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これはきっと、この世界でもっとも愛おしく凶悪な呪い。

去年の今頃、まいにちこの花の姿をうつしては、ぼうっとわたしの隣でねむる猫に見せるのが日課でした。
そしてそれをみると彼は、ああきれいだねぇ、と欠伸をしながら言うのでした。それがおきまりでした。

ある日、珍しく猫の方からわたしにこう尋ねました。
この花の名前、なんて言うの?
カンパニュラ。鐘のような形をしてるでしょう。
そっか、そのまんまだ。
かわいいよね。わたし、このお花がとても好き。
かわいいね、カンパニュラか。
うん。

机の上でかわいらしく咲いていたカンパニュラが跡形もなく消え、ひまわりが空を仰ぎ、コスモスが紅の装いと共に咲き誇った頃、あのときの猫はいつの間にかわたしの隣から居なくなっていました。

そんなある日、わたしは道端で見かけた小さな花を写真に切り取り、ひとことこう綴って添えました。
「かわいい花を見つけた。この感じ好きだな。」

やがてその投稿も冬景色に埋もれ始めた頃。
「あなたの好きな花は、カンパニュラ、じゃなかったのですか。」
と、名もなき送り主からの便りが届きました。
差出人の名前こそ無かったものの、それ紛れもなくあの猫からの便りでした。

いいえ、
カンパニュラが1番に決まっています。
しかしなぜ今更になって、
改めてそんなことを聞くのですか。
と、返事を出そうかと思ったけれど、
結局のところ何一つ言葉を返せませんでした。
そしてそんなことはきっともう、わたしにも彼にも必要のないことでした。

彼がわたしに投げかけた問によって明らかになったことは2つ、“人”にすら興味が無かった彼がこの花の名を覚えていたということ。そして彼の中ではその花と共にわたしが記憶されていた、ということでした。

それだけで、全てが報われた気がしました。

きっと、来年も、その先もずっと。
わたしはこの季節になる度に、わざとらしく花屋の前を通っては、偶然を装ってこの花を手に取るのだろうなと思います。あたかもまるで興味なんてなくて、しかしそれは初めから決められていた当然のことのように。

花の名を誰かに教えるというのは、
そういうことだと思います。
わたしにとって冬がまさしくそうで、この季節を迎える度に彼を思い出さざるを得ないのです。

これはきっと、
この世界でもっとも愛おしく凶悪な呪い。

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