夏でした

日付が変わった。八月三十一日だ。これほど特別な日付がほかにあるだろうか。四月二十七日でもなく七月二十四日でもなく十月十二日でもなく、八月三十一日なんだ。ちなみに前のみっつは知り合いの誕生日である。

とはいえ夏は終わった。いや、終わろうとしている。蝉の声は相変わらずぼくを安心させようと四六時中響いてくるけど、もう暑さに厭味がなくなった。夏を待ち焦がれていたことを少しだけ後悔させる鬱陶しさがなくなった。昼間でさえ、汗拭き用のタオル持たずに出かけられるんだから、もうお手上げだ。夏は行っちまった。夜にもなればそれはもう、ぞっとするほど秋の気配がしやがる。ちくしょう、そう思いながら、薄手の布団に巻かれる。

いちばん好きな季節といえば、迷うことなく夏である。桜の咲く季節でも、熱燗の旨い季節でもなく、好きな季節を問われたなら、もう、夏と答えるほかにないじゃないか。いつもなら名残惜しくその背中にすがりつきたいところなんだけど、今年は素直に旅立たせてあげよう。今年の夏は、なんて云うか、ぼく、これ以上欲張っちゃいけない気がするんだ。ありがとう。夜更かししても虫の声が聴ける季節です。

夏の終りのノスタルジーはみんな共通の意識なのかしら。今朝、ぼくの部屋で、昨晩の宴会の残滓に目をつぶりながら、起き出したぼくと友人とは、酔い醒めの頭でテレビのワイドショーを眺めていた。すると、小学生たちに、夏の思い出なんかをインタビューするというコーナーがあったわけだ。ぼくたちは始めのうちは茶々を入れて笑いにつとめていたけれど、そのうち、笑えなくなって、しまいには、「せつないね…」などと、一言二言こぼしたきり、黙り込んでしまった。

いちばん好きな季節が終わる。そのことを淋しくないと云ってしまえば、ぼくは気取り屋の大嘘つきになってしまう。引き止めずに済むことと、引き止めたくないことは、似ているようで、だいぶちがう。なに、淋しいのはあたりまえなんだ。泣きたいのも覚悟のうちだ。だってさ、ぼくは夏が大好きなんだから。

追伸 煙草やめました。


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