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『天は二物を与える?』

『天は二物を与える?』
こんな穏やかな天気の日々でいいんですかね。
能登半島の被災地の方が、こんな天気であって欲しい!!
2007年の私のブログからです。
『02/15/2007 20:00:00
TITLE: 天は二物を与える?
昔から、慰めの言葉なんでしょうか、または勇気づけのつもりなんでしょうか
「天は二物は与えないもんだよ」なんて良く周りから聞かされました。
現代は果たしてそうなんでしょうか。
“現代は”と言ったのは、やはり昔とは時代背景が180度も違いますし、
情報の量も桁違いになり、グローバルになり、
マスメディアが幅を利かす世の中になってしまいました。
世間が狭い、行動範囲も限られた、しかも情報の量も少なかった昔でしたら、
一つの町や村の中の事しか耳目に入ってきませんから、
生活レベルも極めて平均的だし飛びぬけている人も少ないし、
知りえる人の数も少ないものでした。
ですから二物は与えられないと考えていてもほぼ間違いではなかったのでしょう。
が現在は一瞬にして地球の裏側の様相まで目の当たりにする時代となってしまいました。
地球上の全ての人が身近で見える範囲に縮まってしまいました。
代表的なものはテレビでしょうか。
セレブで高級な邸宅に住んで、美人でスタイルが良くて高級車に乗って・・・。
背が高くて金持ちで一流大学を出ていて、
ハンサムで大きい会社の社長で、
美人秘書を侍らせて外国高級車を乗り回し・・・。
そんな人を知っていますよね、
一人や二人ではなくて。
天は二物を与えるんですね。
想像を絶する金持ちがいたり、
目にも眩い美人がいたり、
人形ではないかと疑いたくなるほどスタイルのいい美人がいたり。
私などは逆な意味で2物も3物も天から与えられたような気がしないでもありませんが。
でも、与えられたものがどんなに素晴らしく、
凄く、豊かで、飛びぬけていてもそんなに羨む事はありません。
だって、そんな人々は我々以上にそれなりの苦労や、
努力、失う事の不安・・・様々な事が付随しているものです。
華やかなように見えて、贅沢に見えて、優越感に浸っているように見えて、将来が保証されているように見えますが。
私どもは落ちてもたかが知れているではありませんか。
何よりも人を羨む気持ちのほうが、
胸をそらせて傲慢で堪えず優越感に浸っているよりも素晴らしい事のように思えます。
人間は形や見てくれではありませんから
人を思いやる気持ちや少ないものでも分け合う事、
ほんの些細な事にも幸せ感に浸れますし、
何よりもお世話好きで体を使って働く事に喜びを感じ、
友人の悲しみにも一緒になって涙だって流せるんです。
そんなところにこそ人としての喜びって存在するって思いませんか。
二物なんかなくたっていいんです。
だって今からの努力によっては二物だって三物だって手に入れることは可能なんですから。
或いは実は自分の知らないところに二物が備わっているのかもしれません。
その二物を探し当てる楽しみだってありますよね。
天から貰う二物よりも自分で探し当てる事のほうがどんなに素晴らしいか、貴重な物かは私共にしか分からないでしょう。
発見した二物は分け与える事だって知っています、
自分の中にある宝物、それは私だけのものではありません。』
西日本ビジネス印刷株式会社
代表取締役会長 園田 慶一

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