愛していた

思い出さないで欲しいのです
思い出されるためには
忘れられなければならないのが
いやなのです 
              寺山修司

 船の上であなたと語った午後、故郷がいやに遠く見えた。風が強く吹きつけた。頬につめたかった。
 信号が点滅してやがて赤に変わり、それからまた青がくる。繰り返しは永遠のようだった。私は三度目の点滅で向こう岸に渡った。見送るように赤に変わった。それきりもう青には戻らなかった。
 会議室に雲が出ていた。夏の日が天井を突き破って落ちてきたような入道雲だった。私は狼狽えた。
 ——座りなさい。
 その人はもう五本目の紙巻に手を伸ばしていた。深く吐いた溜息はやはり雲となった。
 ——この部屋は私には狭すぎるみたいです。
 私の声がこだまして、硝子戸の外の幼女が逃げた。部屋は狭すぎたが暮らせないこともなかった。暮らせないこともないのが私には終わりなき絶望のようでならなかった。
 噛み締めた唇から血が流れた。夢が紫煙に滲んで溶けた。古いテレビのモノクロームが時代を切り取って消えた。夏が終わるということが写実的に示された。
 時は止められなかった。来るべき明日が来るような気がする。

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