「やり直せる」魔法の言葉
アルコール、薬物、性犯罪・・・。
依存症になってしまい、罪を犯し逮捕され、一度は更生するものの、再び罪を犯してしまう。この人たちのなんと多いことか。
ではなぜ再犯していまうのか?
それには「やり直せる」という優しい社会の魔法の言葉が呪いになっているように思える。
依存症になった場合、生活もままならず、どこかおかしくなってくるから逮捕に至ってしまうんだと思う。そのために借金をするようになったり、仕事を辞めてしまったり。
だが一度逮捕までされると、更生治療を受けるし、物理的にそれから遠ざけられるので、誰が見ても生まれ変わったかのように立ち直ったと思えるようになる。
自立した生活をし、仕事も安定し、受け入れてくれる友人もできる。
「自分は人生をやり直せた」という大きな自信がつく。
その頃には年齢を重ねたことにより、実際いろんなことが出来るようになる。一度社会から外れてしまったけれど戻ってこれた、やり直せたという自信が、今度はまた中毒のようになる。
「ここまでやり直せたのだから、また失敗しても大丈夫だ」
多少のことでは動じなくなり、何か問題が発生してもリカバリーできるという自信になる。依存症までいかなくとも、転職を繰り返す人にもこのループにはまっている人はいるのではないだろうか。
そしてまた犯罪に手を染めてしまう。
周りの環境とか、キャリアを重ねたことでのプレッシャーだとか、色んな要因があるとは思う。しかしこの「やり直せる」という自信過剰もまた、再犯につながるトリガーなのではないかと気にかかってしょうがない。自信がつくと同時に反省が薄くなっていってしまう。
一度くじけてもまたやり直せるという社会は、とても素晴らしい仕組みだとは思う。犯罪をおかしても、きちんと罪を償い、更生したひとが、普通の生活をできる世の中は大切だ。
しかしその罪を忘れてはいけない。やり直せるからまた失敗しても大丈夫だ、などと思わないように、この呪いの言葉に代わるメッセージを考えていかなくてはいけない時代になっているのではないか。
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