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一生結ばれない男と女であってくれ

私はドラマを見る上で、なんといっても「結ばれない男と女」が好きである。いや、悲恋はダメ。そもそも恋愛なんて刹那的なものに心を奪われないでほしい、というのが正しい。

この偏った私の嗜好に応えてくれるのが、テレビ朝日の長寿刑事ドラマ「科捜研の女」の榊マリコと土門薫の2人。通称「どもマリ」である。

2014年頃からTwitterで愛を叫んできたが、自分がこの長寿ドラマに出会い、どういうところに萌えを感じているのか…これは個人的な感情にすぎないけれど、科捜研の女の一ファンとして残しておきたい。

どこに萌えるというのか

「科捜研の女」を見ていることを友人に伝えると、十中八九「渋いね」と言われる。まあ、仕方がない。キラキラした若者の恋愛ドラマから比べれば、確かに渋い。ただ私は小学生でロングバケーションの洗礼を浴び、それ以来ドラマを見て十分楽しんできており、もはや男と女が出会って結ばれるまで…というのはあまり興味が出なくなってきている。

そして私が30代に突入し、「自分にとって大切なものが家族や人生を共にするパートナーとは限らない」と感づいてしまったからかもしれない。

問題は自分がどうあるべきか、そしてそれを尊重してくれる存在こそ財産であるということ。まさに「理想がそこにある」のである。

↑近いようで遠いが正しいかな…ま、どっちでもいいかw

その道のスペシャリストを描いているのだから当然だが、「科捜研の女」の世界で生きる人々は自分が信じるものに邁進する人ばかり。そしてなにより、土門さんがマリコさんに対して一切甘さを見せることを許さない姿勢は、私にとって救いだ。

この関係性が好きな人はきっと多いはず

※ここからなぜか野球の話になりますが、関係はちゃんとありますw

今まで、どもマリの関係性をうまく説明することがどうしてもできなくてずっとモヤモヤしてきた。ただ、最近その答えがより明確化してきた気がする。

というのは、最近私は元プロ野球選手のYoutubeにどっぷりハマっていて、そこにヒントがあったという話。1993年から2010年ごろまでは熱心にテレビ観戦していたので、まさにそのころ活躍した選手たちが引退した後、Youtubeで当時の思い出や裏話をたくさんしているのが楽しくてしょうがないのだ。基本的に93年から変わらずヤクルトスワローズファンだが、ずっと見ていると他球団の選手も好きになる。これは中居正広さんの受け売りだが、本当にそう。プロ野球全体の箱推し。それが証拠に、高校生の時はアンチ巨人だったが二岡のカレンダーを飾っていたw

そしてやはり、「関係性」を語るならこの2人…。

サムネをみるだけですでにエモいが、2000年代の中日の異常な強さを体現し、プロ野球史上最高の二遊間と言われたアライバ。息の合った連携プレーは数多くのヒットを潰しに潰し、守備とはこんなに面白いのだと教えてくれた。動画を検索すれば野球を知らなくてもわかる守備のうまさ、所作の美しさに出会えるのでぜひ見てほしい。なぜそこまでできるのかと聞かれれば「アイコンタクト一つで相手が何をしたいかわかる」と言っているのだからすごい。

好きなところを聞かれれば「全部」「僕も」と答えるところも憎い。ファンサービスが何たるかを知っているプロフェッショナルである(笑)。

上の動画が特にエモいのだが、ずっとコンビを組んできた井端さんが巨人に移籍した時の心境を聞かれたときがまさにベストバウト。荒木さんが「この後、自分はどうすればいいんですか。(井端さんがいなくなったら)もう自分に価値ないじゃん」とまで言ったのである。そして最後にとどめ、井端さんが荒木さんの存在を表す言葉が「すげー!!」ので、ぜひ見てほしい。

私のこの書き方だと荒木さんの方が思いが強そうに思えるが、淡白そうに見える井端さんの方がエモい発言が多いところも、この2人の関係性の尊さを物語っていると思う。

仲が良ければ仕事もうまくいくのか?

しかしながら、これだけ微笑ましい2人だけれど、立浪和義さんや川上憲伸さんがアライバを語ると「あの2人案外仲良くないですよ」と笑い交じりに話すのは鉄板の様子。

立浪さんが「野球は仲良くなくていいんですよ。周りから見てチームワークがいいな、あの二人のコンビがいいなって思われるのがプロ」と言っていて、なるほどなあと思う。

それは2人も同じように話している。別のインタビューで井端さんは一緒に「ご飯食べに行かなくても、プレーの中で分かり合える」とも言っていた。信頼とは、現場で築かれるものなのだ。

ただ、「仲良くない」というのは語弊があるかもしれない。なぜなら、お互いの関係性を井端さんはこう語っているから。

「夫婦って、付き合っている時は会話があるし楽しいけれど、夫婦になると自然と会話が減っていくじゃないですか。それでも、お互いに何を考えていて、どうしてほしいかはなんとなく通じ合っているもの。夫の仕草ひとつで、妻がお茶を出す。僕と荒木はそれに近い関係だったような気がします」

はぁー……これを本人が言うとか……すごい破壊力。信頼は行き着くところまで行くとこの境地に達するのね……。

阿吽の呼吸とはよくいったものだけれど、互いの信頼だけで夫婦に近い関係性になれる。これを知ったときなにより先に頭に浮かんだのは、どもマリの二人であった。

(※アライバはここで終わります。長い)

夫婦という言葉が板につくのに結ばれない男と女

第5シーズン最終話で、土門さんは妹の美貴ちゃんにマリコさんとの関係を聞かれ「あいつは戦友だ」と言う。まさに当時の2人を表すのにこんなにふさわしい言葉はない。まだわかりあえてないころなので、ぶつかり合いながら互いを認め合っていく2人にピッタリだ。肌を重ねるより濃厚で壮絶な感情のぶつかり合いができる2人でしか築くことができないもの。それは仕事においての行為なので、絆を結ぶのは恋情でなく信頼。そしてそれは一緒に身を置く現場でしか成り立たない。背中を預けられる数少ない相手...一連托生の運命にある間柄なのである。

しかしながら、2人はすっかり大人になった。マリコさんは昔の旦那に心を乱されることもなく、誰にも媚びずに一人狼のような尖りもない。土門さんも誰かに当たり散らすような乱暴さは鳴りを潜め、二人とも人間的に成長し、部下の成長を静かに見守る器量さえ見せる。

そしてなにより、真実を追求することにマリコさんは迷わなくなった。情に流されることもあったのに、なんの驕りも油断もない。もはや失敗など絶対に繰り返さないと覚悟を決めたベテランの境地。「夫婦」とはそんな二人にこそ使われる言葉である。

科捜研の女を語る上で避けては通れないこのエピソード。土門さんとマリコさんが捜査のなかで犯した痛恨のミス。

その落とし前は佐久間部長がつけたわけで、

覚悟を決めた二人は、藤倉部長に何を言われようとも自分を突き通すと決めた。

まさに「夫婦ではないのに、夫婦のような関係性」。

くっつくのは簡単。でもそうならないからこそ、こっちは愛しくて切なくてたまらないのだ。

仕事上でしか成り立たない尊い関係

上記で現場でしか成り立たない関係である…と書いたが、私はいつもそのことにせつなくなる。

仕事の上なら何を考えているか手に取るようにわかる、相手の言葉を100%信じれる。でも、例えば何の食べ物が好きなのか、何の趣味があるのか、どういう人生を歩んできたか…そんなことは事件と絡まない限り一切知ることはない。だからこそ、土門さんの死別した奥さんの話が成り立つわけで。本人たちはどうでもいいことだろうけど、人生を共に歩むパートナーではないからこその身を切るようなせつなさが私を襲うのだ。

そもそもどもマリ色の強い話は少ない

何度もインタビューなどで答えていらっしゃるが、中の人はとにかく恋愛関係を意識しないように演じている。視聴者が勝手にキュンキュンしているだけにすぎず、どもマリは視聴者が喜ぶと知った制作側が掌でこちらを弄んでいるだけにすぎない。「今日もくっつかなかった…たまらん!」とそのじれったさを勝手に楽しむプレイの一環である。

そもそもどもマリ色が強い話は案外少ない。マリコさんが婚活して土門さんがモヤモヤしたり、土門さんの奥さんの話が出てきたりというのは1シーズンにつき1,2話あればいいほうで、あったらそれは公式からの「ご褒美」と捉えるべき。もはや一緒に捜査してるだけで萌えは発動するし、このくらいの気持ちの持ち方でしてた方が太く長く愛すことが可能になる。

それに甘んじていると、このような描写だけで萌えられるようになる。

いかがだろうか…。

いろいろ並びたててみたが

私は制作側がどもマリを意識しながらも、絶対に男と女の関係にはならないと断言しているところに絶大なる信頼を寄せています。

だからこそ、萌えは生まれる。

新しいシーズンでも、自分が信じる「どもマリ」にまた出会えることを願って。

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