞いた。
「花枝は、あたしの気持ち、知ってた?」
「もしかして、高村くん?」
 花枝は遠慮がちに聞いた。美咲は黙ってうなずいた。
「いつから?」
「五月。晴れててさわやかな風が吹いて、すごく気持ちのいい日だった。大学の門を入ったところで、あたしの帽子が風で飛ばされて、銀杏の木のすごく高いところに引っかかってしまったのね。どうしようか困ってると、ちょうどそこに高村くんが来たの。授業に向かう途中で、ほんとに偶然会ったの。どんなに背の高い人でも絶対に届かないような高いところだったのに、高村くん、余裕だって言って、すっごく高くジャンプして、帽子を取ってくれたの。元バレー部だって言ってたでしょう?それにしても半端なジャンプ力じゃなかった。もう、飛び立つ鳥のように見えたもん。かっこいいと思って、その時、純粋にときめいた。しかも、帽子が似合うよねって言ってくれて、あたし、ぱあーっと花が咲いたみたいに嬉しくて、その日から、密かに見ていた」
「そんな前から?初耳だよ。そんな素敵な話、どうして言ってくれなかったの?それならあたし、応援したのに。高村くんは、確かにあたしを見てたけど、美咲のそんな気持ちを知ってたら、高村くんには美咲を勧めてたよ。あたしは……ごめん、正直、二人の美男に想われて、天狗になってた。七月になってからかな、あれ?美咲もしかして?って、何回か思ったことはある。でも、気のせいかと思ったり、そうこうしているうちに大野くんが急浮上したでしょう?絶対二人はお似合いだと思って、美咲は地元の彼とはうまくいっていないのかなって勝手に決めて、そっちを必死で応援して。だけどあたし、すごく余計なことしてたんだね」
 美咲の親友でいたつもりの花枝は衝撃を受け、落胆し、ひどく寂しい目を向けた。
「ごめんね。結果的に隠してたってことになるよね。でも、あたしは地元の彼氏とまだ、一応、遠距離恋愛中だったから、表には出さなかった。ちゃんと自由の身になったら打ち明けようと思ってた。すごく遅くなったけど、今こうして花枝に話してる」
 美咲は別件で相談があるのだが、思わぬ花枝の落胆ぶりに、逆に励ますような形で事情を話すことになった。
「それでね、先週、高村くんに、百パーセント見込みがないことは確定してたけど、気持ちだけはちゃんと伝えたくて、告白した。もちろん、見事にふられたけどね」
「ちょっと待ってよ。そんな、先週だなんて、何も言ってなかったじゃない。お腹痛くて休んだって言ってたじゃない。なんでそんなに隠すの?あたし、そんなに信用されてないの?美咲は、あたしが、嫌いなの?」
 美咲は事実を打ち明けたのだが、花枝はすぐに報告を受けないと気分を害するのか、押しつけがましい親友モードを全開にしてきた。美咲にはそういうものが少し鬱陶しかった。思わず苛立ってしまい、声を大きくした。
「なんでそう飛躍するの?あたしが花枝を嫌いなわけないじゃん。だから今こうして正直に話してんじゃん。だからこうして、相談に乗ってほしくて連れ出したんじゃん」
 初めて聞く美咲の怒声に、花枝は驚いた目をした。
「ごめん。花枝はほんとに、最高の友達だよ。花枝のことは好きだよ。花枝といるとすごく楽しいし、頼れるお姉さんだと思ってる。ただ、花枝は、完璧すぎて……誰もが振り向く美人だし、頭もいいし、性格もいい。全てがそろってる。大きく照らす太陽みたいに明るく輝いてて、まぶしすぎる。高村くんが花枝を好きになったのも、よくわかるよ。あたしは花枝に、嫉妬してたんだよ。高村くんが、いつも花枝ばっかり見てたから」
 美咲は自分の醜い本音も、正直に言った。
「それは仕方ないじゃん。高村くんが好きになったのが、たまたまあたしだっただけじゃん。あたしが美咲から奪ったわけじゃないじゃん」
 花枝も思わず声を大きくした。過去の経験上、親友に絶交されてしまうことを極度に恐れていた。
「嫉妬してるのはあたしだって同じだよ。あたしは、極端に言えば、つまらない優等生だよ。顔もそこそこ、頭もそこそこ、性格もそこそこ、これといった個性がない。でも美咲はどう。ただ美人だってだけじゃなくて、女のあたしから見てもぞくっとするほどの色気があって、ファッションセンスもよくてお洒落だし、フランス語とか絵とか、ずば抜けた特技があって、大胆で、遅刻も怖い先生もテストも何をも恐れない大物で、そんな美咲が、羨ましい。あたしは美咲を、尊敬してるよ」
 花枝も本音を言った。真摯な目で、真摯な声で、最後の一言を言った。
「ありがとう。そんな風に言ってくれた友達は、花枝が初めてだよ」
 美咲は照れた微笑みを向けた。花枝も微笑んだ。美咲は安心して、本題に入った。
「相談っていうのは、ふわついたあたしの心を、どうしたらいいのかってこと」
「どういう意味?」
「高村くんに告白して、わかってはいたけど、木っ端微塵にふられました。わかってはいたのに、ふられたショックは想像以上に大きかった。あたし、トイレに駆け込んでわんわん泣いたんだよ。涙が勝手に流れてきて、かなり泣いた。思いっきり泣いたら少し落ち着いて、サークルの誰かを誘って思いっきりテニスをして、汗とともに忘れてしまおうと思った。ところが、洗面所を出た途端、そこでまた偶然、会ってしまったんだよ」
 美咲は初めに見せた、すがりつくような目を、花枝に向けた。
「誰に?」
「よりによって、十分前にあたしをふった男(ひと)に、似ている人に」
 美咲は大きくため息をついた。その目は困惑していた。
「高村くんに似ている人が、サークルにいたの?」
「前に告白されたことがあって、その時は一応、遠距離恋愛中だったから、断った人。三年の坂本さんっていうんだけどね。あの偶然は、残酷すぎる。なんで、あの場で、よりによって。あたし、つい、すがりつくようにテニスに誘って、一緒にテニスして、ごはん食べて、それで……いくとこまでいっちゃった」
 美咲はさらに大きなため息をついた。
「それは、好きな男(ひと)に似ている人が、目の前に急に現れたんじゃ、しかもそんなタイミングで……その、サカモトさんとは、その後……?」
「つきあうことになったよ。笑った顔が素敵な、いい人なの。テニスと写真が趣味なんだって。山にドライブに連れて行ってくれた。空気がおいしくて、滝のしぶきが涼しくて、緑がいきいきしてた。あの人が写真を撮ってる姿を見て、自然ってこんなにもきれいなものだったのかって、新鮮な感動があった。あたしの写真もいっぱい撮ってくれた」
美咲はそれでも浮かない顔をしていた。
「だったら何も問題ないじゃない。うまくいきそうなんじゃない。顔は似てて、性格も良くて、美咲を想ってくれてて」
「大野くん、なんだけどさ」
 大野の名を口にした美咲の目には、困惑と淡い輝きが混在していた。
「あ、今、美咲のために必死で宿題をやってくれてるんだよね。新しい彼氏ができたのなら、大野くんにはちゃんと言わないと」
 美咲に新事実をいろいろ聞かされ、花枝は大野のことを忘れていた。
「そこが問題なんだよ。ふわついてるんだよ」
 美咲は少し声を大きくして言った。
「え?大野くんのほうがいいってこと?」
「坂本先輩も、確かにいい人だし、あたしを想ってくれている。大野くんは、なんていうか、もっと強くて、激しいものを感じる。見た目は大人びて、落ち着いてて、いつも冷静で、やさしくて……だけど、内に青い炎を秘めたような、強い目をしてる。惹きつけられていきそう。深くて青い湖に吸い込まれそう。そんな、逆らい難い目をしてる。なんていうか、お前は絶対に俺を好きになる、みたいな目?そしてあたしも、いつか必ずこの人とつきあうことになる、そんな予感がするんだよ」
「大野くんに運命を感じる、みたいな?」
「運命というか、強い結びつきがあるような……だからといって、こんな短期間で坂本先輩を二度もふることはできない。すごい繊細な人なの。前に断った時なんて、落ち込みがひどかったみたいで、二週間ぐらいサークルに顔出さなかったし。今度ふったら自殺でもしそう。それに、心のどこかでは、高村くんの面影を求めてる。そっくりってわけじゃないけど、笑った時、ふとした時、あれ?って思って、ときめいたりする。別人だとわかってがっかりするわけじゃない。坂本先輩には、また違った良さがある。だけど一方では、心のずっと奥には、大野くんに惹かれつつある自分もいる。自分の中にも大野くんと同じ、青い炎が潜んでいるような気がする。何て言ったらいいのか、好き、とか、そういう単純なものとも違って、もっと、なんかこう、うまく表現できないけど、大野くんとは、もっと深くつながっているような、そんな気がする。でもよくわからない。花枝は、どう思う?」
 花枝はしばらく考え込んでから、口を開いた。
「サカモトさんにはサカモトさんの良さがあって、普通につきあって、悪くはなさそうだよね。大野くんには、不思議な魔力のようなものがあって、深い縁を感じる、か……大野くんは確かに魅力的だよね。見た目も、背も高いし、顔だって美形のほうでしょ。すごく頭もいいでしょ。声も素敵でしょ。何よりあの、美咲の表現を借りれば、深くて綺麗な青色の湖のような、女の人を惹きつけて止まない、独特な魅力があるよね」
 花枝はごく一般論として言った。個人的には、大野は花枝のタイプではなかった。
「美咲は、大野くんの魔力に惑わされているのかも知れないよ。基本、タイプは高村くんなんだよね。大野くんとはぜんぜん違うよね。サカモトさんは、もちろん顔だけじゃないだろうけど、嫌じゃなかったから、つきあい始めたんでしょう?うまくいきそうなんでしょう?だったら、やっぱりそのまま、サカモトさんでいいと思うけどな。ふられた直後に偶然出会ったって、それも運命だったのかもしれないよ」
 美咲は考え込んだ。坂本は……悪くはない。いや、悪くないどころか、最高ではないか。顔は高村に似て、繊細だが撮る写真はどれもやさしく輝いていて、やさしく抱きしめてくれる。つきあって日が浅いが、これから少しずつ、好きになってゆく。美咲はこの時そう思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?