常設展レビュー執筆への提言 ―埼玉県立近代美術館MOMASコレクションの事例―

志田康宏(栃木県立美術館学芸員)

このような事例がある。
A県美術館で、B県美術館の所蔵品から選りすぐった作品を大量に借用し『B県美術館所蔵作品展』と題して、企画展や特別展として開催する展覧会。多くの場合、普段見に行くことのない他県の美術館の名品を一挙に見られるというお得感から、近隣住民を中心に客足を伸ばす。しかし、全く同じラインナップの作品群を、所蔵館であるB県美術館の常設展で並べても、A県美術館で企画展として開催した展覧会よりもおそらく客足は伸びないであろう。展示されている作品群は全く同じであるにもかかわらず、である。

とても日本的な現象である。例えばルーブル美術館、大英博物館をはじめとして欧米のミュージアムには、「その館が持っているコレクション」を見たくて世界中から人々が押し寄せるからだ。日本国内であれば、国立西洋美術館や大原美術館など、優れた西洋絵画コレクションを持つ館に同じような需要がある。この現象を、拝外主義、西洋信仰などと簡単に決めつけてしまうことは容易いが、学芸員として現実的に向き合わなければいけない問題は、「常設展」という枠組み自体に関心が持たれていないという現実である。来場客の多くは、街かどで目にしたポスターや新聞記事、テレビ番組・CMなどを見てお目当ての企画展・特別展には来場しても、同時開催している常設展にはなかなか足を延ばさない。それは、「いつでも見れる」からだろうか?「見てもわからない」からだろうか?理由はさまざまにあるだろうが、そこには、「常設展だから見なくていいや」という考え方、すなわち 「常設展」という枠組み自体が等閑視されている現実があるのではないだろうか。
全国の美術館で開催されている常設展の中には、担当している学芸員でさえ手を抜いているのではないかと疑いたくなってしまうようなものも少なくないという現状がある。もしかしたら、来場客も、学芸員が手を抜いていることを見抜いているために「常設展は見に行かなくてもいいや」という判断につながっているのではないか、 と疑うことすらできてしまう。

なぜ学芸員は常設展だと手を抜いてしまうのか?ひとつには、上記のように客数が少ないからという理由があるだろう。様々な広告媒体の力を借りて宣伝できる企画展と違い、開催されていることを広報する機会さえ乏しい常設展では、 思うように客足が伸びないのは当然とも言える。見にくる人が少ないことが初めから予想される展示の担当は「張り合いがない」と感じてしまうことも無理はない 。あるいは、現実的に常設展の方には予算がつかず、力を入れること自体が難しいということも大いにあるだろう。もしかしたら、企画展より目立つことをしないようにどこかから監視やコントロールをされている場合すらあるかもしれない。

しかし、常設展とは、公共の財産である館蔵作品に対する調査・研究の成果を、展示・公開によって社会に還元することができる重要な機会であるという、ミュージアムの公共性の原点は思い起こされねばならない。人気のある所蔵作品だけでなく、収蔵庫に長年眠っている作品や資料を調査し、作品展示とともにその研究成果としての情報を公開することで、作家研究や作品研究が進展する。さらには、その展示を見た館内外の研究者や関係者が反応し、知らなかった・忘れられていた情報を館に提供してもらえる可能性もある。論文や研究に使ってもらえる可能性だってある。特に公立館の場合、国や都道府県、市区町村として作品や資料を所蔵しているわけだから、その自治体がなぜその作品を所蔵しているのか、それを持っていることで何がわかるのか、どんな意味があるのか、自治体の機関としてその所有や収集の意義を内外に示していく義務を有している。そして、現場レベルでその義務を果たす役割を担っているのは、収蔵庫で直接作品に触れ、研究し、展示室に展示する権限を持つ学芸員なのである。公有の財産である館蔵作品を展示する常設展こそ、学芸員の研究者としての本領が発揮される自由な場であるとともに、館蔵作品や所属館への向き合い方が如実に表れてしまう審判の舞台でもあるのだ。

公立美術館の常設展について考えることは、「公共性とは何か」、「公共の財産とは何か」という問題を考えることとも直結する。どんな作品であれ、公立館の収蔵品である以上は、自治体として必要または適当と判断され収蔵された経緯を持つ公有財産である。公立館の場合、学芸員も個人的な趣味に偏らず、各々の研究対象だけに拘らず、公有財産としての館蔵品に歴史資料として向き合い、史料研究に基づいた歴史学と、それに基づいた誠実なキュレーションを心がけるべきではないだろうか。すなわち、自治体が設立し管理する公立館に所属している以上、個人的な好嫌や趣味嗜好に拘らず、学芸員は館蔵品が収蔵された歴史を尊重する義務を有しているはずであり、館蔵品を展示する常設展はそのような公有財産に対する調査・研究の成果が公開される極めて公益性の高い場であるはずだということ である。

美術館に学芸員として就職し、そのようなことを考えているうちに、「常設展のレビューがもっとたくさん書かれていてもいいのではないだろうか?」と考えるようになった。企画展にはさまざまに反響が寄せられることがあるが、常設展にはほとんど反応がない。美術雑誌には企画展やアートイベントのレビューがよく掲載されるが、常設展のレビューは極めて少ない。筆者は、美術館で常設展を幾度か担当するうちに、展示を見てくれた第三者からの声を聞いてみたいと思うようになった。そもそも常設展だって「展」の字を冠している展覧会なのだから、企画「展」や特別「展」と同じように、観者からのレビューが書かれてもいいのではないか。さらに言えば、常設展にも第三者によるジャッジの目が効いていることを、学芸員も意識する必要があるのではないかとすら思うようになった。利害関係のない第三者からの客観的な常設展評があちこちで多数公開されるとなれば、常設展を担当する学芸員も外からの目を気にするようになり、常設展に力を入れるようになるかもしれない。またその館の予算や運営を握る上層部としても、他者に見られ、公開で好き勝手に言われてしまうとなれば、常設展にも予算や設備面で体裁を整えるように重い腰を上げるかもしれない。

そのような思いから、今回、本記事執筆の機会を借りて、常設展のレビューを書いてみたいと思う。私からだけでなく、意欲と才気ある諸賢からもどんどん常設展のレビューが書かれるようになると、美術館業界にも大いに刺激になるだろう。

埼玉県立近代美術館MOMASコレクション
そんな思いを持って今回取り上げたいのは、新型コロナウイルス対策のための長期休館を含む2020年2月8日~4月19 日、埼玉県立近代美術館で開催された『MOMASコレクション第4期』である。常設展のレビューをすると宣言しておきながら、さっそく「常設展」という名前ではない展覧会を取り上げる。同館では、館蔵コレクションを展示する展覧会を「常設展」とは呼ばず、館の愛称である「MOMAS(モマス=The Museum of Modern Art, Saitamaの略称)」を冠した「MOMASコレクション」と呼んでいる。その理由と経緯については、以下のように説明されている。

埼玉県立近代美術館では、2008年度より「常設展」という呼称を「MOMASコレクション」に改めました。当館の常設展では2002年度以降、外部からの借用作品や現存作家のご協力によって、所蔵作品を核としつつも従来の常設展のイメージに捉われない、企画性の高いプログラムを実施してきました。名称変更はこうした意欲的な姿勢を示そうとするものであり、これまで以上に充実した展示の実現を目指しています。
(埼玉県立近代美術館ウェブサイトより)

「常設展」というありきたりな呼称をやめ、自館の愛称を冠した展覧会シリーズ名を打ち出すという思い切った変更を行い、なおかつそのことを内外に明示することで、館蔵品に向き合う自信と覚悟、自館のコレクションに対する愛情までも感じられる名宣言文である。

今期のMOMASコレクションは以下の3コーナーに分けられている。
・「セレクション:シャガールとか佐伯祐三とか」
・「サポーターズ・チョイス!」
・「春陽会―旗揚げのころ」

「セレクション」は毎度、館蔵の近代西洋絵画や近代日本洋画を中心としたラインナップで、いわば「目玉」的なコーナーである。今回も、タイトルにある通りシャガール、モネ、ルノワールなどの近代西洋絵画や、佐伯祐三、古賀春江、郷土出身の画家・田中保などの近代日本洋画の名品がピックアップされ展示されている 。

「サポーターズ・チョイス!」は同館の約30名の「美術館サポーター」(ガイド・ボランティア)が展示テーマを提案し、担当学芸員とともに半年以上の時間をかけて丁寧に調整し、コレクションを使った展示企画を実現した意欲的なセクションである。20年に及ぶサポーター制度の中で初めて実行された画期的な企画であった。

「春陽会―旗揚げのころ」は、3月22日まで企画展示室で同時開催(新型コロナウイルス対策による閉館のため2月28日で実質終了)されていた『森田恒友展 自然と共に生きて行かう』に関連したセクション。セザンヌに深く傾倒しながらも、洋画のみならず日本画も描いた埼玉県熊谷市出身の画家・森田恒友(1881-1933)が創設に関わった美術家グループ「春陽会」の草創期に関する作品や資料を館蔵品(個人蔵を含む)から補足的に紹介する展示であった。

セレクション:シャガールとか佐伯祐三とか
日本の公立美術館には、近代西洋絵画を「目玉」とする考え方が今も根強くある。これは、西洋を美術の世界の中心として捉える明治時代以来の価値観が現代にも引き継がれていることの証左である。拝外主義的、一点豪華主義的であるとの批判を浴びやすいこの構造だが、実際に大勢の来客の動因になっていることは事実で、全国の公立美術館では軒並み数十点の西洋絵画コレクションを用意している。

このコーナーの秀逸さは、そのような日本の公立美術館が歴史的に陥ってきたある種の拝外主義を受け入れ、意図的に大雑把なコーナータイトルをつけていることにある。時代や地域、様式などの分類をシャガールと佐伯祐三の二者に代表させて、それ以外のモネもルノワールも【とか】の一語に集約させてしまっているのである。この括り方は一見粗雑なようだが、実際、美術館に行く時、お目当ての1点を見に行くことももちろんあるが、特に常設展の場合は、あの館が持っている「あの人とかあの人とか」を見に行く目的で赴くことが多い。このおふざけのようなコーナータイトルは、そのような美術館に対する我々のいい加減な認識とその社会背景すらも暴露し可視化している、 極めて批評的なネーミングなのである。

展示作品については、ロベルト・マッタの『ホメロス』のシリーズに目を惹かれた。チリに生まれ、パリでシュルレアリスムの運動に参加した作家による独創的な版画のシリーズで、国内では他に愛知県美術館や徳島県立近代美術館がまとまったコレクションを所蔵している。所蔵館の少ない作家の作品をコレクション展を利用して展示することは、貴重な作品の所在を内外にアピールするとともに、調査研究の進展にも貢献するものである。作品の解説や詳細に関するガイドが会場になかったことが残念だったが、所蔵品を収蔵庫に眠らせておかずに積極的に展示に活かす姿勢は重要である。

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「セレクション:シャガールとか佐伯祐三とか」会場風景


サポーターズ・チョイス!
美術館や博物館において、無償のボランティアや市民スタッフなどをどの程度まで業務に関わらせるかという線引きは、各館で頭を悩ませてさまざまに試行錯誤が繰り返されているが、埼玉県立近代美術館の取り組みは所蔵品を使って展示内容にまで関わらせる、かなり踏み込んだ意欲的なものである。展示テーマの設定から展示作品の選択にまで主体的に関わるのはまさに学芸員的仕事であり、地域住民と公立施設の協働としても出色の取り組みである。

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「サポーターズ・チョイス!」会場風景

まず、どのようなコーナーを設けたいかサポーターから案を挙げてもらい、サポーターの月例会で調整する。次に、そのコーナーに合わせてどの作品を取り上げたいか案を挙げてもらい、月例会で調整する。担当の学芸員が全体を調整しながら、集まった47のテーマ案を4つに、50点の展示作品案を32点にまで絞る喧々諤々の議論を経て、半年以上かけて全員が一体となって作り上げられた、とても手の込んだ展示である。

そのような苦労の多いプロセスを経て厳選された展示作品には、小茂田青樹《春の夜》や小村雪岱《おせん》など地域ゆかりの重要作家による代表的作品、伊藤深水《宵》や鏑木清方《慶長風俗》など人気作家による名品、またポール・デルヴォー《森》など海外作家の作品もあり、展示作品を眺めているだけでも十分に楽しめるラインナップになっている。元永定正や木村直道による目を引く作品や、森村泰昌や福田美蘭による美術の歴史そのものを題材にするトリッキーな作品も楽しく、ひと癖ある作品が多く選ばれていると同時に、ジャンルや内容などを偏らせない優れたバランス感覚も感じられた。また日和崎尊夫の木口木版画など細部を見たい作品には虫眼鏡が用意されていたり、鑑賞者の気持ちに寄り添った丁寧な配慮も見られ、好感を抱いた 。

掲示されているサポーターの声からは、展示に関わったサポーターひとりひとりが、苦労しながらも楽しんでこの企画に参加している様子を読み取ることができ、美術館とサポーター、また筆者のような外部からの来場者にとっても有益な「三方よし」の企画であったと言えよう。

小茂田青樹《春の夜》

小茂田青樹《春の夜》1930年。サポーターによる人気投票で1位になった作品。

解説パネルなどから読み取れる解説手法はいわゆる「対話型鑑賞」をベースにしている。対話型鑑賞とは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)において美術館教育プログラムの専門家として活動していたアメリア・アレナスの著作『なぜ、これがアートなの?』(1998年)を契機に定着した鑑賞手法である。近代以降の美術を、解釈を鑑賞者に委ねた「開かれた作品」であるとし、「作品にとって重要なのは、作者の意図がいかに表現されているのかではなく、結果的にどれほど鑑賞者の意図を引き出せるかということ」であるとする解釈を前提とするもので、学芸員などの専門家による専門的な解説ではなく、鑑賞者が作品を観た時の直感が重視され、想像力を喚起しながら交わされる他者とのコミュニケーションを元に、対話や交流を生み出すことを目的とする。

対話型鑑賞は専門知から意図的に距離を置く手法でもあるため、賛否両論あるが、2002年に改訂された学習指導要領における美術・図画工作の授業内容に鑑賞の充実と、美術館・博物館等の積極的な活用が明示されたことや、「総合的な学習の時間」が授業として新設されたこと、また費用対効果や内容面、評価手法などの要素において総合的にこのメソッドを上回る方法論が現在のところ確立されていないこともあり、現在の日本の鑑賞教育の大部分にはこの手法が取り入れられている。

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解説カードを用いた鑑賞者への「投げかけ」のコーナー

サポーターが長年の活動の中で見出したお気に入りの作品や反響のあった作品をピックアップする手法は、学芸員には持つことのできない視点であり、そこに本企画の独自性が際立つ。この取り組みは、「公立施設の活動の主体は誰なのか?」という問題とも直結する。例えば地方議会の議員は地域住民の投票によって選出される方法であるため、実情はともかく形式上は住民の声を代弁する人物が選ばれるシステムになっているが、公立美術館の学芸員は出身地や活動歴などに関係なく採用試験に合格した人物が選ばれる方式であり、必ずしも地域の声を代弁する人物が選ばれているとは限らない。ここに地域住民であるサポーターの経験や声を取り入れることで、地域のための施設であることが一定程度保証されることになる。このような活動は、簡単なように見えて実際の運営には非常に困難を伴うものであるが、MOMASコレクションはそれを高い質で実現しており、巧みで誠実な運営がなされていることが感じられる。

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「サポーターズ・チョイス!」会場風景

春陽会―旗揚げのころ
企画展の『森田恒友展』は福島県立美術館との共同企画で、同館からの巡回展示であった。常設展を同時開催中の企画展と関連させるか否かも常設展を担当する学芸員のひとつの重要な判断である。うまくかみ合えば、企画展と連動した好企画となる可能性も十分に有している。

企画展の『森田恒友展』は、洋画家としてスタートした後、『東京パック』などの雑誌や新聞に挿絵や漫画を描き、また美術文芸雑誌『方寸』の創刊にも関わり、ヨーロッパ留学からの帰国後には一転して水墨を使って旅先や武蔵野の自然をとらえた日本画を発表した森田の画業や、周囲の人物との関係を紹介する内容の充実した展示であった。

今回の常設展示室での小企画は、森田恒友、小杉放庵、倉田白羊らによって大正11(1922)年に創立された美術家グループ「春陽会」の草創期に関する作品や資料を並べたもの。壁を建て回して作られた小さな空間だけの展示室だが、壁いっぱいに作品が、中央にアイランド形式で設えられた覗きケースには『春陽会雑報』などの関連資料(個人蔵を含む)が所狭しと並べられ、収蔵品の豊富さと地道な調査の成果を示す充実した空間が形成されていた。展示として目玉となることの少ない小作品や関連資料に展示上の役割を与え、綿密な意味の綾を紡ぎあげるこのような展示は、目立ちはしないが、研究者としての学芸員の手腕が発揮される場でもある。

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「春陽会―旗揚げのころ」会場風景

このコーナーは、企画展には出品されなかった作品と資料によって、企画展で提示された研究成果に、常設展で補足的にさらに詳しい解説を加えるという、作家の地元として作品や関連資料を多く所蔵することから実現できた好企画であった。

今期の「MOMASコレクション」は、全体を通して、地道な調査研究と粘り強い準備・調整を足場にした緻密で丁寧な運営の上に成り立っている、非常に良質なコレクション展の一例であると言える。

展示室の外で
埼玉県立近代美術館は、展示室の外でも楽しめる仕掛けが多い。黒川紀章設計の美術館建築自体ももちろんだが、館の建つ北浦和公園には、館蔵品である大型の彫刻群があちこちに点在しており、また館内には実際に座ることができる世界の椅子のコレクションも常時多数展示されている。そんな中でMOMASコレクションについて特に注目したいのは、常設展示室入り口の壁面に掲示された《貸し出し中作品紹介》コーナーである。これは他館に貸出中の所蔵品の基本情報と写真、巡回を含む貸出館とその期間を各作品ごとに1枚のシートにして掲示しているもので、他の美術館でもなかなか見られない取り組みである。自館のコレクションに対する愛や誠実さが感じられるとても丁寧な仕事であり、公有のコレクションに対する管理責任・説明責任を果たしていると感じられるコーナーである。

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《貸し出し中作品紹介》コーナー

さらには、「MOMASコレクション」展専用のポスターがあることも驚きである。館最寄りのJR北浦和駅の掲示板や公園内には、企画展の大きな広告と並んでコレクション展のポスターも掲示されているのである。そもそも県立レベルの館で常設展用のポスターを用意すること自体珍しいことである。このことはつまり県の予算として常設展用のポスターを作る予算や掲示場所を確保しているということであり、常設展であっても広告費や広報体制を活用することに県として前向きであるということの表れである。

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JR北浦和駅掲示板のポスター掲示風景 (筆者撮影)

東京のベッドタウンとして、インターネットや映画などではなにかと茶化されがちな埼玉県だが、地元の文化を大切にし、地道に調査研究を行い丁寧に顕彰する方法のひとつとして、県立美術館のコレクションや人材を存分に活かす方策が採られている「MOMASコレクション」の取り組みは、地域に密着した公共施設のモデルケースのひとつとさえ言えるだろう。

担当学芸員:
石井富久(セレクション:シャガールとか佐伯祐三とか)
喜多春月(サポーターズ・チョイス!)
鴫原悠(春陽会―旗揚げのころ)

写真提供:埼玉県立近代美術館

レビューとレポート 第11号(2020年4月)