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➡︎ コンテ ニュー

2021.11.14
延期されたビーフケーキ単独ライブ2021「CONTE NEW」
追加されたチケットを買えたので、観に行った。

ビーフケーキであった頃の彼らを観たのは一度だけ。
当時中学生だった私は地元広島で開催されるイベントにしか行けなかったから、紙屋町劇場「PLEASURE LIVE」が主な現場だったのだけど、2010年11月13日のPLEASURE LIVEで観て、それっきり。
てか今大事にとっておいてたフライヤーを漁って確認してびっくりしたけど、いや、日付!
最初で最後のその日が11年前の昨日だったみたい。
なんか変な気分です。
13日は大事な予定があったからやめといたけど、もし13日のチケットを買ってたら、気づいたときとんでもないリアクションしてただろうな。


ご時世なやつで全席指定のライブに慣れてきて、開演10分前に席に着いた。
私の座った最後列から、小声で同行者と会話をしながら待っている人、スマホでゲームをして暇を潰す人、ギリギリまで何かをチェックしている人、何人かずつ確認できたけど、何もせずただ開演を待っている人が多いように感じた。私もそうだった。
会場いっぱいに知らない誰かの緊張感があった。
最後にもう一度時間を確認して、スマホの電源を切る。開演までもうすぐ。灯りが小さくなっていく客席はほんとうに静かだった。
拍手するのか、しないのか、これは会場の全員がちょっと迷ったんじゃないかと思う。
結果、しなかった。いよいよ開演、という雰囲気になっても、幕が開いても、姿が見えても、声が聞こえても、拍手は起こらなかった。
できなかったのかもしれない。
始まってしばらくは膝の上で握りしめた拳が震えていて、ステージを観るので精一杯だった。

聞いたことのある声がすぐそこにあった。
見慣れた衣装の人たちがすぐそこに居た。
私たちは自分の呼吸音も気になってしまうほど、誰もなんの音も出さずにいた。
最初のコントで「サーカス」という言葉を聞いたとき、やっと客席から何人かの声が漏れた。

これがはじまりだ。
いや、"つづき"らしい。

幕が開いてそのままコントが始まって、オープニングムービーに出囃子を使うなんてずるい。
みんな拍手もできず、息をのむ音が聞こえるくらい静かに"つづき"を待っていた。

コンテニュー。
一度終わらせないとコンテニューはできない。
「終わりのつづき」って、確かコントの中でそう言っていた。
私は観たものを細かく記憶に留めていられるほど頭良くないし、メモする余裕なんて全くなかったし、そんなことできる空気じゃなかったんで曖昧なんだけど、「終わりのつづき」のほかに「つづけるために終わった」とも言っていた気がする。 
好きで居続けるためには趣味にするしかなかった、とも。(それぞれ別のコントだったはず)
「終わりのつづきをする」って、すごいコンセプトだ。

あまり細かく感想を書くことが得意じゃないし(さっきも書いたとおり記憶力がアレだし)、配信無しのものを文字起こし的になんでもかんでも客が公開するのはよろしくないかと思いますし、詳しいことはうまく言えないんだけど。
全体的に、もう解散しているコンビなんて信じられないほど完成度の高い(もっと生意気じゃない言い方ができたらいいんだけど、すんません)単独ライブだった。
ステージセットも素敵。
客席の足元に散らばっていた葉っぱ、なんだろうと思っていたけど幕が開いてから納得した。
森の中のような、夢の中のような。
ものすごく幻想的で、思いっきりフィクション、そのはずなのに、たまにすでに解散している自分たちの関係性をちょっとだけコントの内容に絡めてきてて、その度グッと現実に引き戻されかけた。
時系列がめちゃくちゃな映画を観てるときみたいな振り回され方。
あと、芸人さんの単独ライブの構成に「おお!」となる瞬間が好きだなと再確認した。

ふたりの見た目の"そのまま"さもあって、どこまでも不思議な空間に感じた。お客さんの雰囲気や服装もなんとなくどこかで見た感じがして、懐かしいような、変な感覚。まるで私が地元の劇場に毎月通っていた頃へ時間が戻ったみたい。

たぶん終演までお客さんの緊張感もとけなかったんだろう、グッズのTシャツを着たふたりがもういちどステージに立ったとき、初めて大きな拍手が起きた。長い長い拍手だった。
幕が降りたくらいで、これで終わりだって信じたくなかったのかもしれないし、終わったことに気づかなかったのかもしれないし、コント外の彼らを見てようやく体が動いたのかもしれない。

そんなライブでした。ずっと独特の空気で自分の体が固まっていたので、エンディングトークで笑顔を見たとき力が抜けたし、松尾さんの「こんちゃん」呼びに震えた。こんちゃん…ああ…こんちゃんって言った…………


これはライブの解釈ってわけではないけど、私が普段から思ってることをちょっとだけ。
なにかをするためになにかを諦めた経験がある人を、美しいと感じてしまう。
いっそ何もかもやめてしまったほうが幸せでいられるのはわかっているのに諦めきれない人も、その自分の性格を変えようとすることに諦めをつけて向き合うことにした人なんじゃないかと思う。
諦め、終わり、その続き。
もっと気楽でいいはずなのに苦しんで悩んで、大切なものを手放すかどうかの決断までいったことがある人が、とても愛おしい。
何かを前向きな気持ちで諦めたことのある人の、悲しさとか虚しさからうまれる、きらきらしたものが好きだなって思うのです。
何かを諦めることってかっこ悪いですか?
私はそうとは思いません。

ビーフケーキ
またいつか会えたらいいな
夢に出てこられたら、それはきっと悪夢だけど。


追:シフト制のオフィスワークをしているわたくし、チケット発売日が出勤で、販売開始時間も始業時刻と丸かぶりだったので、始業1分前に「すんません!トイレだけ行ってきていいですか!」とドデカ声で宣言して会社のトイレでチケットを買いました。
ごめんなちゃい。もうしませんとは言えませんが2分で済ませたので許してください。

あと、アホなのでCONTE NEW=continueで掛けてあることには始まってしばらくしてからようやく気付きました。アホすぎて無理。

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