夜の果てに
飲んでも飲んでも酔えない夜に、ふと思い出す季節は夏です。ときどき、冬です。蝉が鳴いていてあの日も暑かった。アイスクリームが溶けて35℃だった。子供さえ公園から姿を消して、憂鬱さえそこらじゅうから尻尾を巻いて、歩いているのは恋に気の狂った若いふたり。アスファルトに靴音と枯葉と。太陽は照りつけて笑って、ぼくら無力だった。公園の噴水が大小かたちを変えるけれど打ち水にもならない。散歩されている犬が今にも投げ出しそうにとろけて喘いでいる。ぼくはそれを見ながら何ら感慨のない目つきをそれから青空の方へ辷らせてやって、浮ぶ雲のだんまりが肥え太った親父の腹によく似ていて。なんにせよ蝉は鳴いていたのだ。いつでもぼくは夏の中で生きてきたような気がしている。
いつしか冬にもなった。冬はときどき思い出すけれど切ない。冬はどうしてあんなにも、よろこびの余地を残さないのか。いつだって切迫していて息が詰まる。ぼくはどうにも冬の思い出というものを、素直に笑って聞けるような時代の上にいない。ぼくは冬に吐いた白い息の、上り詰めた空のうつろなことさえ、あたりまえであったように冬に物怖じしている。冬はつめたい女の人のようです。大人の女の人のようです。ぼくには少し荷重です。冬、思い返しても湯の沸くストーブなど。丸まった猫のぬくみなど。それらぼくにはどうにも都会的で、それでいて庶民的だった。都会の中でこじんまりと、雪に降られて暮すことのどうしようもないセンチメンタル。なんだか昭和のようでもあります。
ぼくは懐古におぼれてるのは、何も昔にもどりたいからとかそういった念仏の故ではありません。ぼくは今のぼくを多少の後悔で済ませられるほどに好き勝手生きて来られたつもりですし、明日から逃げたい心でいるわけでもない。むしろ明日へ向う気構えでいる。癖です、これは癖なんです。ぼくは振り返らずにはいられないんです。懐かしむことが酒の肴なんです。哀惜もなにもありません。去年の夏に摘んだ花は、一輪ですがまだこんなに美しいんですから。
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