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「愛国殺人」~ クリスティ―・プロジェクト その28

 しばらくごぶさたいたしました、マイ「クリスティ―・プロジェクト」。4月の年度初めの喧騒をなんとか乗り切り、待ちに待った連休を迎えて気分爽快であります。久しぶりに名ドラマシリーズの「名探偵ポワロ」を観ると、改めて歴史に残ってきた作品の偉大さを感じます。駄作を垂れ流しても開き直っているような、どこぞのテレビドラマの制作陣には見習ってほしいですね。

 さて、今回は「愛国殺人」(1940年)。一回目に読んだときは、途中から斜め読みになってしまった。                      冒頭のつかみはよかった。最初に死ぬことになる歯科医師のモーリイが朝食の際、不機嫌に妹ジョージイナと交わす会話は、いつものアガサの巧みな語り口。国の要人ブラントが会議で落ち着かない様子は、歯医者行きを控えていたためと周囲に推察される。そして、我らがポアロもイヤそうにしながらも、年に二回の行事として仕方なくモーリイのクリニックに向かうが、これらの描写はこの先の展開を楽しみにさせる。古今東西、みんなキライな歯医者さん。今でもイヤなんだから、当時の治療の様子など想像すると、「ドリル」なんて文字を見るだけでブルブルである。このように本作は読者の「共感」を得て始まるのだが、どこで失速するかというと政治的情勢の話が出てきたあたりからである。今まで読んできたクリスティ―の作品では、およそ政治がらみのもので名作はなかったので、ああ、またかと思ってしまったのだ。ドラマを観るために思い直してもう一度トライしたら、実は政治の話はそれほどの影響でもなかったのだが、たとえば「外国人嫌い」の革新思想の台頭の現れとして、ポアロが登場人物に邪険にされる場面が多いのはあまり気持ちのよいものではなかった。ブラントの姪のジェインは、恋人レイクス青年に思想的にすっかり感化されて保守の体現者にみえるポアロに悪態をつくが、自分もブルジョア層にいるのにブルに反発するという矛盾のわからない、よくいるタイプのバカ娘で魅力はない。                          登場人物は相変わらず多いが、いわゆる「キャラ立ち」に乏しく、途中、何度も最初の「登場人物一覧」を見直すことに。ポアロも、最後には犯人としっかりと対決し信念を貫くものの、途中「昔は良かった」式の郷愁に駆られる姿は、なんだかすっかり爺むさくなってしまっていてがっかりした(それでも「女性の中の女性はロサコフ伯爵夫人」と思い出すことは忘れていないのだが・笑)。                             苛立ちの一因は、モチーフとして使われたマザー・グースにもありそうである。「いち、にい、わたしの靴のバックルを締めて」という歌にならって、各章題が「さん、しい・・」「ごお、ろく・・」と続き、最後は「じゅうく、にじゅう、私のお皿はからっぽだ・・」で終わるのだが、この数字のひらがな表記を見ると個人的な感想だが、なぜかイラっとするのである。この犯行は見立て殺人ではないので、章題は内容を表しているわけでもなくこじつけ感もある。これが英国のように本の題名にもなっていたら、まず手に取らなかったと思うので日本では変更したのはよいが、米国のように「愛国殺人」としたのはちょっと芸がないかも。かと言ってよい対案があるわけではないのだが。

 映像化作品は「名探偵ポワロ・第33話」(1992年・英国)。このような地味な作品を映像化してくれたことに感謝したい。             本作品は、ブラントがカルカッタで結婚を決めるところを冒頭に描いたりして構成に工夫を凝らしており、原作をを知っているとよく意味がつながるようになっている。登場人物も大幅にカットをしてすっきりさせているのでおさまりはよいが、ミス・セインズバリイ・シールなど、舌を噛みそうな人物名は踏襲されている。                        演者はイメージ通りによくはまっていて、ルックスの良い人ばかりである。要人ブラントは風格がある紳士。歯科医師モーリイの妹ジョージイナは、原作で「擲弾兵」と描写されているのにピッタリ。犯人として捕まるフランク・カーター青年、ブラントの姪ジェーンは美男美女で、このようなマイナー作品にはもったいない気も。これまた殺されるギリシャ人のアムバライオティスは原作ほど野卑ではない。日本語吹替は小林清志で、そう言えば「ルパン三世」の次元大介みたいな感じです。                         ポアロは最後に真犯人と対決するが、原作では描かれていた犯人の人となりがドラマでは省略されているために、真犯人の「愛国殺人」としての正当性の主張に説得力がない。ポアロも正義を貫くことになんらためらいも持たないが、原作では、完全なクズ男のカーター青年を救うために真犯人を突き出さざるを得ないことへのポアロの逡巡がひとつの山場となっているので、少々深みに欠けることになったかもしれない。原作を読み直しておいてよかったと思った。

次回は、名作「白昼の悪魔」(1941年)です。      (2120字)