愛していると云ってくれ

思えばぼくは昔、大人だったような気がする。まだそれは毎晩のように中島みゆきを聴いていたころ。夜行バスに乗って遠くまで連れ去られたのは、修学旅行だったかな。学生服を着ていたことは憶えている。ちょうどお酒を飲み始めたころだったかもしれない。ぼくはお酒に酔いながら、その慣れない浮遊感の中で、中島みゆきを聴いた。ばかだね、ばかだね、ばかのくせに、ああ……。なんて、彼女がすすり泣くように歌うものだから、ぼくもつられて憂鬱になって、でも憂鬱は少し、心地よかった。ぼくの好きだった国語の先生にも中島みゆきの話をしたことがある。いちばん好きな曲の名前を尋ねられてぼくは『化粧』と答えた。「女の人はお化粧をしなさい、って感じの歌?」先生はおどけて笑った。その顔はまだ少女みたいにあどけなくて、ぼくは彼女の人生の陽のあたり具合に、思わずこの本の表紙を灼かれそうになって逃げた。可愛らしい世界で生きられる人とそうでない人がいて、先生は紛れもなくその羨まれる方の人間だった。そういう人間は足元の陰に微笑んで歩く人間に、ときどき光をさしてくれて、少しだけそのゆき先をあかるい方へと修正してくれることがある。中島みゆきを聴いていた頃のぼくは、なんだかずいぶん大人だったような気がする。それからすぐにスーツを着る日があった。周りはみんな知らない人だ。ほとんどが年上だ。そうしてみんな、力強い顔つきをしていた。飛び立つ準備を終えた人ばかりみたいだった。ぼくもその準備をしなくちゃいけないのかなあ、と思いながら、挨拶をしたら、褒められた。いやだった。自分が自分でなくなるみたいだった。席について、右隣も、左隣も、知らない人。化粧のうまい人たちばかり。ぼくはどうすればよいかわからなかった。自分のやっていることが正解かどうかもわからなかった。だけどみんな優しかった。間違ってはいないのかもしれないと思った。その夜の席にはお酒があった。ぼくは大人のふりをしてそれを飲んだ。誰もぼくを大人でないと疑わなかった。やっぱり上手には話せなかったけれど、そんなに下手くそでもないんじゃないかと思ったりして。そんな風にしてぼくはやがて、たとえばあの斜め前に座る人の指の長さを知る日が来るのかも知れないなどと、未来のあまりにふざけすぎた、いくつも首の生えた蛇のようなとりとめのなさを思いながら、缶ビールを二本開けた。そのころぼくはまだ手紙の書き方を知らなかった。冬の空気の乾いていることも、まだよく知らなかった。今はあのころよりずいぶんとまた、ひょっとして時代を逆戻りしているみたいにネクタイの締め方も忘れたけれど、声の皺だけ少し増えて、お酒のむ量も少し増えて、なにがなんだかわからないまま、夏もどうにか越えた。今。今があればいいじゃないか。昔のことは忘れたよ。忘れて、忘れて、忘れきったら、ふと、振り返ったとき、一本くらい小さな花が咲いているかもしれないけれど、その色が、白であるかどうかなんて、ぼくにはもう関係のないことなんだし。

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