
アレクサンドリアの魂と記憶のシステムについて
7.0のメインストーリーをプレイしていて非常にひっかかりを覚えたのが、アレクサンドリアにおける魂と記憶のシステムです。
そこで、暁月までの旅で見てきたことを重ね併せつつ、このシステムがどのようなものなのかを考えてみようと思います。
得られた情報をできるだけフラットな視点で見ようと努めていますが、一部、批判的な言説も含まれています。
この文章は以前にふせったーに書いた文章を下敷きにして、以前には見落としていた部分に訂正を加えたり、新たな内容を書き足したりしたものです。
主に基としている記事はこちら
その他、以下の記事内容も取り込んでいますが、こちらは今回の文章を書くにあたって改めて考え直し、かなり変更を加えています。
また、メインクエスト以外に下記のクエストのネタバレが含まれています。
万魔殿パンデモニウム:天獄編
至天の座アルカディア:ライトヘビー級
タンクロールクエスト 黄金編 Lv96クエスト
生命体のエーテルを構成する三要素
まず、FF14の世界において、生命体の宿すエーテルとはどのようなものなのかを確認しておきます。
暁月のLv82メインクエスト「シャーレアン魔法大学」では、モンティシェーニュ教授が生命体が有する三つのエーテルについて説明しています。
以下にその要点を書き出します。
生命体の有するエーテルは、魂・記憶・生命力の三つで構成されている。
生命力は流動的であり、日常的に摂取と消費を繰り返している。
魂はそうそう変化することはない。
記憶は魂と固く結びついている。
そして、この記事を書き始めるにあたって特に重要だと思われる点――星海に還った魂がどうなるのかという部分を引用します。
モンティシェーニュ:
星海では、すべての魂が洗われる。
まずは汚れ……すなわち魂や記憶に付加されたものが消え……次いで、記憶が溶けて消えるのじゃ。
……ごくまれに、消えない刺青のように残る記憶もあるそうじゃがの。
アリゼー:
洗われた魂は、どうなるの……?
モンティシェーニュ:
ほどけて無垢のエーテルとなり、いずれ別のエーテルと結びついて、新たな魂を形作るとされておる。
一方で、ほどけないままで物質界に流れ、別の生命として再誕する可能性についても、長年提唱されておる。
ワシ個人としては、いずれかが正しいのではなく、どちらの場合もあり得ると考えておるがの。
生命体が死ぬと、魂は星海に還り、そこで魂から記憶が溶け去っていくのだと説明されています。
Lv89IDであるアイティオン星晶鏡で、光の戦士たちは知人と思しき存在と出会っています。
彼らがこちらを知人と認識できるのは、まだ生前の記憶を保持しているからでしょう。おそらく彼らは魂が洗われている最中なのであって、やがてはすべての記憶を失っていくのだと考えられます。
では、記憶と魂のいずれにその人の本質が宿っているのか。
「その人の本質」を何に見て取るかによって変わってくるでしょう。
ただ、FF14の世界には「転生」があるとされています。
同じ魂を持っていて、生まれ変わって別の人生を歩んだ人物について見てみれば、「魂」とはいかなるものかを掴む手がかりが見つかるかもしれません。
同じ魂を持つ存在
転生前と転生後を見比べる例としてわかりやすそうなのは、ヘルメス-アモン-ファダニエル、ではないでしょうか。
古代人ヘルメスは第三星暦の原初世界にアモンとして転生し、後にアシエン・ファダニエルとなりました。そしてファダニエルとなった時に、ファダニエルの記憶のクリスタルから古代人の頃の記憶のいくばくかを受け取っています。
アモンとして転生して以降の彼の自己認識は、ファダニエルとなって古代人として生きていた頃の記憶を手にした後もあくまで「アモン」であったようです。
アモン:
……ですが、私はヘルメスだから終末を呼んだわけじゃない。
私は、私として生き、この心で苦しんだ……絶望した……見切ったんです。
ですが、アモンの生き様に、ヘルメスとの共通点を見出せるようにも思えるのです。
グ・ラハ・ティア:
ただ……もしかしたら、魂にも性分ってものがあるのかもしれない……。
(中略)
ヘルメスもアモンもさ、人の生き方を忌みながら、だけど完全に見捨てることもできなかったように思えるんだ。
だから何度も、遠い星に、希望を求めて手を伸ばした。
それで人が変わることを願って……幸せの可能性を探して……。
……なんてさ。
最初に断ったとおり、これはただの推測だよ。
上記はあくまでグ・ラハの感じたこととされていますが、私自身も「記憶と魂と人格」については、ほぼこのとおりの受け止め方をしています。
記憶も人格もまぎれもなく別人、けれどもどこかに共通する因子のようなものがある。それが、「魂を同じくする存在」なのだろうと。
また、エメトセルクとヒュトロダエウスのように、「魂の色を見ることができる人間」が存在しています。
ヒュトロダエウス :
……ああそうだ、最後にもうひとつだけ。
キミのそばには……多分もうひとり、いるだろう?
いや、姿形は見えていないんだけれどね。
うっすらと……本当に薄くだけど、もうひとつの魂が視える。
これを捉えられるのは、ワタシくらいのものかもしれない。
それで……キミだけは、その子に干渉できたりするんじゃないかい?
フフ……それは偶然じゃないよ。
キミとその子の魂は、同じ色をしている。
ワタシたちの時代において、ひとつだったのさ。
そんな不思議な色の魂は……
うん、いくつに分かたれていても、間違えようがない。
まったく、実に「あの人」らしい運命だ。
エメトセルクも、彼には思い入れがあるだろうから、
キミがそうだと、気づいているかもしれないね。
人民事務局の受付 :
次でお待ちの方……。
ヒュトロダエウス :
では、良い結末を。
懐かしく、新しいキミ…………
アーモロートでヒュトロダエウスの再現体と出会った時の会話です。
光の戦士の傍らにアルバートの存在があることをヒュトロダエウスは感じ取っていました。
光の戦士とアルバートは、古代世界においてヒュトロダエウスがよく知っていた「あの人」――十四人委員会の一員であるアゼムと同じ魂を持っているのだというのです。
世界が十四に分割されたときにアゼムの魂もまた十四に分かたれ、それぞれ別の世界に転生することになりました。
光の戦士とアルバートは、これまでに歩んできた人生も、(キャラクリ時に同じ造形にしていない限りは)姿形も異なっていて、明らかに「別人」なのですが、ヒュトロダエウスはその魂が「同じ色をしている」と言います。
そしてエメトセルクも、光の戦士がアゼムと同じ魂を持っているからこそ、他の者とは一線を画する扱いをしていたと思われます。
「懐かしく、新しいキミ」――「視える者」にとって「同じ魂を持つ者」は、別人ではあるものの限りなく同質の存在として受け止められるもののようです。
別人の記憶を受け継ぐ存在
では次に、「魂と記憶が別々の起源をもっている例」を見てみます。
暁月のレイドコンテンツ「万魔殿パンデモニウム:天獄編」におけるエリクトニオスとラハブレアの再現体がおそらくこれにあたるでしょう。
アテナ:
貴方……ずいぶん面白い物を持っているわね。
そう、それよ……。
内部に、記憶が込められたクリスタル。
封じられているのは……
「ラハブレア」と「エリクトニオス」の記憶。
その記憶を冥界に漂う魂に焼き付け、存在を固定してあげましょう……貴方の、案内人としてね。
彼らは記憶が封じられたクリスタルを利用して、星海に漂っている誰のものともわからない死者の魂に焼き付けて作り出された再現体です。
特にエリクトニオスに関しては、エリクトニオスの魂を持つ存在が既に「クローディエン」として転生を果たしているので、魂と記憶は間違いなく別人のものをかけ合わせています。
ですが、彼ら再現体は、それぞれエリクトニオス、ラハブレア本人と変わらない存在として描かれていました。
※なお、同様の存在に見えるテミスの再現体ですが、彼の場合は記憶も魂もテミス本人のものなので、ここでは除外しています。
FF14の世界において、魂と記憶においてどちらが「本人」を規定するかと問われれば、むしろ「記憶」のほうなのかもしれないこと、あるいは、記憶を受け継いでいる存在はほぼ本人として認識され、生きている者との差異を感じ取るのが難しいことが、このとき既に示されていたと言えます。
とは言え、先に見たアモンとヘルメス、あるいは光の戦士とアルバートとアゼムの例を考えるならば、魂が人格になにも寄与していないとは思えません。
魂と記憶を管理するシステム
アレクサンドリアにおいては、記憶が保持されているならば魂資源を継ぎ足していっても自己同一性が保たれるのだとされています。
つまり、魂と記憶を完全に別物として取り扱って支障がないと見なしているように思えます。
「死んだ後には星海へと還る」としていた暁月6.0までの常識から言えば、正直、違和感が拭えないのですが、アレクサンドリアではこのシステムを運用するようになって、すでに400年近い年月が流れているようです。
※400年という数字は、オーティスの機械のボディが造られたのが380年前であることに根拠を置いています。
ボロボロの機械兵 :
古そうなのではない、古いのだ。
なにせ、もうかれこれ380年はこの姿だからな!
まず、魂と記憶のシステムを運用するにあたって必須の道具とも言える「レギュレーター」について説明されている箇所を引用します。
ジオード:
レギュレーターの機能は、主にふたつだ。
ひとつは「魂資源の管理」。
再利用可能な状態に処理された魂をストックしておいて、装着者が死んじまった場合、蘇生に利用するんだ。
アリゼー :
ストックですって!?
まさか、魂の予備を持ち歩いてるってこと……!?
ジオード :
ああ、不慮の事故なんかで亡くなった場合、魂資源を、失われた生命力に添加して蘇生するのさ。
ま、老衰みたいな寿命を超えた死では生き返れないけどな。
ちなみに、魂資源は各人の働きぶりに応じて配給される。
だから皆、天寿をまっとうするための保険を手に入れようと、与えられた労働に勤しんでいるのさ。
アリゼー :
魂をそんな風に扱うなんて……信じられない……。
グ・ラハ・ティア :
ヴォイドの妖異のような例もあるが……
他人の魂を取り込むだなんて、まともな発想とは思えない。
なにかリスクもあるんじゃないか?
ジオード :
そうならないためにあるのが、レギュレーターのもうひとつの機能「記憶の管理」さ。
レギュレーターは、常に装着者の記憶を収集し続け、死によって一時的に記憶が霧散したとしても、復活後に転写してくれる。
だから問題なく自己の同一性が担保されるんだが……こいつは他人が死んだときにも作用する。
装着者の記憶に干渉して、死んだ人に関連する記憶を抹消するのさ。
アリゼー :
……なんで、そんなことを!
カフキワ :
死の悲しみを感じないで済むよう、エバーキープの基幹システムが与えてくれる……とびっきりの優しさであり、幸せな生き方なんだとさ。
クルル :
雲の上に……預けられた……。
ジオード :
そうだ。死者に関する記憶は、基幹システムに預けられ、地上で生きる人々からは消えちまう。
ちなみに、記憶の管理技術は、魂資源とも密接に関わっていてな……。
装着者が寿命を迎えて死んだ場合、その魂はレギュレーターに一時保存されるんだ。
間もなく、それはある施設に送られる……
魂に刻まれた記憶を漂白してプレーンな状態にするためにな。
こうして完成するのが、皆が欲しがる魂資源ってわけだ。
カフキワ :
ちなみに、漂白時に回収された死者の記憶は、エバーキープの基幹システムに保管される。永遠の「生きた証」としてね。
引用が長くなりました。要点を書き出してみます。
レギュレーターの機能は主にふたつ
「魂資源の管理」と「記憶の管理」である「魂資源の管理」機能によって
再利用可能な状態に処理された魂をストックしておき、装着者の死亡時に蘇生に利用することができる。「記憶の管理」機能によって
常に装着者の記憶を収集し続け、死によって一時的に記憶が霧散したとしても、復活後に転写することができる「記憶の管理」機能は他人が死んだときにも作用し、
装着者の記憶に干渉して、死んだ人間に関連する記憶を抹消する
死んだ者の魂と記憶がどのように処理されて再利用可能な形にされるのかはLv99IDオリジェニクスで目にするわけですが、ここではまず、レギュレーターの機能について知った仲間たちの言葉を拾います。
グ・ラハ・ティア :
命の巡りが破壊されたヴォイドと違って、ここでは魂を星海に還る前に機械的に回収して利用する。
方法論は違えど、現象としては同じなのかもしれないな。
エレンヴィル:
障壁の中だけで、命が巡っている……。
アリゼー:
歪んでる……正しくないわ、こんなの……!
クルル:
そうね、とても好意的には受け入れられないわ。
私たちが信じてきた死生観とは、あまりにもかけ離れているもの……。
このシーンでのアリゼーの反応はかなり感情的なものに見えますが、その後のセリフで「星海をこの目で見てきた者としては」との言葉が補われるので、偏見や固定観念に囚われているが故の言葉というよりも、自分が実際に体験したこととの食い違いからくる受け入れがたさであることが窺えます。
暁の面々は暁月の旅において星海を垣間見ています。生前の知人がそこに「いて」、こちらの存在を認識できていたことを知っています。
人が死んだとき、魂はそのまま霧散したりはせずにまずは星海へと還り、しばらくの間は生前の記憶をとどめた状態で星海をたゆたっているということを、単なる宗教上の概念として捉えているのではなく、実体験として確認済みなのです。
このシーン以降ではあまり強調されていないのですが、このシステムの異常さは、「死んでまた生まれるという生命の巡りを行うにあたって、星海を介していない」ところにあると、私は考えています。
ごく個人的な見解ではありますが、宗教的もしくは思想的な見地から「歪んでいる」というよりは、「本来あるべきシステムが動いていない」ことに対しての不安なのではないかと解釈しています。
言うなれば、現実世界において「死体が土に還り、それを養分として植物が繁茂し、それを食する生物がさらにまた死んで土に還る」生態系の連鎖が断絶していた場合に覚えるであろうものと同種の不安や違和感でしょうか。
実際、出生率の低下が起こったりもしているようなので、後述する「永久人のためのエーテル確保」の問題を除いても、完全とは言えない……というか、かなり問題のあるシステムのように思えます。
システムがつくられた理由
では、なぜアレクサンドリアではこのシステムを作り出す必要があったのか。
その理由として挙げられているのは、アレクサンドリアが存在していた鏡像世界を襲った大災害です。
雷の災厄に徐々に蝕まれつつあった世界で、「エレクトロープ」と呼ばれる万能の物質が発見される。エレクトロープの奪い合いから「雷光大戦」と呼ばれる戦争が勃発、戦争を制するために開発された最終兵器によって大災害が引き起こされた。
戦争と災害によって傷ついた人々に拠り所を与えようとして考えられたのが、「記憶を永久に保存する」ことによって生きた証を残そうとするアレクサンドリアのシステムでした。
永久人とは何か
アレクサンドリアにおいては、死んだ人間から回収された魂と記憶の混合エーテルは、オリジェニクスに送られて魂と記憶に分離されます。
魂は「魂資源」として活用され、そして記憶はエバーキープの基幹システムに保管されます。
この保管されている記憶から作り出される再現体は「永久人」と呼ばれています。
オーティス:
生きている、生きていない……その境界は実に曖昧だ。
死者の記憶から人格を再現された永久人は、生前の記憶を受け継ぎ、考え、行動する。
ならば、それは生きている……とワタシは思うのだがな!
永久人は生きているのか、それとも生きていないのか。
この問いは、最終エリアであるリビング・メモリーで、再度問いかけられることになります。
生命力のエーテルとはどのようなものか
さて、永久人を維持しているエネルギーは何なのでしょうか。
スフェーンの説明によれば、生命力のエーテルを利用しているとのことです。
スフェーン :
私がゾラージャ王と手を組んでいた理由は、
永久人を生かすためのエーテルが欲しかったからなの。
生者を殺すことで得られる、生命力のエーテルが……。
それでは生命力のエーテルとはどのようなものなのでしょうか。
アレクサンドリアの機械兵によってトライヨラが襲撃を受けるシーンを見直してみると、戦いで倒れた人間からエーテルらしきものを二種類回収していることが確認できます。
メインクエスト「大地が鳴いた日」のムービー2、開始後2分10秒あたり、機械兵の構えた銃に似た装置の中に青白い球体とオレンジ色の球体が吸い込まれていきます。
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この水色の玉とオレンジ色の玉が生命力のエーテルと魂と記憶の混合エーテルだろうと思われます。
死んだばかり(もしくは殺されたばかり)の人間からであれば、レギュレーターを装備していなくてもこういった方法でエーテルを回収できるようです。
レギュレーターを装備している場合は、生命活動の停止と同時にレギュレーターが始動し、魂資源のストックがない場合はそのまま自動的に回収に移るのでしょう。
ナミーカの例を見るに、ヘリテージファウンドでは死ぬ間際の人間をエバーキープに回収しているようです。
ウクラマト :
待て!
ナミーカをどこに連れていくつもりだ!?
スフェーン :
安心して、塔の中にある医療施設だよ。
ここにいたら、体がつらいでしょう?
本当は、もっと早く迎え入れてあげたかったんだけど……
ギリギリまで故郷に居たいっていう、ナミーカさんの意思を尊重していたの。
医療施設に回収した後、息を引き取るその瞬間まで待つのか、まだ息のあるうちに安楽死の処置をするのかは不明ですが、死にゆく人間から魂や生命力のエーテルを回収しているであろうことは想像できます。
さて、モンティシェーニュ教授の説明によれば、生命力のエーテルはとても流動的なものだとされています。
モンティシェーニュ:
多くの人にとって最も身近なエーテルは、まさにその生命力じゃろう。
魔法を使うことで発散させたり、食事から摂取したりと、日常的に消費と補給を繰り返している。
とても流動的なものじゃ。
一方で魂は、そうそう変化をすることがない。
そして記憶は、魂と固く結びついているのじゃ。
日常的に消費と補給を繰り返しているということは、常に一定量を保っているのではなく、生体の状態によって多かったり少なかったりするものなのではないかと思われます。
だとしたら「死に際の状態」によって、回収できる生命力のエーテルの量が大きく違っていたりはしないのでしょうか。
トライヨラ襲撃時のように、今までピンピンしていた人間ならば、生命力のエーテルも豊富そうです。けれども病気や老衰によって衰弱している人間には、そもそもあまり生命力のエーテルが残っていない……といった具合に、変動しうるもののように思えるのです。
生命力のエーテルにまつわる疑問
もし元気だった人間と衰弱している人間で回収できる生命力のエーテルの量に差があるならば、元気な人間を「狩ら」なければ生命力のエーテルはほんの少ししか回収できないことになってしまいます。
そうだとしたら、平和的なやり方だけで400年近くにわたって永久人を維持できる量が得られるものなのかが、今度は疑問に思えてきます。
もっとも、利用可能な生命力のエーテルを得られる対象が人間に限定されないならば、そこまで深刻ではないかもしれません。
ヘリテージファウンドには、魔物やその他の動物も生息しています。
家畜の屠殺や駆除人による魔物狩りなどが普通に行われているであろうことを思うと、元気な生命体からエーテルを回収する機会はそれなりにありそうです。
ですが、こういった人間ではない生物の生命力のエーテルが人間のものと質的に同じかどうかに関しては、特に情報がありません。
ですので、同等に扱えるものなのかは、今のところ不明です。
なお、魔物の「魂」は、人間のそれとは質的に異なる部分があるようです。
このことは、魔物由来の魂資源を添加することによって特殊な強化効果を得られることから推測できます。
もっと不穏当な形での生命力のエーテルの回収も考えられます。
社会を維持していくにあたって問題のある人間を秘密裏に「処分」してエーテルを回収する……といったケースです。
レギュレーターを装備している者からは、レギュレータを装備した状態で死んだ者の記憶は消えてしまいます。だとしたら、誰かがこっそり処分されてしまってもほとんどの人は気づかない、という、うすら寒くなるような状況が想定できます。
人々の勤務状況や素行を記録・管理し、それに応じて魂資源の供給を行っているということは、「どんな人間なのか」を社会によって監視されているとも受け取れます。
アレクサンドリアには不良っぽい人々もそこそこ存在しているようですので、やたらと厳しい管理体制を敷いているわけではなさそうです。不満を抱く者もそれなりに存在していられる社会が形成されているように見えます。
それでも、社会秩序の維持に支障が出るレベルで問題のある人間については、人知れずこっそり……という可能性は、あってもおかしくはありません。
ただ、アレクサンドリアのシステムは、かなり公平で一律的に働くもののようです。
であれば、たとえ邪魔者であってもいったん死者となったからには、その記憶のエーテルは他の場合と同様に保存へと回されることになりそうです。だとしたら、処分を実行すれば永久人を維持するシステムへの負担を増やすという結果に繋がります。
また、出生率の低下が懸念されています。
そういった点を考えあわせると、人的資源を故意に減らすのは望ましくないでしょう。
秘密裏に邪魔者を処している可能性はありえるものの、そう高くはなさそうな気がします。
しかし、そもそもの話として、生命力のエーテルは対象を殺さないと回収不可能なものなのでしょうか?
魂はひとつの生命体にひとつきりのものなので死なない限りは手に入らないでしょう。ですが、流動性が高いとされている生命力のエーテルならば、「生気を吸い取る」ような形で、対象を殺さずに奪うこともできそうな気がします。
黄金のレガシーのタンクロールクエストには、対象を深い眠りに陥れ、その代わりに自分自身は眠らないでいられるようにする祭器が登場します。
この祭器の力については、実は二者の間で眠気を交換しているのではなく、対象から生命力を吸い取ることによって深い眠りにつかせているのではないかとの見方が示されています。
ローデニケ :
というより、ワタシたちが勘違いしてたのかも。
本当は相手の生命力を吸う能力だとしたら……。
テントーワ :
生命力を吸われた側は意識を失って眠り、吸った側は、元気になって眠りを必要としなくなる。
……そういうことか。
ローデニケ :
少しずつ必要な分の生命力しか吸わないかぎりは、
やがて目覚める浅い眠りになる。
けれど全力で吸えば、相手の命に関わるような深い眠りに……!
ここで言われている生命力が、生物を構成する生命力のエーテルと同一のものであるかどうかはわかりません。素人考えだと同じもののように思えるのですが。
ただ、こういった例があるということは、対象を殺さなくても生命力のエーテルを吸い上げる手段は存在してそうな気がします。
もうひとつ、「もしかしたら魂資源は生命力のエーテルへと転換可能なのではないか」という可能性を疑っています。
生命力のエーテルは流動的だとされていますが、魂はもっと安定しているように見えます。
死者の魂を魂資源へと精製して保存しておき、必要に応じて生命力のエーテルへと転換する。
これが可能なのであれば、「今までは大量の人間を殺せるような状況ではなかったはずなのに永久人たちを維持できていた」ことや「死に瀕したときに魂資源を継ぎ足すことによって失われた生命力を補充できる」という事実に筋の通った説明ができるように思います。
ただ、これはあくまで「根拠のない想像」に過ぎません。
スフェーンが「生者を殺すことで得られる生命力のエーテルが欲しかった」と明言している以上、ゲーム内情報に正しく沿うならば、現状では「生命力のエーテルを得ること」を目的として「人間を殺す」必要があるという前提のもとで、状況を考えていかざるを得ません。
永久人の糧としての生命力のエーテル
スフェーンが生命力のエーテルを必要としているのは、永久人を「生かす」ためだということです。
では、どのような形で生命力のエーテルが利用されていたのでしょうか。
ぱっと思いつく範囲では、以下の用途が挙げられそうです。
まず、生命力のエーテルでなくてはならない=環境エーテル等の他のエネルギー源では代替不可だと思われる用途
永久人の実体化
実体化した永久人のエーテル補給(=食事)
次に、生命力のエーテルに限らなくてもよさそうに思える(=環境エーテル等で賄っている可能性もありうる)が、永久人のために必要とされる用途
実体化されていない永久人(=死者の記憶)の保存
リビング・メモリーの環境維持
※実体化されていない永久人の保存に必要なエーテルも、生命力のエーテルかもしれません。大量に必要としている様子から、むしろ生命力のエーテルであると考えたほうが適切であるとも考えられます。ですが、絶対に生命力でなくてはならないと確定できる要素が見当たらなかったため、とりあえずこちらに入れています。
このうち、プレイ中になかなかに心がざわついたのは、リビング・メモリー内で提供されていた食物です。
エラスタス :
ああ、もしかしてあんたら、永久人になって初めての食事かい?
生命力のエーテルと記憶データで味を再現してるんだ。
少なくとも、永久人のあんたらにはしっかり味がするはずだぜ!
「生命力のエーテル」から構成されているとはっきり語られています。
最初に口にしたシーンでは味見した後そのまま残してしまうのですが、この後、クルルの両親とのシーンでは思いっきり食べることになります。
死者に供されるべきものを生きている人間が口にしても大丈夫なのか、とか、そもそもこれは誰かの生命が形を変えたものなので、食べるのも残すのも生命を無駄にしていることになりはしないか、とか、あるいは、死後の世界と捉えられる場所で生者が食事を摂るのは宗教的な意味でアウトなのではないか、など、様々な側面から不安を感じる場面になっていました。
付け加えるならば、あのタイミングで供給されている生命力のエーテルとなれば、トライヨラ襲撃時やソリューションナイン襲撃時の犠牲者に由来するものである確率がかなり高そうに思えます。
FF14の世界では、食事を摂ることはすなわちエーテルの摂取であると捉えられています。普段口にしている食物自体、人間由来でこそないものの、何らかの生物の生命力のエーテルが形を変えたものであるとも考えられます。
ですので、リビング・メモリーの食物と普段の食事との本質的な違いはどこにあるかと尋ねられたならば、「その生命力のエーテルが人間に由来するか否か」といったあたりになるでしょう。
離れ離れになっていた家族が打ち解ける様を温かい気持ちで見守るシーンに「人間由来のものだと思われる生命力のエーテルを口にする」という状況を持ってくるのはデリカシーに欠けているように、私には感じられました。
食事が交流の手段となるという描かれ方は「食の試練」から繋がっているし、「本当は味のないものでも大切な相手と一緒なら最高の美味となる」とする物語自体は素晴らしいものだと思います。ただ、口にしているものが悪すぎました。
リビング・メモリーの食物が「環境エーテル」由来であるならばまだしも、「生命力のエーテル」であると語られているために、ためらいや後ろめたさが付きまとい、素直に受け止めるのが難しいシーンとなっていました。
魂資源について考える
では次に、魂資源について考えてみます。
魂資源とは、「再利用可能な状態に処理された魂」を指している言葉です。
レギュレーターを装備している者の生命活動が、寿命が尽きたわけではない状況下で停止したとき、もし使用可能な魂資源がストックされていたならば、魂資源による蘇生が可能です。
このことについては、レギュレーターの機能を説明する中でジオードが次のように説明していました。
ジオード:
ああ、不慮の事故なんかで亡くなった場合、魂資源を、失われた生命力に添加して蘇生するのさ。
ま、老衰みたいな寿命を超えた死では生き返れないけどな。
「添加して蘇生」ということは、「使い果たされた魂と入れ替わる形でストックされていた魂が新しく自分のものとなる」のではなく、「ストックされていた魂資源がもとの魂を補強して生命力が補われる」――つまり、魂が「入れ替わる」のではなく、「混ぜ合わさる」ことによって不足した生命力が充填される――と考えたほうがいいのでしょうか。
この部分を読んだだけでは少しわかりにくいように感じます。
ただ、魔物の魂資源を添加して自己を強化するといった使い方もされていることから思うに、「混ぜ合わさる」のだと考えたほうがよさそうです。
入れ替わるにせよ混ぜ合わさるにせよ、レギュレーター着用者は本来自分のものではなかった魂を自分の中に取り込んで生命を維持することを、ごく普通のこととして受け入れているようです。
しかしこの場合、魂に備わっているであろう「個性」は、問題にならないのでしょうか。
冒頭近くで述べた「同じ魂を持つ存在」のことを、再度振り返りってみます。
ヘルメスとアモン、あるいはアゼムと光の戦士とアルバート。
「別の人生を歩み、わずかな残滓を除いては同じ記憶を持っているわけではない人物」でありながら、ヒュトロダエウスやエメトセルクのように「魂の色が視える」者にとっては「同じ色を帯びている」と受け取れる人間が存在しています。
「魂が同じ」であると見分けられるということは、魂そのものに何らかの独自性があるのだと考えられます。
「生まれ変わって別の人生を歩む」という現象がしばしば扱われてきたことから、FF14の世界観において、この「魂の持つ個性」はその人間を他の人間とは異なる存在にしている根本的な要素なのではないかと解釈していました。
ですが、アレクサンドリアでの魂の扱い方を見ていると、魂の違いは本質的な差異では「ない」ように思えてきます。
ここで、オリジェニクスにおいて行われている処置について確認してみます。
第一工程:魂の抽出
レギュレーター内に保存された「魂」と「記憶」の混合エーテルを、抽出した後、ポッド内で安定させる。
混合エーテルの抽出処理を急ぐほど、損壊率も高まるため、緊急時を除いて変更しないこと。
第二工程:記魂分離
分離器を利用して混合エーテルを「魂」と「記憶」に分け、それぞれを三次工程に送られたし。
「魂」は、最終処理工程のため、上層へ。
「記憶」は、秘匿経路を通じてメインターミナルへ。
第三工程:漂白
分離した「魂」に付着した記憶残滓の完全漂白を行う。
漂白光は生体に有害であるため、作業には慎重を要する。
なお、記憶残滓が付着したままの魂資源を投与された者は、記憶の混濁や人格の崩壊に繋がる恐れがある。
高精度の感知装置により、残滓の有無を確認すべし。
以上の工程を経て、魂資源は社会に還元される。
諸君らの働きが今日も国家の営みを支えていると自覚し、誠実な業務遂行を心掛けたし。
魂と記憶とを分離し、さらには漂白を施して記憶の残滓を消し去ったものが「魂資源」と呼ばれていることがわかります。
魂資源からは記憶はほぼ完全に取り除かれているようです。
ですが「いったん単なるエーテルに還元して再度魂として練り上げる」といったような処置を施して、完膚なきまでに均質化しているわけではなさそうです。
であるならば、エメトセルクたちが感じ取っている「その人のものであると識別できる独自性」は、消え去っていないように思われます。
その「違い」の部分が問題になることは、本当にないのでしょうか。
正直なところを言うと、私は、アレクサンドリアのシステムを作った存在は魂の尊厳や唯一性を否定したいという思惑を秘めていたのではないかと疑っており、何とも言えない嫌悪感を覚えています。ですが、そういった嫌悪の情を差し引いても、「備わっているであろう個性を無視して、異なる魂を継ぎ足していく」というのはかなり問題の多いもののように思えます。
個々の魂にその人のものと認識できるような独自性があるものならば、いくら記憶を完全に消し去ったとしても「同質のもの」として一律に扱えるものなのか。どこかに支障をきたすようなことはないのか。
また、魂をつぎはぎし続けていくと、「テセウスの船」の問題に行き当たるのではないのか。つまり、魂がどんどん混ざり合っていけば、最初の「自分」とは異なる存在になってしまうのではないか。
このあたりについては、おそらく今後の課題となっていくのだろうと思っています。
なお、「何をもって『自分』と見なすのか」という問題は、6.0メインクエスト終盤におけるオミクロンとグ・ラハ・ティアの問答を通して、以前にも一度提起されています。
グ・ラハ・ティア :
なあ、マスター。
昨日おやすみって言った自分と、今日おはようを言った自分……
それが完全に同じものだって、どうやったら証明できる?
記憶が繋がってることか?
……でもそれは、忘れてしまうこともあるし、ねつ造する方法だってあるよな。
なら、同じ身体を持つことか?
……厳密にいえば、生きているだけで身体は変わっていく。
完全に一致させることは不可能だ。
魂にしたって……
オレたちの星には、ひとつの魂から分かたれた存在がいたが、
同じ人物ではなかったよ。
オレもさ、自分を塔の端末にしたり、記憶と魂を重ねたり、いろいろとやってきたんだ。
そのたびに、やっぱり考えたよ。
何が「自分」なのかってさ。
M-017 :
……答えは、出たのですか?
グ・ラハ・ティア :
わかったことといえば、この問題はオレだけじゃなく、きっと誰にもはっきりさせられないってことくらいだ。
……だからこそ、昨日までの自分を理由にして、今、この心が思ってることを消す必要はないんだよ。
確かに紆余曲折あったが、オレは今が好きだ。
みんなと一緒にここまで来られたことが、命ひとつ張れるくらい、誇らしくて嬉しい。
その心のままに望むんだ。
先を、未来を……また約束が果たされることを!
魂の添加によって生じる問題
レギュレーター装着者は、不慮の事故等によって死んだ際にはストックしていた魂資源によって生命力を補うことができます。
こういった使い方をしている限りでは、魂資源の添加によって問題が起きるようなことは、今のところは特になさそうです。
オリジェニクスにあった注意書きによれば、十分に漂白しきれなかった魂資源を添加すると記憶の混濁や人格の崩壊が起こる可能性があるということです。ですが、そういった事故が起こらないよう、魂資源の処理と管理は厳重に行われています。
しかし、適切に処理された魂であっても、人間としての限界を超えて過度に注入すれば、強大な力を得られはするものの無事ではいられなくなるようです。
エバーキープの第十一階層で敵として向かい合った時のゾラージャは、この状態にありました。
ヤ・シュトラ :
人が人の姿を保ったままで保有できるエーテルの量には、どうしたって限界があるわ。
ゾラージャは大量の魂を体内に取り込んだことで、それをとっくに超えてしまった……。
どう視ても、無事ではないわ。
けれど、それと引き換えに、魔王級妖異に匹敵するほどの力を蓄えている……。
これは人間由来の魂資源を過度に取り込んだ場合に起きる問題ですが、魔物由来の魂資源を利用する場合は、これとは違った危険性をはらんでいるようです。
レイドコンテンツ「至天の座アルカディア」のクエストにおいて、魔物の魂を注入しすぎることによって「魂蝕症」という病気が発症することが明かされます。
ユトロープ :
肉体が変異するほどの魂の注入を繰り返すと、自己の魂が蝕まれる病、「魂蝕症」を発症するの。
そして、いずれは魂が腐り果てて死に至る。
私もすでに病に冒され、余命もわずかしか残されていない……。
そして、この病気の唯一の治療法は、「人の魂」を注入することなのだと言われています。
ユトロープ :
魂蝕症を治す唯一の方法は、理論上、「人の魂」を注入することだとわかったわ。
それも普通の魂じゃなく、並外れて濃い魂を……。
その持ち主こそ、あなただった。
恨みはないわ、でも私が生きる道はほかにない……。
光の戦士の魂が「並外れて濃い」のは、次元圧壊による世界統合を重ね続けた原初世界の住人で、さらには源を同じくするアルバートの魂をも取り込んだ存在だからでしょう。
古くからのアレクサンドリアの住人である鏡像世界出身の人間と、原初世界生まれの人間とでは魂の濃さに違いがあるはずです。
そして、「濃い魂」が「魂蝕症」の特効薬となるならば、その違いは実際的な効力を発揮するものだと言えそうです。
だとすれば、魂の秘密を知る人間にとって、原初世界生まれの人間は大切な資産とも言うべき存在なのではないでしょうか。
オリジェニクス内の情報端末から読める情報によると、ナミーカは「特別監視対象魂」として登録されていました。
オリジェニクスの情報端末 :
特別監視対象魂、ID161127、個体名「ナミーカ」。
生命活動停止時、肉体年齢86歳……。
国民の記憶消去、正常処理済。
残存肉体の処理、正常処理済。
混合エーテル抽出、正常処理済。
彼女が「特別監視」の対象になっていた理由は、原初世界生まれの人間であるからだろうと思われます。
トライヨラの武王ウクラマトの知己であることも、ナミーカを特別な存在として扱う理由となります。ですが、「監視」という語句や、IDを含む個人情報の並び順などを見ると、前々から――ウクラマトがヘリテージファウンドに乗り込んでくる以前から――注視すべき存在として扱われていたように思えます。
レギュレーターと死者の忘却
さて、レギュレーターの機能のうちで大変気にかかるのは、「死んだ者についての記憶が生きている人々から消えてしまう」という問題です。
どうしてこのような性能を持たせてあるのか、また、どのケースでは記憶が消えて、どのケースでは消えずに残るのかといった点を考えていきます。
最初に、レギュレーターの持つ「記憶の管理」機能についての説明を再度確認します。
レギュレーターは常に装着者の記憶を収集し続けている
死によって一時的に記憶が霧散しても、復活後に記憶を転写する
他人が死んだときは、装着者の記憶に干渉して死んだ者に関する記憶を抹消する
死者に関する記憶は、基幹システムに預けられる
死者を忘却することを指して「雲の上に預けられる」と表現することがある
まずは「死者に関する記憶が抹消されてしまう」という問題を考えていきます。
レギュレーターをつけている人間が死んだ場合、上記のとおり、装着者から死んだ人間の記憶は消えてしまいます。
では、レギュレーターを「つけていない」人間が死んだ場合も、やはり生きている装着者から死者の記憶が消えてしまうのでしょうか。
「至天の座アルカディア」のクエストにおいて示された事例によれば、レギュレーターをつけていない者が死んだ場合は、その人物の記憶は消えないようです。
ユトロープ :
ヤーナ、あなたは引退した闘士と会ったことはある?
絶対にないはずよ。
彼らは高層にある高級居住区に移住したと言われてるけど、実際には、魂蝕症の犠牲になっている。
引退制度そのものが、死を隠すための手段だったのよ。
ヤーナ :
で、でも、私は引退した闘士たちのことを覚えている!
死んだのなら、忘れてるはずじゃないか!?
ユトロープ :
引退した闘士たちは移住だと騙されて、アルカディアが運営する施設に連行されていたのよ。
そこでレギュレーターを外され、死ぬまで監禁されていたの。
レギュレーターがなければ、エバーキープの基幹システムは死を検知できないから、死者の記憶が雲の上に預けられることもないというわけ。
私は発症前に、身体の異変に気づいてね……。
引退した先輩闘士に相談しようと思って行方を調べるうちに、忍び込んだオーナー室で、不都合な真実を知ってしまったのよ。
レギュレーター装着者から死者の記憶が失われるのは、エバーキープの基幹システムから記憶抹消の指令が出されているからのようです。
先に引用したナミーカの処理に関する項目の中にも、「国民の記憶消去、正常処理済」という一文がありました。
ポイントとなるのは、基幹システムと繋がっているか否かという点です。
死を基幹システムが感知すればその人物に関する記憶は装着者から失われ、 基幹システムに届いていなければ装着者から記憶が消えることはない、という仕組みになっているようです。
7.0メインストーリー終了時点では、エバーキープの基幹システムはまだ正常に作動しているようです。ですが、ゾラージャの存在もスフェーンの存在もアレクサンドリアの人々の記憶から消えていません。
ゾラージャの場合は臨終時にレギュレーターが外れていたため、基幹システムにその死が伝わらなかったのだろうと思われます。
そしてスフェーンに関しては、7.0終了時点では、なぜなのかをきちんと説明できるだけの材料が見当たりません。
ただ、最後に意味ありげに映し出された彼女の王冠=特別製のレギュレーターが、おそらく何らかの形で関係しているのでしょう。
永久人誕生までのいきさつ
それでは、なぜ死者の記憶を消し去るようなシステムが構築されたのでしょう。
カフキワ :
死の悲しみを感じないで済むよう、エバーキープの基幹システムが与えてくれる……とびっきりの優しさであり、幸せな生き方なんだとさ。
今までともに生きてきた人の記憶がすべて消えてしまうなど、どこがとびっきりの優しさなのかと言いたくなります。
しかし、永久人が必要とされたそもそもの出発点を考えるならば、そういった処置が必要だったのかもしれません。
永久人が誕生するまでのいきさつは、機械の体を持つオーティスが語ってくれています。
オーティス :
騎士団の務めは、何といっても王家を守護すること。
国王陛下に王妃様、そしてひとり娘であらせられる、王女様を護り抜くことが使命であった。
しかし、折しもエレクトロープの奪い合いで、世界情勢が悪化しておってな。
やがては隣国との戦争にまで発展したのだ。
その争いが引き金となり、大災害が起こるのだが……
国王夫妻を含め、混乱のなかで多くの命が喪われたよ。
だが、どうにか王女様だけはお守りできた。
そして王となった心優しき彼女に従い、生き残った民を励まし、かつての敵国の難民すら受け入れて復興の路を歩み始めた。
ところが、彼女は病に倒れてしまってな。
雷の力に身を侵され……
そのまま、帰らぬ人となってしまわれた……。
アリゼー :
悲しい話ね……。
オーティス :
ああ、嘆き悲しんだのはワタシだけではないぞ。
彼女の死に多くの民が涙し、長い年月をかけてそれは立派な墓が作られたものだ。
だが、ワタシは諦めなかった。
王国最高の科学者たちと協力することで、死の床にあった彼女の「魂」を回収できておったからな。
ウクラマト :
……おい、お前、何言ってるんだ?
魂を、どうしたって?
オーティス :
肉体はいつか終わりを迎えても、誰かの記憶に刻まれている限り、命は永久(とわ)に継承されていく……。
大災害で多くの死者が出るなか、この古い信仰を、技術的に実現する研究が始まっていたのだ。
万能の物質、エレクトロープを使ってな。
そして、最初に「魂」を保管する技術が開発され、彼女を永遠の死から救うために用いられたのだ。
だが、旅立とうとする魂を引き止めただけでは意味がない。
次の段階では、本当の意味で死を遠ざけるために、魂から「記憶」を抽出し、生者を再現することとなった。
その再現を成し遂げるには、また長い年月が必要だった。
ワタシが老いたころ、ようやく技術が確立されたゆえ……
実験体として志願をしたのだ。
結果、この機械のボディを得たというわけだ!
ワタシのように、故人の記憶から再現された存在を、科学者たちは、こう呼んだ。
……永久人(とわびと)、とな。
まず最初にあったのは死者の魂をそのまま保管する技術であり、その次に、魂から記憶を抽出して生者を再現する技術が研究されたことが窺えます。
7.0メインクエストの最終IDにあたる「記憶幻想 アレクサンドリア」では、永久人として目覚めるまでのスフェーンの記憶を垣間見ることができます。
特に2ボス後の区画では、スフェーンの記憶が保存されていることを拠り所としつつ、エバーキープの完成を目指して前へ進もうとする市民の声を聞くことができます。
記憶世界の市民 :
スフェーン様の……オクが保存さレてるっテ噂……ぞ!
先ほどのオーティスの説明によれば、スフェーンの死後に保存されていたのは「魂」であり、記憶と魂を分離する技術が確立されるまでには長い年月がかかったとのことでした。ですが、この市民は保存されているのはスフェーンの「記憶」であると言っています。
魂と記憶の分離が可能になった後の出来事であると考えれば一応の説明はつくのかもしれませんが、違和感はあります。
そもそも、この区画の名称は「私が微睡む時代」、生前のスフェーンの記憶ではなく、永久人スフェーンの再誕前の記憶であるとされています。
この時期の永久人スフェーンは、動き回って自発的に記憶を蓄えていけるような状態ではなかったはずです。
完全に覚醒しないまでも外界の出来事をうっすら感知できていたのだ……と受け取ることもできますが、彼女の使命を強化するために製作者がプログラムの中に組み込んだ「記憶」であるとも解釈可能です。
そうであるならば、この「記憶幻想 アレクサンドリア」におけるスフェーンの記憶自体、どこまで信用していいものなのか疑わしく思えてきます。
少なくとも、永久人スフェーンにとってはこの記憶が「真実」だったのでしょうが、そのままの「事実」であると見なすには問題が多いと私は考えています。
※余談ではありますが、lv100IDアレクサンドリアの各区画名は「彼女が生きた時代」「彼女が死にゆく時代」「私が微睡む時代」となっており、生前のスフェーンと永久人スフェーンを指す言葉がそれぞれ「彼女」と「私」と使い分けられています。
永久人スフェーンは生前のスフェーンを「彼女」、つまり、自分と必ずしも同一ではない存在として捉えていたようです。
なぜ死者の記憶は消されなくてはならないのか
永久人が誕生するまでの流れをひととおり確認してみたところで、なぜ死者の記憶を消し去るようなシステムが構築されたのかという問いに戻ります。
表立って語られていることを信じるならば、「生きている者たちを死の悲しみから遠ざけるため」ということになります。
確かに、雷光大戦の末期からエバーキープ完成に至るまでの時代のことを考えると、それも仕方なかったのかもしれないと思える部分はあります。
確かなことなど何一つなく、あまりにも多くの人々があっけなく死んでいった時代。そういった時代に生きなくてはならないならば、死の悲しみを極限まで減らそうとするのも無理はなかったのかもしれません。
ですが、もっと実際的な必要性があって記憶を消す必要があったのではないかとも疑っています。
このパラグラフの文章はただの想像です。根拠はありません。
たとえば、死者の魂を魂資源として再利用するにあたって、新たに取り込んだ魂の本来の持ち主の知り合いと出会ったときに、宿した魂のせいで何らかの反応が現れるのを防ぐため、であるとか。
魂を魂資源へと精製することによって、記憶の残滓は完全に漂白されていると言われています。ですが、万全を期すために、死者に関する記憶はできうる限り消す必要があるのかもしれません。
実際、残された側の人間は、記憶が失われているにもかかわらず、特別な何かをふと感じる場合があるようです。
ソリューションナインのサブクエスト「ある送迎係の憂鬱」では、遺体の送迎を仕事としている青年のエピソードが語られています。
青年は仕事で運んだある遺体の顔が「目に焼き付いて離れず」、その遺品をこっそりと持ち帰ってしまいます。
実はその遺体は青年の父であったことが結末で明らかにされるのですが、生きている側になされている記憶処理は決して完璧ではないことが窺えます。
このサブクエストを含め、ソリューション・ナインやヘリテージファウンドには、「死者の記憶」に関するサブクエストがいくつか用意されています。
「死」というものをどう受け止めていくかに興味を持たれているならば、お勧めしてみたいです。
死者を忘れてしまう世界では、「死者を悼む」ことはできません。
墓標に刻まれた名前は忘れ去られてゆき、さらには「墓を作る」習慣自体が失われていきます。
死者を覚えていられないのは、死の悲しみを味わうこと以上につらいことのように私には思えます。
ただ「悲しい」だけでなく、「覚えていたならば受け継がれるはずのもの」が失われてしまうことが、ひどい損失のように思えるのです。
「肉体はいつか終わりを迎えても、誰かの記憶に刻まれている限り、命は永久に継承されていく」
これが、永久人を生み出すそもそものきっかけとなった古い信仰です。
皮肉なことに、永久人を作り出すシステムは、死者の記憶を生者の記憶から消し去るシステムと一体化されてしまいました。
確かに永久人はある種の永遠の命を持つ存在です。しかし、もとの信仰にあった「誰かの記憶に刻まれている限り」という部分はすっぽりと抜け落ちてしまっています。
目的を叶えるための試行錯誤を続けた結果、当初の目的からは遠いところにたどり着いてしまった。そう受け止めるべきなのでしょうか。
それとも何か、さらなる目的が隠されているのでしょうか。
まとめ
アレクサンドリアの永久人の最大の問題点は、「永久人が増え続ける」存在であることです。
アレクサンドリアではどうやらすべての死者の記憶を保管しているようなので、保管すべき「記憶」はどんどん増えていきます。
人間が必ず肉体の死を迎える以上、記憶を保管する――「永久人」を生かし続けるためのエーテルはより多く必要とされるようにならざるを得ません
たとえば、保管すべき記憶と還元する記憶を区別するならば、あるいは破綻をきたさずにほどほどのところで回していくことも可能かもしれません。ですがどうやらそういった「無慈悲な」選別を行うシステムではないようです。
内部で回していくことが限界になってしまった後は外部から奪うしかなくなります。アレクサンドリア内部で行き詰まるならばトライヨラへ、原初世界が限界を迎えたならば鏡像世界へ。
内側でほどよく循環させていくことがかなわない以上、拡大し続けるしかない……という、どこかでは行き詰ってしまう仕組みになっていると思われます。
エンディングで「エバーキープの基幹システムが無事で当面の生活に支障がない」と語られていました。
ですので現在のソリューション・ナインでは、まだアレクサンドリアのこのシステムは動いたままになっているものと思われます。
リビング・メモリーがシャットダウンされた今、永久人を維持し続けるために消費するエーテルは不要になったと考えられますが、今後、このシステムをどうしていくかに関しては、感傷や感覚的な不快感を抜きにしても、きちんと考える必要がありそうです。
頭ごなしにいきなりシステムを止めさせるのはさすがに無理だろうしやるべきことでもありません。ですが、このシステムを運用していくことに本当に問題はないのかを見極めることは必要ではないかと思うのです。