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倭…ヤマト、日本を意味しない…倭の五王の謎(その1)

『魏志倭人伝』で有名な【倭】です。
しかし、この【倭】がヤマトや日本を意味すると思っていられる方も多いと思います。
しかし、この【倭】という字は何もヤマトや日本だけを意味する漢字では無いのです。
ここは非常に大切なポイントです。この『勘違い』から出発したために多くの誤解を生じることになってしまっています。
詳細は後に述べるとして、例えば古代史で皆さんお馴染みの『倭の五王』という歴史書や解説本をよく見かけます。
倭の五王については、例えば
【倭の五王とは】5世紀のヤマト政権における5人の王について解説|リベラルアーツガイド (liberal-arts-guide.com)
を検索して頂くと簡単に知ることが出来ます。
『倭の五王』は、おおよそ五世紀の事と考えて頂ければいいかと思います。
ところが面白いことに気付きます。
これらの王に関する記事は中国の史書のみに現れます。
それは、この『倭の五王』の王の名前なんです。それではこの王たちの名前を見てみましょう。
①讃、②珍、③済、④興、⑤武
の五名なんです。私には、この王たちの名前は、『とても【日本の王】の名前』とは思えません。
日本国内で発見されて一時大騒ぎになったのが『稲荷山古墳鉄剣』です。

辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比

上記のようにこの鉄剣には「治天下獲□□□鹵大王」という王の名前が象嵌されています。この年号は、
辛亥年は471年が定説であるが一部に531年説もある。
とされており、いずれにせよ5世紀ないし6世紀としている。3文字欠損しているけれども王の名前は、(大王を除いて)5文字になっています。これは『倭の五王』とは随分、雰囲気も字数も違っています。
そうです、素人目にも『倭の五王』が稲荷山古墳の鉄剣に記された大王と同じ頃に日本に居たと考えるのは、少し無理がある気がします。
実は、この辺りの謎解きは意外に容易だと思います。
次回の『倭』についての稿ではこの辺りをもう少し詳細に見て行きます。

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