不変
いつだってぼくはよくない夢を見てひとりで胸を痛めている。それはきっと誰のせいでもなくってどこにも善悪のない問題で、ただぼくの癖のようなものにちがいないのだ。幸福をえらぼうとするその道すじの中で、吹雪の中を子犬のようにぼくは迷い歩く。そうして今にも温かい家の灯が手の届くところまで近づいているとしても、ぼくはその扉をくぐる最後の最後までやっぱり不安げになって度々うしろを振り向き歩いてしまうんじゃないかと思うのだ。なんだってぼくはこうして戸棚に並んだ玩具の中で、今にも壊れてしまいそうな塗装の剥げたものばかりをえらんで遊びに興じるのか、自分でもその不幸な習性を理解しようもない。あかるい部屋の電灯を、あなたがまだ夕飯をおいしそうに食べているのに、ぼくは残酷にも消してしまう人間なのだ。真っ暗闇を愛するわけじゃないけれど、真っ暗闇は心が落ち着く。真っ暗闇の中でぼくは、あなたの手をとり髪を撫で、腰をさすっては夢の世界へ落ちてゆきたいと願う。それが他の誰であってもよいはずがないのだ。
いつもぼくはこの町を出てゆくことを考える。夜の港に船が着いて、狭い傾斜をのぼったなら、ぼくはもう海の上なのだ。甲板は思いの外乾いている。ただ風は体中を優しく慰めるような湿度を含んでいて、ぼくはサヨナラ云う。数え切れない町と村とが世界中にはあるけれど、その中でぼくの住むこの町は、唯一ぼくが住んじゃいけない町なんじゃないかと思ってしまう。ここにはもう、思い出が出来てしまったから。生きることの苦悩と引き替えに、ノスタルジアに浸るたび、ぼくはこの町を歩いてきた思い出の美しさを、消耗している。ぼくの中で思い出こそ、いちばん遠いところに置いて、そっと触れられないようにしまっておきたいのだ。この町を、そうして、ぼくを愛した人々を、ぼくは捨てるつもりでいる。背を向けるつもりでいる。裏切ったと思うならそれで構わない。確かにぼくだって学ラン脱いだあの頃は、遠くへ旅立った友のことを、冷たいやつだなんて心のどこかで思っていたんだから。頑張れよ、なんて口には出せても、愛する人の遠くにいるのは誰だって淋しい。だからぼくは船に乗る。
暑くなれば人は服を脱ぐし、寒くなればまた羽織る。ここにいたってぼくが変わらない保証はないのだ。それどころか緩やかに下降して、そのうちすり切れちゃいそうだ。だけどぼくは、どこにいたってきっと変わらないだろう。いつしかぼくは花の匂いがただ甘いだけのものでないことを知った。そうしてもう花を摘むことは二度とないだろうと幾度も夏を越えた。ぼくは孤独をえらぶつもりでいた。だからぼくには一輪の花でさえ手一杯、じゅうぶん過ぎるほど胸の内がその芳香でいっぱいになってしまって、他のアザミもバラもヤマユリも、その美しさは風景でしかないのだ。人が美しさや清らかさのみで愛されるならば、男はみな女優と子供に群がって、世の中独り者で溢れかえるだろうと、前に母が云った。おそらくその通りだろうと思った。ふいに庭先で見つけた名も知らぬ花を、季節を越えて可愛がってもいいじゃないか。あとになってそれを花屋やひまわり畑で、花弁の色のあざやかなものと植え替えようなんてどこの人間が考えようか。そんなやつは人でなく鬼だ。思い出に勝るものはないとぼくは思っている。秤も眼鏡も必要ない。ただぼくは言い逃れようのない主観に突き動かされている。それはぼくの中に病のように疼いていて、そのほか一切の介入を許さない。例えばそれを魂、たとえば信念、とか、呼ぶのだろうか。
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