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身体的な場所 ー 石田尚志試論

町田恵美(エデュケーター)


画家、映像作家の石田尚志は、十代の終わりを沖縄で過ごした。東京出身の彼が沖縄に来た理由よりも、現在となっては彼の沖縄での経験の方が意味を持つだろう。それほど決定的なことだった。


沖縄でのこと

fig1_《渦》

《渦》(1991年)/「石田尚志 渦巻く光」(沖縄県立博物館・美術館)会場風景(石田尚志提供)


2015年、沖縄県立博物館・美術館で大規模な個展となる「石田尚志 渦まく光」が開かれた[1]。同展は、1991年に手掛けた水彩の作品《渦》からはじまっていた。生成する線描の連なりが、中心に向かって(または中心から放たれて)描かれており、その延々と「描く」行為は現在の作品にも通じる。沖縄で描かれた本作から展覧会が始まっていることが重要で、石田はかつてこれら「渦」を主題とした作品群を制作し、自身にとって二回目 [2]となる個展を那覇のフェスティバルビル(現ドン・キホーテ国際通り店)にて開催し、そこで発表している。

石田は沖縄で真喜志勉[3]が主宰する画塾「ぺんとはうす」に通うようになる。沖縄に来る少し前から描きはじめたというファクシミリの感熱紙が50mの巻物となったときに、真喜志に見てもらいよろこんでもらえたことが作家としての一歩だった[4]。


 那覇空港に着いた時、窓から見たあの青く発光するような影は忘れられない。コンクリートの地面は真っ白に輝き、その影の強さが東京で見失っていたものだとわかった。 [5]


沖縄の光の強さと影の濃さは衝撃として、身体に刻まれた。緻密ながら、うねりを伴い、突き動かされるように繰りひろげられる線(ライン)は、石田の身体を介して投影されたなにものかの影であり、同時に光といえる。先述した感熱紙は、当時那覇で写真展を開催していた吉増剛造に《絵馬》と名付けられ、その後石田が手掛ける映像作品「絵巻」シリーズに続く。


線描から映像へ
絵画とライブ・ペインティングから制作活動をはじめた石田は、沖縄から戻った1992年頃から映像を手掛けるようになる。線を一コマずつ描いては撮影するドローイング・アニメーションという手法を用い、その増殖する運動性は『動く絵』(ムービング・ピクチャー)と呼ばれる。無限にひろがるそれは、中毒性を帯び延々と見続けていられる。

今年、沖縄県立博物館・美術館コレクションギャラリーにて開かれていた特集展示[6]は、昨年度に同館が収集した映像作品《渦巻く光》(2015年)、《部屋/形態》(1999年)、《海の映画》(2007年)に新作の立体作品とそれをコマ撮りした映像を加えた構成だった。

《部屋/形態》は、石田の名を一躍ひろめた作品である。壁に付けられた枠(フレーム)の画からはじまり、とめどなく溢れ出す線を捉える試みともいえる[7]。東京大学駒場寮の一室にて一年という時間の密度と共に、一方向にスクロールされる絵巻とは異なった空間の奥行を感じさせる。

シングルチャンネルの《海の映画》は、3つの画面で展開される《海の壁-生成する庭》(2007年)と同じ素材をもとにつくられた。このふたつは横浜美術館での4ヶ月にわたる滞在制作を経たものである。16㎜フィルムから投射されるモノクロームの海を起点に、倒された壁を埋める青、白波のようにひろがる描線が幾度となく押し寄せる。「描いては撮る」を繰り返した映像の合間に差し込んだ彩を欠いた沖縄の海は、時間のずれを強調し、記憶としての抒情性を呼び起こす。その感情の波は決して石田と同じ記憶を共有していなくとも、である。


立体への関心

fig2_ケンビ

「石田尚志展」(沖縄県立博物館・美術館)会場風景(撮影:七海愛)

正方形のガラス板を回転させながらイメージが展開される《渦巻く光》は、向こう側の光が眩い作品である。今回の展示では天井に投影され、遊び心がうかがえる。石田にとって「遊び」は重要な要素である。ふだんの石田や彼のパフォーマンスに接したことがある人ならわかるだろう、一心不乱に集中する子どものような側面がある。

少し前から、石田が彫刻に関心を抱いている話を聞いていた。昨年、青森の展覧会[8]でその成果を見た。シナベニヤ板から糸鋸で切り出された立体作品は、これまでの枠(フレーム)を隔てた向こう側からついにこちら側に飛び出してくる感覚がある。着色を施した《彫刻/4:3》(2019年)、無彩色の《ダンス》(2019年)、これらをコマ撮りに収めた映像作品《おもちゃ》(2019年)は、本人の言葉で「一つの板から不思議な怪獣のようなものがいくつも現れることも、子供の時の経験を思い出させた[9]」とあるように「つくること」の歓びを再認識する作業となった。

カラフルな造形物はマティスの切り絵を彷彿させる。マティスが「ハサミで描いた」ように、石田もまた糸鋸を自在に扱い、フォルムを切り出していく。それらが立ち上がり、光を受け、ひろがる影の躍動感は、同じくマティスの絵画作品《ダンス》に描かれた踊り手たちの動きを思わせる。彼らが互いの手を取り、波打つように描く輪を「渦」として見ると、本作が《渦巻く光》の延長線上にあると理解できる。これら立体作品が台座に置かれ、ぐるぐると見てまわることができる。それは平面ではなしえなかったキャンバスの向こう側まで見ることであり、見る位置や角度によっていくらでも変化することを意味している。たとえば支持体の紙や板、映像の枠(フレーム)といった制約を与えつつも、それを押しひろげようとする「静」と「動」の葛藤が、運動体として固定されない視座をもたらす。

石田はさらなる展開として、これらを展示室の空間から外に持ち出したいと考える。素材をシナベニヤ板から陶土とし、上記の作品群の連作に位置づけられるオブジェを手掛け、もうひとつの展覧会[10]で発表した。

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「影のあと、」(miyagiya)会場風景(撮影:七海愛)

当然のことながら板のように滑らかに形づくることもできなければ、陶はその性質上、乾燥や焼成の過程で収縮し、ヒビや割れなども出てくる。組み立ても容易ではない。自身の手から生み出されたものでありながら、コントロールが利かない。それは枠(フレーム)の先に関心を寄せる石田にとってたのしみでしかなかった。できあがった作品を手に沖縄の各地に赴き、撮影をした。沖縄という土地柄もあるかもしれないが、その多くが海辺での撮影となった。

展覧会DMにも起用された写真は、水平線が平行ではなく斜めになった背景に飛び散る白い破片が鳥のように見える。写真という静止画の性質を超えて、バタバタと蠢く音や動きが伝わる一枚は、やはり「動く絵」(ムービング・ピクチャー)なのだ。

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©ISHIDA Takashi©Taka Ishii gallery


痕跡を視る

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「影のあと、」(miyagiya)会場風景(撮影:七海愛)

石田と沖縄の関わりにおいて欠かせない要素に、沖縄在住の詩人・矢口哲男との交流がある。30年来の付き合いとなり、2015年に詩画集『李村(スモモムラ)』を刊行している。以前から石田は矢口の詩に絵を付け、送る行為を続けている。

展覧会「影のあと、」においても矢口の詩「ひかり」と「影」にあわせ絵を描いた。その原画は会場に展示され、直線的な青い光線を放つ《ひかり》(2020年)と淡い色調で複数の色が滲み、混じりあう《影》(2020年)は対照的でありながら相互補完する存在としてある。

矢口の二篇の詩は、1986年刊行の『再に風景を補角する指先』に収録された「骨牌抄1~15」からの抜粋である。矢口との作業は、《フーガの技法》(2001年)などに見られる「音楽の可視化」を例に挙げれば、「ことばの可視化」と言えるかもしれない。しかし、即興的に描かれる線画(ドローイング)は、あらかじめ頭にあるイメージを抽出しているのではなく、身体動作の痕跡に過ぎない。ドローイングそれ自体は、完成した全体図よりも生成する過程に意味があり、石田が残したものを振り返ることで「視る」ことを可能にする。

光や風、空気、通常それらは目に見ることはできない。しかし、背後に人や建物が入り込むことで、影や人の動きから景色の一部として輪郭を帯びる。1980年代後半、バブルが弾け、めまぐるしく建物が入れ替わる東京は風景が喪われ、そうした感覚を認識できず、石田にとってはただただ息苦しかっただろう。石田は次のように語っている。


 あの時自分が那覇に行ったのは、風がどこから吹いてくるかとか、海がここからどのくらいの距離かとか、そういった身体的なことを生まれ育った東京に感じることが出来なくなったからだった。 [11]


石田は沖縄で空気を吸い、空気を吐き、感覚を取り戻し、空気の匂いや重さを全身で受け取った。高温多湿、亜熱帯気候の沖縄は、突然の豪雨(スコール)や、台風の発生地域付近に位置していることから、その通り道として被害に見舞われることもしばしばある。気象衛星図で確認できる反時計まわりの積乱雲の渦は、直進ではなく巻き付けるような弧を描きながら進んでいく。状況によって変化する軌道に石田の描く渦、そして石田自身を重ね見るのは強引だろうか。

石田の制作の根幹に備わる身体感覚は、沖縄で身に付け、そしてふたたび東京に戻ることで育まれたと考える。距離を保ちながら往来する姿勢は、まさに石田の表現に見られる反復の所作といえ、一か所に根を張るのではなく、常に動きを伴いながら進化していく。初期から現在に至るまで一貫した極限まで自分を追い込む制作姿勢は、この先もずっと飽くなき探求を繰り返していくだろう。加えて、運動性を介入させ、空間の質を変える形態は、移動という経験の影響ともいえる。そんな石田にとって沖縄は原点回帰の場所であり、都度自身の立つべき位置を確認し、立ち止まり、呼吸をさせてくれる身体的な場所なのかもしれない。


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[1]横浜美術館(2015年3月28日~5月31日)の巡回展にあたり、会期は2015年9月18日~10月25日。担当学芸員、松永真太郎(横浜美術館)、玉那覇英人(沖縄県立博物館・美術館)
[2]石田は沖縄に来る直前に東京で初個展を開催している。「石田尚志展」(同潤会アパートギャラリー・5-104、1990年8月30日~9月3日)
[3]まきしつとむ(1941-2015年)。沖縄を拠点に活動した美術家。多摩美術大学卒業。
[4]石田尚志インタビュー『石田尚志 渦まく光』青幻社、2015年、128頁
[5]石田尚志「90年の光」『真喜志勉 TOM MAX Turbulenc1941-2015』多摩美術大学美術館、2020年、78頁
[6]「石田尚志展」(2020年2月15日~10月11日)担当学芸員、大城さゆり(沖縄県立博物館・美術館)
[7]「沖縄では「渦」を主題として制作していましたが、渦は延々と伸びていって形がなくなってしまうので、それをなんとか四角形に収めることが東京での新しい課題でした。」石田尚志インタビュー『石田尚志 渦まく光』青幻社、2015年、128頁
[8]「石田尚志展 弧上の光」(青森公立大学国際芸術センター青森、2019年4月20日~6月16日)担当学芸員、金子由紀子(同館)
[9]石田尚志「石田尚志への質問」『弧上の光』青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]、2020年、68頁
[10]「石田尚志 影のあと、」(miyagiya ON THE CORNER、2020年2月29日~3月8日)
[11]石田尚志「90年の光」『真喜志勉 TOM MAX Turbulenc1941-2015』多摩美術大学美術館、2020年、78頁


参考文献
ヴァシリー・カンディンスキー『点と線から面へ』ちくま学芸文庫、筑摩書房、2017年
ティム・インゴルド『ライフ・オブ・ラインズ 線の生態人類学』筧菜奈子、島村幸忠、宇佐美達朗訳、フィルムアート社、2018年
中村雄二郎『共通感覚論』岩波現代文庫、岩波書店、2012年


トップ画像 筆者撮影

レビューとレポート第18号(2020年11月)