長い手紙を書きながら

 じんじんとベルが鳴って、朝の止まった空気の中で、私は眼を覚まします。瞼を開いたその途端に、もう、今日でもなく、明日でもなく、いつかの日のことを思い出しているのです。何気ない言葉の数々、特別でもなんでもない所作、天気や、季節や、生活のすべてのこと。何もかも私にふりかかって来ます。もう、戻れないのでしょうか。ええ、きっとそうなのでしょう。戻れないから、私はこんなに恋しいんです。朝がこんなにつめたいと知らなかった。みんな底抜けに明るい朝の白さは、私にはせっかちで目障りなものだったはず。だけど、この何にもない朝では、どんなにブルーな気持ちでいても、誰も咎めることもないし、電気もつけず、カーテンも閉めきったままでいたなら、ずっと暗いまま。そんな当たり前のことにも、あのころの私はきっと気づいていなかったのでしょう。
 永遠だと思えばなんでも平凡になるのです。価値なんてなくなってしまうのです。あの町が好きだから、私は町を出たはずでしょう。それであの町が本当に好きだったってことに気がついて、だけど、気がついたときには、もう、誰も思い出の中にしか残っていませんでした。私にはもう、思い出という、一台のストーブしかありません。ウイスキーを飲んだなら、それが燃料です。毛布にくるまり、凍えながら、この部屋はいつだって何も問わない。優しいのでなく無関心なんです。都会はみんな無関心。だから生きてはいけるけれど、それだけだ。
 こんな日がいつか来ることを、望んでいた訳じゃありません。あのころの私じゃ、そんなこと、考えもしなかったでしょうから。仕方のないことです。あのころの私はまだ、未来という言葉に、すべて押し付けて、今を生きていたのですから。明日の自分が、どうか健康であるようにと、願い縋られたその明日がとうとう来て、私はその聖火を受け取ることが怖いのです。だってあんまり一日が空っぽに過ぎていって、もう、かつてめまぐるしかったころのことさえ、忘れてしまいそうなんです。きっと私は、もう一度退屈な日々との邂逅を願っていたはずですし、事実、それが叶った訳なのですから、泣いて喜んでも不思議ではありません。それがどうして、私はこんなにも塞ぎ込んでばかりいるのでしょう。ばかみたいで、呆れるほどです。
 永遠じゃない。何もかも、永遠じゃない。そう自分に言い聞かせても、やっぱり私は腰掛けた椅子のぬくみを永遠のものと勘違いして、保証のない明日へ向かおうとするのです。とぎれとぎれの永遠の中で、私は眼をつぶって歩き続けるのです。

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