仲本直輝の漫画家もがき紀行その1(プロローグ)
この紀行文は、漫画活動継続の危機を迎えたしあわせジョンの作者仲本直輝のもがき旅の記録です。
■プロローグ
「旅なんだからもっと楽しもうよ!」
柄にもない標準語をひとりごつと、昼過ぎの日差しの中、垂れ流す汗とともに憑き物が落ちたように笑みがこぼれた。だけど至って真剣でもあった。ずっと臆病になっていた。心の奥底の本当の自分はどれだけ旅がしたかったか。
この紀行文を読むにあたり、まず、これまでの私のことと、新たな旅に至る経緯を知って頂く必要がある。
私はしあわせジョンという漫画を描いている漫画家もどきである。これまでSNSで作品を発表し、自主出版の通販を軸に、なるべく自分で色々やってきた。
それなりに上手く行ってはいたが、常に問題を抱えていた。個人漫画家にとってSNSは収入に大きく関わるツールである。それ故に私はしあわせジョン執筆当初からSNS依存症気味であった。フォロワー数が1万人を超えた2022年ごろに、初めての状況に戸惑い、精神的負荷が大きくなってアカウントを削除。しかし他にうまく作品を届けるやり方が見つからずに、アカウントをイチから作り直した。
活動5年目を迎えた2024年の元日に、能登半島で震災が起きた。何かを変えることを迫られた思いがした。2月に単行本「止ませられる雨はないよ」を出版した後、生活を俯瞰で見るため、旅先での執筆能力や体調維持能力を身につけるため、1週間ほど旅をしながらスケッチブックに絵日記を描いて、SNSにリアルタイムで投稿。帰宅後それをすぐにデータにして、「:ライブ!しあわせジョンと仲本直輝の18切符旅日記」として出版。これは皮肉にもSNSの特性を活かした取り組みとなったが、やはり自分が数字やいいねに惑わされる感覚がどうも好きになれない。そうこうしているうちに、SNSプラットフォームの度重なる仕様変更やボットの氾濫に、だんだんと旨味すらなくなってきて、二度目のアカウント削除を決行。
自分の主義を通すのは厳しい。主義というよりは逃げかもしれない。当然読者数は落ち込んだ。かといって商業雑誌への投稿もなんだか乗り気でない。他に作品を届ける方法はないものか。収入は激減し、生活が守りに入った。
自分にふさわしいもの、必要なものは何かと、持ち物に向き合った。売ったり捨てたりして、荷物は畳一畳に収まるほどになった。
外食はほとんどしなくなり、図書館で本を借りて読み、友だちとも遊ばず、自宅のインターネットの契約も解除して、所有するネット環境はスマホの1ギガだけ。Wi-Fiのある環境にパソコンを持ち込んで雑務をこなし、出費を抑える。これは無駄なネットサーフィン防止に大いに貢献した。貧困や不便と思っていたものが、愉しみや持続可能な社会へのヒントになることも学んだ。
そんな学びをネタにして、6月には長編漫画「ぽかぽか島」を描いた。こちらも少部数出版し、作品はホームページで全て無料公開し、これまでしあわせジョンのグッズを買ったことのある人ひとりひとりに、メールを送って告知した。まとめて送ろうとしたら、CCとBCCを間違うという新入社員のやるようなポカをかましたので、一通一通送った。長編には気合を入れたつもりだったが、それでも手応えはゼロに近かった。当然原稿料もない。我ながらアホである。その後何作かnoteで漫画を公開したが、作品を描くだけではやはり何も変わらない。何かが間違っていた。
世の中も自分自身も、状況が悪くなるように思えた。今客観視すると、かなり思い詰めた数ヶ月であった。変わりたいのか逃げたいのか、旅に対する気持ちだけが心の奥底にどんどんと沈殿していた。しかし貯金を動かすことにもかなり臆病になっていた。私はエレキギターもCDも手放したけど、執着を手放せなかったのだ。
そんな私の気持ちを変えたのは、三村君という友人の姿だった。
三村君はほぼ同い年で、自分がフォークソングにハマっていたとき出会った友だちの1人だ。アイリッシュ音楽のサークル出身、サラリーマンを辞めて少しフラフラ遊んでから、岡山で実家の印刷業を継いでいた。
人望もなく多くの人と疎遠になっていた私に、彼は誘いをよこしてくれた。彼は8/12に京都の三密堂書店という老舗の2階で行われる小さなライブに参加するため車で来るのだが、その前日に大阪で食事しないか、とのことだった。
飲み屋で、刺身や季節の野菜をつまみながら話した。私のひどい現状を聞いてか、彼はご馳走してくれた。彼は私と真逆に、大柄で気前がよく、お酒を沢山飲むのだが、何よりも幅広い趣味と経験があった。
映画に釣りに旅行にギャンブル…虫を食べてみたり、ダムを見に行ったり…何でも好奇心を持って、とにかくやってみるという。その姿に私は感銘を受けた。
今の時代、有名人から素性のわからない人まで、やってみることが大事だと教える人はいっぱいいる。しかし彼は私に教えようとしたわけではない。彼はそう在るだけで、そのことがあらゆる説法よりも私の心を動かした。自分が守りに入りすぎていたことに気づかせてくれた。
かくして私は、漫画を描くのは一旦置いといて、ずっとやりたかったけどやっていなかった旅を通じて、外回り活動をしてみることにしたのだ。旅、旅、旅!
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