春先の

 春の模様をテレビで観ながら春とは季節だけの名詞ではないのだと思った。人が宴をしている時に、私は自室で一人酒。連休最後の日とあって、取り立てて何かするでもなくしんみり過ごそうというのは私の性格からして明らかなことであった。午前中にAmazonの受け取りを済ませてから近所のスーパーへ買い物に出かける。車中で村下孝蔵を歌おうとするけれど、昨日のカラオケの被害でまだ声が出ない。スーパーで購めた安売りの鶏胸肉を、当てもなくオリーブオイルで炒めて昼酌。レーベンブロイの瓶を開けて、ひとり罪悪感を肴に飲む。ああ、昼間から飲むというのは、どうしてこんなにうまいのだろう。

 短い昼寝をして、日暮れの気配に慌てて飛び起きた。明日が来るのがどうにも怖くて、ジンに甘夏しぼって飲んだ。それでも酔えずに日本酒飲むが、甘ったるくて焼酎に切り替える。酔いの回る前にギャルについて思うところを書き記し、無性に海が見たくなって、今。
 さてここまで冴えない青年の連休最終日のあらましを特段起承転結もなく連ねたが、こうして辿り着いた夜更けに、続けるところの文面の浮ばなさに絶望している次第である。絶望しながらその事実をキーボードに叩き込むというのは、なんとも斬新かつ生産的であるような気もするが、そもそも私の文章なんぞ、読んでひとつも身にならなけりゃ、暇も潰せぬ柱の木目。
 急に太宰が読みたくなって、けれどもそんな時間などもうどこにも残されていないことに気がついて、社会人という言葉がどんなに奇麗に取り繕っているかを悟る。明日が来るということが、こんなに怖くなっちゃうなんて、大人ってそんなに辛い生き物なの?

 駄菓子が食べたい。そんな風に思った。急に思った。いつか東京に行ったとき、駄菓子バーというところに行って、ありったけ駄菓子を頬張りながら、酒を飲んだ夜があった。上京したい。どうにも上京したい。今年度いっぱいで仕事辞めますと、もう喉元までその言葉が出かかったまま、私は今でも好青年として業務をこなしているのだ。上京。それですべてが報われると思っているわけではない。けれどこの町にいたんじゃもう、私は何もかも嫌いになってしまいそうだ。どうか逃げることを許してください。

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