片道切符

 いよいよ夏が来るに当って、しかし私の心は凪いではいない。物憂くも、また、胸躍るわけでもなく、ただ、少しばかりざわめいていて、ああ、それは未来への不安か、焦燥か、あるいは……。
 決別だ。ただ、それのみだった。私はもう後戻りの出来ないところまで来てしまっている。別れに涙はつきものだ。傷心もやむを得ない。あらゆるさよなら、また逢う日まで。
 街の暮らしはどうだろう。海風吹いて、香るだろうか。電車に乗って、陽射しを食べて、ゆらりゆられて或る休日へ。私の追い求めていたものがそこにあるのかどうかは判らないが、ここにはなかった。ここにあるのはたくさんの緑と、小さな川と、ホタル、駄菓子屋、あの坂道……。淋しい……。センチメンタル。私は間違っていない。だけど正しくもない。答えのないのが答えだなんて、人生はむずかしいんだなあ。
 あの日へはもう帰れないんだよ。だからどこかへ行くんだよ。どこか。どこかへ。
 最後に紫陽花を見よう。最後に星を眺めよう。最後、そう聞くと、ふいにあらゆる感情が込み上げて来て、ウイスキー、喉を灼いた。微笑んだあれら初恋、淡き日々は、綿菓子のような靄となって、金魚のような斑となって、炭酸水のはじけた宵の、おどろいた空白と、街路灯のにじむ灯りと、何もかも一遍に、浮かんでよみがえって波のように私を巻き込んで攫ってしまった。もう、七月だ。

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