ここが私の、あなたの、みんなの帰る居場所 ~AKITA CARAVAN MUSIC FES2022に参加して~
最初の年は、悔しくもやむを得ないという気持ちでした。
来年はきっと大丈夫。その時2年分はしゃごう。
でも次の年も、あと少しのところで。
悔しくてやり切れなくて、どんなに頭で理解出来ていても心の折り合いがつかなくて。
来年は、会えるのかな。
不安にもなって。
そんな2年間を経て、やっと、やっと、
秋田の大好きなフェスが開催されました。
3年ぶりに秋田に着いた時。
会場が見えた時。
ゲートをくぐって、ステージエリアに入った時。
何度も目の奥がツンとしました。
でも今じゃない。
泣くのは、全部が始まってから。
そう心に決めて、開演を待っていました。
そして、主催の高橋優さんがステージに登壇して、
「フェスが2年間中止を余儀なくされた時、率直にどんな思いでしたか?」
そう聞かれた時、
「悔しかったです!」
そして、こう続けていました。
「心が折れそうなこともあったけど、中止が決まった時、皆さんがSNSに、来年は行きます!っていうメッセージを沢山送って下さったんです。前を向いている人が沢山いたんです。ああ、俺も落ち込んでる場合じゃないなって。
皆さんがいたから今ここに立てていると思っています」
ああ。
あなたはどうしてそんなに強いんだろう。
前向きな声も沢山あった。
だけどそれと同じくらい、あなたを傷つける言葉もあったはずなのに。
言葉の暴力に耐えられなくなったっておかしくなかったはずなのに、
それを乗り越えたのは、あなたの想いの強さそのものだろうに、
皆さん、皆さんって。
この人を応援しているってことが、どれだけ誇らしいことなのか。
感謝するのは私の方なのに、
ギターを手に取った優さんが歌った言葉は、
言葉にならないくらい、嬉しかったです。
今こうして文字に起こそうとしてもできない気持ちは、拍手に換えて、これからもできる限り届けていきたいと思います。
そして始まったフェスでは、音楽に、エンターテインメントに、たくさんのものを懸けている人達による、熱く、優しいメッセージが届けられました。
真夏日まで気温が上がった夏の終わり、よく晴れた空は真っ青で、その向こうに山の緑が見えて、時々吹く涼しい風は心地よくて。
そんな野外にこだましていく大きな大きな音楽。
これなんだよなぁ。
私が6年前、横手で心底好きになって、これからもずっと行きたいと思った空間でした。
楽しく充実した2日間は、あっという間に過ぎていきました。
そしてヘッドライナー優さんの、最後の曲になった時。
「人生のピークはいつ?って聞かれたら、なんて答えますか?青春時代ですか?
僕はいつだって『今』って答えたいんです。
過去にもいいこといっぱいあったけど、これからだっていいことあるかもしれないけど、
少なくとも今の僕にとってのピークは、この最高の景色を見させてもらってる『今』です」
そうして、HIGH FIVEが始まりました。
バンドの楽器の音と、コーラスが大きく響いて。
皆さんの表情から、このフェスに対する熱い想いが溢れていて。
優さんの歌声が、まっすぐに北秋田の会場に飛んでいって、満たして。
気づいたら、大声をこらえて涙を流す自分がいました。
悔しかったこと。嬉しかったこと。不安なこと。やりたいこと。幸せだったこと。幸せになりたいこと。
自分の中で閉じ込めていたものが、全部解放されたみたいでした。
ああ、前を向いてたいな。苦しいけど楽しく生きていきたいな。
こんな想いになれるのは、間違いなく、秋田だからです。
優さんが作ってくれた、守ってくれたフェスがあるからです。
それについて行くバンドメンバー、スタッフの皆様、出演者の皆様、
このフェスを愛する人がいるからです。
大好きな人と、大好きな場所で、大好きな音楽に、心ゆくまで溺れることができる居場所に、あのフェスがなってくれたからです。
6年前、生まれてこの方秋田に縁もゆかりも無かったけど、勇気を出して秋田に来てよかった。
たくさんを乗り越えて、またフェスが開催できてよかった。
高橋優というひとに出会えてよかった。
初日のエンディング、優さんがひと言求められた時、
「僕が何か言うより、皆さん一人ひとりの言葉が聞きたいです!」
と仰っていましたが、もし聞かれたら、こう答えたい。
ただただ、幸せでした。
東京都民ですが、ここを居場所にしていいですか?
あなたにとって大切な秋田を、私の帰る居場所と言わせてください。
本当に、本当に、ありがとうございました。
そしてこれからも、よろしくお願いします。
みんなの居場所が、これからも素敵な場所であり続けますように。
ちっぽけないちファンの、だけど一生消えない願いです。
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