旅の宿
夜の街がときどきふいに化け物じみて広がって、しまいに私を飲み込んでしまいそうな気がしている。プレハブ小屋の薄い窓から、赤や緑にぼやけて見えるあれら刹那のキャンディーは、朝焼けとともに消えゆく運命にありながら、懲りもせずに美しい。後悔にただれた大人たちが誘蛾灯に吸い寄せられるようにアスファルトに靴音を、陽気な雨に打たれてずぶ濡れの酔いどれたちが迷い道して逆立ちをする。
その晩もめまいを起して倒れこんだ私は、飲み残しの純米吟醸に汗をかかせてシーツを乱す。消し忘れたエアコンが足先まで私を冷やして夜露に濡れる思い。夢も見ていないのに、何故だか揺り起こされたように目を醒ます。慌ててiPhone充電させて、風呂場の桶を蹴飛ばして、39℃で十五分。ああ、喉が渇いた。
やがて湯船に沈みながら月もない空を見上げたが、淋しくないのは虫の声が静寂を追い払ってしまったせいか。
旅情は私を浮かばせる。遠くへ飛ばして、考えることをやめさせる。そうして忙しなく流されて、行き着くところに行き着くのが、旅です。
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