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じわじわと変化のとき

最後になって社内のいろんな人と話す機会がもてているので非常に面白い。溜まっていた質問を不躾にいろいろ聞きまくる。仕事の話は男の人とすると非常に楽しい。話が早い。終わるから面白いのもあるだろうが、税理士先生からの誘いがなければこの会社で面白くなって仕事をしていったのかもしれないな、と少しセンチメンタルな気持ちになる。んだが、まぁ限界はあるだろうからストレスは半端ないであろうなと思って切なさは吹き飛ぶ。とはいえ次いくところもストレスはないにしてもなんか気が重い。でももうなんか宿命的な流れでそうなっちまったんだからそこにワクワクは存在しないのだなと。
今日ようやっと社長と退職日?月?について電話で話せた。わかりましたって言いたくないけど言うわ、、でもこれで個人的な付き合いが切れるわけでもないし、とかぶつぶつ自分を納得させるかのように言っていた。4月ってことは決めたから有給とか使うと出勤日ほんとに少ない。とにかくこれでひと段落よ。

先日は友人とメッセージのやりとりをしていて。みんなフェーズの変わり時なのだなと感じた。きっかけはいろいろだが次の段階なのである。そしてその時期が重なる人々とは何か深いところでの繋がりを感じずにはいられない。きっとなんか、そういうのってあると思うんだよ。目に見える変化が共に起きていなくても、段階とか局面が変わる時期が重なるのは、縁が深いからなのでは、と思う。もしそのタイミングが違うひとならば、その時期だけの賞味期限のある関係であるだけだ。いいとか悪いとか嬉しいとか悲しいとかではなく、ただ、そういう人なだけ。その時期に必要な人だったんだなと思うだけ。


週末妹が突然やってきたので20年振りくらいに和室で布団引いて寝た。そしたらなんとも快適なこと。もうベッドいらんかも、って思ったんだが。だいぶ前から母が2階で一番いい気があるのは客間の和室、だからそこで寝ると良い。と風水おばさんみたいなことを力説していたのだが、まったく信じていなかったわたし。なんならその部屋は着物広げて足の踏み場もない、という状態が続いていた。今月頭に弟家族が来てたのでそこに布団ならべるために片付けておったので今回何気なく寝てみたのであった。畳の上にふとんがいいのか方角がいいのかはわからんのだがなんかいい気分でぐっすり眠れるのである。今日もすでに布団は敷いてある。

今日は鍼灸エステに再び。前よりさらにほぐされた。
帰りは使ってなかったpcふたつと不要な服たちをを売りに行ってすっきり。どんどんモノを入れ換えていきたい。捨てたい、とかゆーより、古い自分から新しくなりたい表れかな。最近クローゼット見ても着たい服がない。ちょっと太ってきたのもある。なんかワクワクしないんだよなー。買うにも気にいる服がない。無難な服を買うのはもうやめるのだ。と考えるから朝悩む時間が長い。服ってのは武装だと思うから対外的に示したいイメージがニュートラルになってるのならもう一度構成しなおすべきだな。

会社の人もうちの家族もわたしはストレスないと思ってはる。なんでこんな強いキャラになったんだか。多分そう見せてるからか。それはそれで成功だが、ややこしいものでそれでも本質を見抜く人がいないものかしらん、と夢見がちなことを言ってみる。

明日は辞めた女の子と、酒好きの営業さん誘ってごはん。怒りや不満がもう空なので明日何しゃべるのか逆にワクワク。とりあえずワイン飲みたいわ。

なんか年明けてから、いや恐らく昨年末から動いていたとは思うがあっという間にいろいろ変わってきておる。人生の第二章一幕終わりって感じかなー。おもしろくなってきておる。母は不動産は面白いから繋がっときゃいい、でもどんな選択しても大丈夫やわ。それよりあんたが自由にあんた自身の縁で人生楽しんでるのが何よりいいこと、前の歯医者のとき楽しそうじゃなかったから。だいぶ我慢させててんな、と言ってきた。最近は母の言葉によく救われる。一番理解して欲しい人に理解してもらって受容してもらえるってのは、こんなに幸せで嬉しいことなんですな。人生前半賭けてきた甲斐があるってもんよ。オホホ

おやすいみん



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