ロング・バージョン

 今日は土曜日。青色の土曜日。
 いつもなら、金曜日には定例の飲み会がある。それは友達の家でだったり、ぼくの家でだったりする。お金にゆとりのある時や、珍しいゲストのいるときには、お店で飲むこともあるけれど。この頃ぼくの金欠は、およそ元の生活水準まで揺り戻されるきざしもないから、もっぱら俗に云う宅飲みというやつばかりだった。
 今週はその飲み会へ、行かないことにした。体調も、気分も、乗らなかったのだ。別に、強制参加と云う訳でもないし、酒好きな友達は、すぐに別のやつとの約束を取り付けるだけだろうから、気負いする必要はない。
 それで今朝はなんと六時に目覚めた。平日にはありえないことだ。小学生の頃にも、夏休みの朝は妙に早起き出来たっけ。カブトムシを探しに朝靄のけむる公園へ出掛けたことを憶えている。あとに八時間の労働が待ち構えていなければ、ひとはどうして朝をおそれなくて済むのだろうね。
 朝ご飯食べて、お風呂に入った。朝から入るなんて贅沢だね。長風呂をしてやったよ。少し疲れた。それから上がって、お昼ご飯を食べたら、また眠っちゃった。炬燵にどっぷり浸かって、目覚めたら、午後五時。嘘でしょ? ぼくの一日は、生活によってほとんど失われたのだった。入浴と、睡眠。確かにどちらも、好きなことではあるけれど、それのみと云うのは、少し生産性に欠けはしないか。なんて思いながら、夕食をとり、また入浴。
 そうしていると、窓の外から、花火の音が聞えてきた。そうか、今日は祭りだった。季節外れの花火である。しかし寒い時期の花火だって、なんだか夜空を切り裂くような感じで素敵だよね。それにしても音が随分近く聞える。スピーカーから流れているのであろうBGMも聞き取れる。すると、近所の、昨年越して来たばかりの若い夫婦の、一人娘、まだ、幼稚園にも通わぬくらいであろうか、空へ向って、「たまやー。」と叫んだ。ぼくでさえ忘れかけていたようなその言葉を、あの若い夫婦が……いや、確かあの家には、よくあの娘の祖母が出入りしていたはずだ。そうか、こうして受け継がれていくものがあるんだな。きっとあの娘は間違いなく育つだろう。そんなことを思いながらぼくは濡れた身体を拭い、頭痛の響くおでこに熱さまシートを張り、冷蔵庫から電気ブランのハーフボトルを取り出し、炬燵の火を入れ、稲垣潤一をかけ、夜へいそしむのであった。

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