おかえりなさい

 ライムを齧り、塩を嘗めて、銀のテキーラ飲み干せば、胸に灯りがともります。それは懐かしきノスタルジアのともしびです。ぼくの心をいつでも照らしていたそれは、確かにぼくを淋しくさせるもっとも大きなもののひとつにはちがいないけれど、それがなくてはぼくの心は、ますます空虚なばかりです。淋しさだって、あかるいのだ。透き通った青色の光をしているのだ。ぼくは長いことかけて真人間になったつもりでいた。長いことかけたつもりでいたがそれは案外短かったのかもしれない。真人間になったつもりでいたがまったくそんなことはなかったのかもしれない。友達はぼくをつまらなくなったと見損なっただろう。酔いどれに歌謡曲を口ずさむ赤ら顔のぼくを見て、みんな金曜の夜を迎えてたのだから。そんなぼくがひとり酒を飲まずに宴会などいう名目でつまらない集まりを催して、誰が素直に酔えようか。一体ぼくはこのひと月半で何を得て、何を失っただろう。ただ誠実というものは徒労さえ重ねて勝ち取らなければならないものでもあるから、まったくぼくが道化でしかなかったかといえばそうでもない。むしろぼくはたくさんの何かを得たのではないだろうか。思えば去年の暮れにはもう、ぼくはお酒を愛せなくなっていたような気がする。なんだかもう、飲むことに疲れていたのだ。あんなに好きだったはずのお酒がもう、単なる慣習の一部となってしまったのだ。いわゆるマンネリズムだろうか。けれども今のぼくはちがう。お酒がこんなに美味しくて楽しいことを、あらためて思い出した。そうして今、さっそくその副作用である憂鬱の雨脚に打たれている。何杯飲んだだろう。夕餉の供のビールとそれから、デザートに合わせてウイスキーと、今はテキーラ。窓から差し込む風の優しいこと。おかえりなさいとぼくを甘やかして、また自堕落にするつもりか。なに、ぼくは東京へ行くのだ。それだけはまちがいがないのだ。東京へさえ行けば、すべてやり直せると信じている。この町になんていたくない。いたくないのだ。だから今は、お酒でもなんでも飲んで、一晩一晩をやり過ごして行くことが大切なのだ。誰かぼくを見つけてくれないかなァ。

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