読解力・情報処理能力・関心意欲態度

 夏休みを目前にして、テストに追われたり、懐かしい人と話したりしている。夏は嫌いだから外に出るのはとても嫌だが、部屋にずっと籠もっているとどうにかしてしまう質なので、外に出なければならないお陰で病まなくて済むのはありがたい話だ。うそ、テストも人も俺んち来てくれ。

 最近あったことをまとめて書こうと思っているのだが、思い出せるトピックが少ない。1つは友達とミスドで勉強していたら気が違ったひとがいて、警察沙汰になっていたこと。もう1つは飲んだ帰り、家の周りの暗い夜道で友達に脅かされたこと。毎日日記を書いていたらそれぞれ詳細に書いていただろうけど、今は特にそんな気も起きない。そもそも別に目的があってこの日記を書いているわけではなく、長い間更新していなかったのが気持ち悪くてPCに向かってみているだけなのだ。

 実のない駄文をただただ書き連ねているのもしょうがないので、今日少し考えていたことでも書き残して置こうと思う。

 最近、小学生の全国テストで、三角形の面積に関する問題の正答率が低かったという話があった。テープを切り取って2つ三角形をつくる。そのどちらも底辺の長さが同じであるので、どちらも面積が同じだというのが正解だ。今日、たまたまそれ関連のニュース番組を見ていた。その番組に出演していた芸能人がその問題を間違っていたことも衝撃的だったが、朧げな記憶から様変わりしたそのテストの様子に更に驚いた。算数のテストがまるで共通テストのように、図表や詳細な場面設定に基づいた読解力を試すものになっていた。たしかに、大学入試が変わればその下の小中高の教育やテストも変化せざるを得ないだろう。それにしてもすっかり変わり果てた姿は驚きだった。

 読解力、という言葉で小学生の頃しきりに両親が、すべての教科の中で国語が一番大事だ、と言っていたのを思い出した。その言葉の趣旨は、まさにちゃんと文章を読解できなければ算数を含めてどんなことも理解できないし、問題も解くことができないということだったと記憶している。両親がの発言の中で、数少ない賛同できるものだ。小学生レベルの話で躓くのは大体、ちゃんと読んでないとかそういうところに起因する気がするし。

 しかし、共通テスト含めて、最近の文科省がいう読解力はそれとはどこか違うものである気もする。読解力と言いつつ、情報処理能力的なものが過度に求められている気もする。読解力や情報処理能力が必要なことには賛同するが、そもそも原理原則を理解しているか把握するため(?)の継続的な全国テストという調査の出題傾向を変えることは少し別問題である気がする。問題が過度にひねられたことで、それ故に間違ってしまっているのか、それともそもそもの基礎が理解できていないのか調査できなくなるのではないのだろうか。まぁそんなことわかった上で流石に考えられた問題が出されているのだろうと思うし、そう信じたいけれど。

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