分岐点

 なんだか18歳くらいからずっと、「この1年で人生が決まる」とか思いながら生きている気がする。

 大学受験、浪人、大学入学、今度は就活か。俗世のルートに乗せられて、本質的に自分にとって良いのか悪いのかわからないタイミングで大きな決断を急かされ続ける。辟易としながらも、そこから大きく外れる勇気もなく、風潮とか慣習とか、周囲への見栄とか、別の意図が見え隠れするような意識高そうな意見とか。そういうものに流されてきた。

 これまでの決断はもうしてしまったものだし、やり直したくても戻れない。後の祭り、時すでに秋元康。
 流されていることをある程度認めた上で、それぞれの決断について迷って、それなりに自分の意思に従って選び取ってきていると思う。それでも、ふとしたとき、本当にこれで良かったのかなんて考えたりする。しかし、決断自体に大体大きな意味はないのだ。多分。決断して選んだ環境で何をするかで、その決断の正しさとか、良さとかは後から規定できるはずだ。そう思っていないとやってられない。

 昨日は少し前に見つけた、気になっている企業が参加しているイベントに行った。LTとか対談とかも面白く聞けたし、懇親会でその企業の社員とか、対談相手の社員とか、何回りか上の他の参加者とも話すことができた。きっと有意義だった。僕はまだまだ学生の中でもよわよわだし、技術の周りのことよりも、働き方の方に興味があったので、そういうことを聞きながら進路相談というか壁打ちというかみたいな会話をした。話せば話すほどわからなくなる。

 お世話になっている先輩がいる。先日、ご飯に連れて行ってもらった。将来の話になり、就活を考えている旨を述べ、自分が気になっている会社の話をすると、「君はエンジニアよりももっと全体を俯瞰することの方が良いよ」と言われた。自分としては、エンジニアで割と腹が決まっていたので、先輩の話を聞いて新たな軸が出てきて途方もない宇宙の気持ちになった。
 一緒にプロジェクトを進めていた人だし、きっとそういう意見は取り入れるべきなんだろう。自分としても、その後の会話で話したことに納得感もあった。しかし、社会について何も知らなくて難しい。

 そういう話を長らくプロジェクトを一緒にしている友達にしたら、「自分もそう思う」と言われた。自分が働いている(?)姿を直接見てくれている人の意見が一致した。
すべてを1回まっさらにして、今後の進路を悩まないといけないらしい。しかし、時間があるうちでよかった。

 この文章で何が言いたかったのかはもうわからなくなってきたけれど、何を選ぶにせよ、結局その先に自分が納得行けば何でもいいのだ。その楽観性をどこかに携え、何かを受容し続けながら手を動かし、たくさんアウトプットして藻掻く春休みにしたい。


 というわけで春休みは週に2本くらいは文章を書きたい。次回のテーマは「『刺激があった』という感想が嫌い」の一本立てです。。。



この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?