平成レトロスペクティブ

安倍の辞任について、特に思うところはない。
別段期待が大きかったわけでもなく、本人に才気煥発なところがあるとも思えない。寧ろ第一次組閣の時のほうが、拉致被害者家族への尽力に対しては期待していた。最も尽力だけで終わっていたが。
阿倍の評価というと、結局始めから終わりまで調整型のリーダーであり、今頃になってまた財政出動を始めた、というくらいだ。
同じことをやった政治家として、かつての小渕を思い起こさせる。
小渕の時と今を比較して、何が大きく変わっただろうかと、ふと振り返ってみた。

覚えてるのは、小渕、森の頃は国中から無能扱いされていたということだ。
小渕の支持率は安倍のそれをずっと下回っていて、森に至っては5%くらいだった。
小渕の印象として、安倍同様に才気煥発には全く見えない。中小企業の3代目といった風貌だ。政策よりパフォーマンスが目立ってて全然スマートに見えなかった。
森に至ってはもうお察しだった。周囲からもう喋るなって思われてただろう。
その反動もあって後発の小泉の時の支持率は凄まじく、支持率は最大で9割を超えていた。(これは北朝鮮外交のタイミングもある)

総括として実際どうだったか。
小渕以降で最良だった首相が小渕しか思いつかない。安倍は次点に入るかどうかだが、個人的には国中に光ファイバーを敷設した森は悪くないと思ってる。(IT革命を思い切り牽引したのが森だけど、誰が覚えてるだろうか)

何故小渕がとにかくひたすら叩かれ、逆に小泉が異様に持て囃されたのか。
あの当時積極財政唱える奴は、例外なく馬鹿扱いされていた。
覚えてる限り、エコノミストで積極財政を唱えてたのは、植草一秀とリチャードクーぐらいだった。前者に至っては痴漢で逮捕されてしまったが。

理由を考えると多分小渕も森も顔が悪かったのが原因だろう、としか思えない。小渕も森も、全く利発に見えなかった。
小泉は支持しているだけで自分が賢く有能になった気にさせていただろう。

安倍が調整型のリーダーというが、それすら小渕の下位互換にしか思ってない。調整型としての小渕は凄まじかった。
何が凄いかというと「国旗国歌法案」を通したことだ。安倍なら叩かれすぎて絶対無理だっただろう。ただでさえ極右とか言われ過ぎている。やっていたことなら小渕のほうが遥かにクリティカルにも関わらず。

俺が40代以上のネオリベ被害者に冷淡な理由がここにある。お前、絶対あの当時小渕森叩いて小泉をひたすら称揚してただろう、と。
積極財政を叩き、緊縮に反対する人を抵抗勢力って言ってただろう、と。

そして正直に白状すると、俺もそうしていた。

だからネオリベは一生外れない罪業だと思ってるし、総括するにはどこから釈明すれば良いのかも全く分からない。
愚かだったというにはあまりに短絡過ぎる。

だから小渕を全く支持してなかった俺が、小渕の下位互換でしかない安倍を支持なんて出来るはずもないし、財政出動も支持してはならないのだ。
また、小渕が倒れてそのまま死去したときも冷淡だった俺が、簡単に安倍を労うのも許されるものではない。
理由の薄い変節は破廉恥にも程がある。

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