「好き」を盾にとって

昔むかしの話、

その当時付き合っていた彼とこんな口論をしたのを覚えています。

「好きなら俺のこと信じてよ。」

若かりし頃のわたしは「信じてよ」と言われて、

困惑したのを覚えています。

困惑しながら、

「好きだから信じたいけど、信じられなくなる行動をしないでよ。」


「好きなら●●できるでしょ?」「好きなら●●してよ」「好きなら…」

「好き」という気持ちを盾にされると、実に困惑します。

そもそも、信頼とは獲得するものだとおもうのです。

ひとつひとつの積み重ね、みたいなね。

好きという気持ちは必ずしも、純粋なわけでもないのだけど。

であったとしても、「好きなら…」を口にするたびに、

弱みに付け込むような気がしてならないのです。

だけど、それをうまく有効利用できる時だってある。

「わたしのことを好きなら、病院に行って検査してもらって。」

とかね?

必ずしも悪いとは言い切れない気がしてきます。


言葉に隠された、にじみでる気持ちというのは、

時折……

ビビリます。










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