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優等生の反抗心 あるいは 優等生であり続けるために ー 郡山市立美術館2020年度第2期常設展レビュー

志田康宏(栃木県立美術館学芸員)

1.優等生の凡庸と悲哀 


   地方公立美術館の常設展は、目立たない。これは美術館学芸員としての率直な実感である。美術館に足繁く通う美術愛好家の中には常設展が好きだという声も少なくないが、その声は多くの場合、規模が大きく所蔵品も豊富な中央の国立館の常設展を想定しているだろう。〇〇県美術館、□□市美術館の常設展が好きで足繁く通うという人はどのくらい存在するだろうか?学生時代の私自身がそうであったように、自宅の近隣の美術館の常設展示室を思い出すことも困難な人がほとんどではないだろうか。 
 地方公立美術館の常設展は目立たないのである。それは、言ってしまえば、地味で、難しくて、おもしろくないからである。
 一般に、公立美術館の常設展は、海外美術・日本美術そして地域の美術を、洋画・日本画・版画・彫刻・工芸などの諸ジャンルをバランスよく網羅しながら、なおかつ中世・近世から近代、現代に至るまでの歴史を辿れるように古いものから新しいものまで並べて展示することがひとつのセオリーであり、可能な限りそれを踏襲するコレクション形成・展示をすることが目指されている。
 このセオリーを成り立たせている海外のものが見たい、日本のものが見たい、地元のものが見たい、古いものも新しいものも見たいという要望は、日本の美術の歴史の中で培われてきた足跡そのものである。
 明治時代に黒田清輝や白樺派の活動によってヨーロッパの前衛美術運動であった印象派が紹介されるや、多くの画家が西欧諸国に留学し油絵やデッサンを学び、西洋近代美術が求められるようになった。1970年代には、岡本太郎が埴輪や縄文彫刻をモチーフに取り入れたことで、日本の古い造形美術も日本美術の源流として脚光を浴びた。日本の高度経済成長を背景に、東京国立博物館で開催された「モナ・リザ展」(1974年)や、ゴッホの《ひまわり》を日本企業が58億円で落札したこと(1987年)に象徴されるアート・バブルの時期には、改めて海外の近現代美術が求められた。その一方で、戦後、全国に林立した地方公立美術館には、地元の美術を展示してもらえるよう地元作家が働きかけ、団体展や芸術祭の形で地域の美術を展示する場にもなっていった。これらの文化的経緯を吸収する形で日本の美術館のコレクションが形成されていったのである。そのため、すべての要望を取り入れ叶える豪華かつ無難なテーマ設定と展示ラインナップを実現していれば、常設展としては優等生とも言えるのだ。優れたバランス感覚の上に成り立つ充実した収蔵品がそれを可能にしている。
 しかし、その館で目玉となる作品や中心作家は頻繁に(または継続的に)展示されるため、常設展は「いつも同じ」という印象を受ける来館者も多い。来館者アンケートにはそのようなリピーターの飽いた声が頻繁に書かれてしまうものである。

 正直に言って、今回取り上げる館も常設展レビューの方向性にとても迷った。今回対象として取り上げたいのは、福島県の中央部・郡山市にある郡山市立美術館である。
 郡山市立美術館の常設展は、イギリス近代美術・日本近代美術・郡山の美術・版画(と工芸)という大枠のテーマを設け、その中で会期ごとにさらに細かくテーマを設定し展開している。2020年度第2期(7月22日~10月18日)のテーマは以下、

1. イギリス美術の流れ
2. 近代洋画の金字塔
3. 戦後の美術潮流と郡山
4-1. 明治以降の版画
4-2. ドレッサーの芸術 東西の美

となっている。
 館の目玉であるイギリス近代絵画を皮切りに、日本近代洋画のスター作家たちの作品を集め、地元の美術も押さえた上で、人気の高い版画や工芸も外さないという、豪華でありながらバランスもとれた安定のラインナップである。そして同時に、とてもオーソドックスで平凡でもある。とはいえ、従来のセオリーに則ったテーマ設定は守られていたので、「常設展の優等生」や「正統派常設展」のような方向性でレビューするのが妥当だろうか?と考えながら取材に向かった。少なくとも、本連載のどこかで、地方公立美術館の「優等性と凡庸さ」については一度言語化しておく必要があるだろうと考えてはいた。


2. 雪村と郡山


 JR郡山駅からバスに乗り10分ほど、阿武隈川を渡った先の森の中でバスを降り、看板に導かれるまま木々の中に分け入ると目に飛び込んでくる綺麗な建物が郡山市立美術館である。全国で多くの美術館建築を設計した柳澤孝彦による建築はちょっとしたコンサート・ホールのように大きく、建物手前に広がる石造りの前庭は枯山水庭園のような荘厳さをまとっている。
 エントランスをくぐり、なだらかな階段状に奥まで続いている展示室前ロビーには木製のベンチやカウンターが配され、近代的でありながら木のぬくもりが感じられる柔らかい印象を与える開放的な空間となっている。
 せっかくの訪問なので、1階の企画展示室で開催されていた企画展『郡山の美術「今昔秘話展」―雪村を中心に―』を常設展に先立って観覧した。
 室町時代の画僧として広く知られる雪村周継は、常陸国(現・茨城県)の出身で、会津や奥州を渡り歩き、晩年は現在の福島県三春の地に庵を構え過ごしたと考えられている。雪村没後に「雪村庵」と呼ばれるようになったその庵は現在、郡山市西田町に再建されている。近隣地域には雪村の作品や資料が残されており、本展最初の展示室には県内に残されたいくつかの雪村作品の展示があった。

展示風景 雪村

企画展示室 第1室 展示風景


 本展の目玉は同館所蔵の《四季山水図屏風》である。右から左へ四季の風景が描かれた山水図で、20点ほどしか確認されていない雪村の屏風作品のうちの1点である。作品の隣の壁面には、同作の紙継ぎに関する近年の研究成果が大きなパネルで解説されており、館蔵作品の研究が現在進行形で進められていることが示されていた。
 中盤に地元作家・渡邊晨畝の特集展示、郷里の作家による風景画の展示を挟んだ後、後半は館蔵作品の修復の成果を見せる展示であった。屏風や洋画、彫刻など多様な作品が並べられているが、これらは館が毎年継続的に行っている修復の対象となった作品群であり、作品ごとに並置されたパネルでどのように修復がなされたのかがそれぞれ解説されている。実物と解説パネルを見比べながら、紙が破れていた部分の補修であったり、後世に変更されていた色や模様の復元であったり、枠張りによって隠れていた部分の発見であったり、修復の成果がわかりやすくまとめられていた。中にはX線撮影で発見された、絵の下に隠されていた別の絵の発見など、最新機器による科学的調査に基づく発見もあり、興味深い。本展に合わせて作成され会場で配布された小冊子『郡山市立美術館コレクション秘話』は、本展の第4章「伝え継ぐ コレクションの秘密」を解説する内容で、展示作品の修復の成果がまとめられていた。


企画_修復_小林万吾

第4章 修復パネル展示(小林萬吾《朽葉の袖》)


 企画展最後の第5章は現役作家による大作の展示であった。彫刻家・黒沼令による存在感あふれる空想の人体像や、佐藤鎭雄による横長の木炭画は、力強い生命力を感じさせる存在感の強い空間を作り出していた。
 事前に目にしていたチラシやポスターのイメージから、雪村だけの展覧会だと思っていたので、後半に違和感を感じたのが正直なところだ。しかし、雪村、渡邊晨畝、地元の風景、修復作品群、現役作家と並べられた展覧会ということがわかって、ようやく「守り継ぎ受け継ぐ、コレクションと郷土の美術」というチラシに書かれた一文の意味を理解した。自館のコレクションを中心としながら、地域の作品を守り、受け継ぎ、修復し、発見するという、地方公立美術館の担うべき役割を真っ当に体現する展覧会であったのだ。
 1階企画展示室を後にし、アントニー・ゴームリーの彫刻を眺めながら階段で2階に上がり、ようやく常設展示室に入場する。
 常設展示室は大きく分けて4つの空間に区切られていて、4つ目の空間をさらに手前と奥に分割し計5つの章で構成されている。


常設第1室

常設展示室 第1章 展示風景


 第1室は「イギリス美術の流れ」である。美術館には西洋近代絵画の展示が求められがちだが、フランスやイタリアなど各国の作品を網羅的に集めることは実際には困難であるため、一国に絞って収集することも少なくない。郡山市美所蔵作品の目玉はJ.M.W.ターナー《カンバーランド州のコールダー・ブリッジ》やジョン・コンスタブル《デダムの谷》などで、イギリス近代美術の中心作家を抑えたラインナップである。またサー・ジョシュア・レイノルズ《エグリントン伯爵夫人、ジェーンの肖像》も重厚かつ豪奢な存在感を放っているし、近年収蔵されたサー・フランク・ブランギン《エリザベス女王の乗船を待つゴールデン・ハインド号》も小品ながら堂々たる魅力を持つ作品である。
 第2室は「近代洋画の金字塔」と称し、司馬江漢、高橋由一ら初期日本洋画の巨匠を皮切りに、黒田清輝、藤島武二、梅原龍三郎ら近代洋画のビッグネーム、さらに大正期に日本に水彩画ブームをもたらした大下藤次郎、三宅克己らの水彩画家まで、地方館とは思えないほどの充実したラインナップを見せるコーナーであった。
 第3室は地元作家を特集する「戦後の美術潮流と郡山」である。1946年に「郡山美術展覧会」を開催した安藤重春、後に「新作家グループ」として福島県の前衛美術をリードする団体となった「福島県新美術連盟」を結成した鎌田正蔵や佐藤昭一など、郡山を中心とした県南地域で活躍した作家の作品が紹介されていた。福島の地域美術団体といえば、戦前にいわきで結成されていた洋画家・若松光一郎を中心とした美術サークル「X会」が近年発掘され再評価の光が当てられたが、地域の歴史を語り継ぎ、受け継いでいく使命も地方公立美術館に担わされた重要な役割のひとつである。
 第4室前半は、明治期以降に地図や紙幣の印刷などで重宝された銅版画と石版画、そして大正時代以降に発展した新版画と様々な技法が凝らされた創作版画を見せるコーナーである。須賀川出身の地元作家でもある亜欧堂田善やエドアルド・キヨソネが手掛けた地図や証紙もさることながら、特に中央覗きケースに3点展示された岩越二郎の作品が目に止まった。岩越は熊本県生まれ、東京美術学校彫刻科を卒業後、白河中学校(現・福島県立白河高等学校)の美術教師となり、福島県下の遺跡・文化財の調査を数多く手がけた人物である。版画制作にも勤しみ『詩と版画』、『HANGA』、『版芸術』等に作品を発表した。これまでに展示されたことがなく、初めての展示になる作家だという。「岩越二郎」でネット検索をすると、版画家としての情報よりも、発掘調査員としての活躍を示す記事の方が多くヒットする。展示に活かされることの少ない作家を顕彰することも地方公立館としての大切な使命である。


常設第4室

常設展示室 第5章 展示風景


 第4室後半のドレッサー特集がトリを飾る。クリストファー・ドレッサーは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスを中心にモダン・デザインの道を切り開いたデザイナーである。1876年に来日し、日本の殖産興業政策にも貢献、日本の建築や美術工芸品をヨーロッパに紹介するなど日英文化交流に重要な役割を果たした。充実したコレクションで、様々なタイプの製品を見ることができる上質の展示であった。


3. 小さな一歩


 簡単に言ってしまえばそれは、海外美術・日本近代美術・地元作家に版画・工芸を網羅した、優れてバランスがよく、オーソドックスで「優等生」な常設展であった。
 しかし、実は今回の展示はいつもの郡山市立美術館の常設展とは少し違っていた。第1室、ターナーやコンスタブルなど主要作品の横にパネルが掲示され、近年行われた修復の報告がされていた。修復前の全体像や注目ポイントの拡大写真も含まれているため、展示された修復後の作品と見比べながら鑑賞することができる。そう、先ほど企画展示室後半で見た近年の館蔵作品修復報告が常設展示室にも続いていたのである。


常設_修復パネル

常設展示室 第1室 修復パネル展示(コンスタブル《デダムの谷》)


 今回の常設展第1室を担当した同館の田中有沙子学芸員は、実は同時開催の企画展「今昔秘話展」も並行して担当しており、自ら常設展の一部も担当したいと願い出たのだという。そしてそのことは、同館としてはじめての試みだったという。
 多くの地方公立美術館は、企画展と常設展の両輪を回している。しかし、規模が大きい館であればあるほど、同時開催の展覧会を2つ以上同時に1人の学芸員が担当することは、負担が大きくなってしまい大変な労力となってしまう。ただその分、うまく連動させることができれば、2つの展示を館全体の動きとして機能させることが可能となり、相乗効果で双方をよりダイナミックに魅せることが可能となる。企画展と常設展は、規模や認知度、集客などの面でどうしても格差が生じてしまうため、そのような創意工夫によって常設展にも足を運んでもらおうと様々な試みが行われるものである。
 今回の郡山市立美術館では、企画展担当者が常設展の一部も同時に担当するという形で両展の連動が試みられた。もちろん担当者が違っても両展を連動させることはできるが、同一の担当者による企画によって、一貫したキュレーションのもとに展示を構築することが可能となる。
 いわば郡山市立美術館は、今期の常設展によって、これまで長年続いてきた展覧会の安定した運営形態に変化を与え、展覧会の新たな見せ方を模索する一歩を踏み出したのである。

 公立美術館の「優秀さ」とは、ジャンルや地域、時代などをバランスよく、しかも高い質を保ちながら取り扱うことにある。王道を歩き、できる限り道を外さないその在り方は「優等生」の身のこなし方である。その優秀さをあえて「しがらみ」と表現するなら、そのしがらみの中で、「尖ってはいけない」という枷をはめられることにもなる。記憶に新しいところでは、2017年、群馬県立近代美術館が県の判断により展示作品を撤去するに至った騒動があった。
 公立美術館の優秀さとは、いわば保守的な優秀さなのである。そもそも美術館で展覧会を総合的にプロデュースする立場の学芸員は、小中高と優等生で過ごし、名の知れた大学を出て、大学院まで修了し就職したエリートがほとんどである。学芸員の優等性は、エリート街道から外れないように保守的に生きてきた保守性にあると言っても過言ではない(もちろん、学芸員よりさらに保守的なのがそのバックにいる行政という名の運営主体ではある)。そのため、優等生の学芸員がキュレーションする展覧会はどうしても保守的な傾向を帯びるものとなる。

しかし、それでは、つまらないのである。

 ありがちな漫画の中では、真面目でガリ勉な優等生は、道を外さず、反抗せず、変化を好まず、面白いことを言わない堅物として描かれることが多い。その姿勢は、時代や状況の変化によって必然的に必要となる変化すらも拒んでしまう「頑固さ」ともなり得る。
 変化を拒み続けた先に待ち受けているものは「時代遅れ」であり、さらにその先に待ち構えているものは、周囲の意見を聞き入れず、自分のやり方だけに固執する「老害」である。
 そもそも公立美術館の担うべき公共性とは、古くからの歴史を守り続けるだけでなく、同時代的な社会や価値観の変化も含めてその地域の歴史を受け入れるべきものであると言える。すなわち、公立施設の担う公共性には、変化を許容するリベラル性も必要なのである。
 変化を歓迎するリベラルは、頑固な優等生には相いれない存在であるが、真に地域や公共施設の在り方を思うなら、必要で必然な変化を受け入れる姿勢こそが公共性を担う保守なのではないか。
 郡山市立美術館の今回の試みは、他の館に比べれば小さな変化だったかもしれない。だがしかしそれは、地域に根差した地方公立美術館としてのあるべき姿を追い求め続けた末にたどり着いた、小さくも確かな一歩となったはずである。


4. 「推し天井」の作り方

常設展示室_天井

常設展示室第1室展示風景


 最後に、郡山市立美術館を取材して好感を抱いた点に言及しておきたい。それは常設展示室の照明設計である。
 まず、作品に直接照射される照明の光源は鑑賞者の目に入らないように配置されており、その光がまったく気にならなかった。館によっては鑑賞者の動線上に照明が当たり、光が目に入って眩しかったり、まれに残像によって鑑賞を妨げられることすらあるが、まったくそのようなことがなかった。
 展示室全体を明るくする照明は、半ドーム状になった天井に間接照明のように照射されており、十分な光量を確保しながら鑑賞者はその光源を目にすることなく鑑賞できる。鑑賞者のほとんどは気づかないようなことであるが、この天井の工夫はかなり計算され設計されているものであり、作品鑑賞を第一義とする空間であることが考え尽くされた設計である。
 美術館によく赴かれる方は、有名建築家による館の外観や内装だけでなく、ぜひ展示室の天井にも注目してほしい。展示室の天井は照明器具や配管、空調設備が詰め込まれ、極めて実務的であるが故に無骨で雑多になりがちである。そのため展示室の天井は各館で少しでも見栄えを良くしようと色々と工夫されていて、美術館建築の見どころのひとつと言ってもよい。千葉市美術館や国立新美術館などに見られる格子状の天井も機能性に優れ見応えのある天井であるし、群馬県立近代美術館常設展示室や横須賀美術館常設展示室のような大胆な建築設計による採光機構が採用された天井にも圧倒される。個人的には、自然光を取り入れたやわらかな展示空間が実現されている東京都復興記念館の展示室の天井が「推し天井」である。神奈川県立近代美術館鎌倉別館展示室の天井もデザイン住宅のような上品さを持つ推し天井であったが、2019年にリニューアルされてしまったようだ。
 地方公立美術館がまとうべき優等生の身のこなしには、単に古くからの歴史を守り伝えるだけではなく、時代の変化を受け入れ、自ら変化していくことも時には必要となる。郡山市立美術館の2020年第2期の常設展は、硬直しがちな慣習に抗い、それを打破せんと発想力と創意工夫をもって現場で戦う学芸員の小さな反抗心の発現であったのだ。


担当学芸員:
1.イギリス美術の流れ…田中有沙子
2.近代洋画の金字塔…田中有沙子
3.戦後の美術潮流と郡山…菅野洋人
4-1.明治以降の版画…菅野洋人
4-2.ドレッサーの芸術 東西の美…新田量子

写真提供:郡山市立美術館

レビューとレポート第18号(2020年11月)