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創作活動の真髄は昇華活動かも

録画していた番組を見たので感想。

高野山金剛峯寺の襖絵を千住博氏がてがけたドキュメンタリー。

和紙職人やら表具師やらでてきて総合芸術スバラシーってなったんだけど、わたしは千住氏の創作に釘付け。な、なんて楽しそうなんだろう、と。

命がけで描いたゆーてたけど厳しい顔でその苦難に向き合う姿勢とかがなんとも、、、楽しそうだった。人って命がけで何かを創る時、それが人生の喜びなのではと思った。

あと表具師のおいちゃん(失礼)もなんかいい感じでこちらは職人、緊張するとか言いながらもひょうひょうと作業をするのはさすが匠という感じで何故か千住氏よりもかっこよく見えてしまった。すんげーことしてるのに大変そうに見えないし仕事ですんで、って感じでクールだった。

千住氏の創作の仕方も面白かった。絵と向き合っていた。話していた。滝の絵の「空」の奥に空海がいる気がするって描きながら直感を感じて最後までこだわり続けた部分とか。創作って、内にあるものの表現なのだなって改めて思い出した。こういう感じにしようとか心に描いたものをそのまま映し出すとそれはデザインでしかなくて、描きながら内側と深い対話をし、それでいて固執することなく委ねることもできたからこそ千住氏は絵と再開するときに「自分より絵のほうが僕に会いたがっていると思う」と言ったんだろうな、と。彼の昇華された概念であり、それは彼だけのものではない、とってもあの場所に相応しい創作物だなぁと思った。彼は幸せものだなー。


あ~あした英語や。ダルダル期に入ったのか後半送られてきた超長文音読してない。長すぎて無理だ。ところどころ意味もわからぬ。

わたしは真面目で良い生徒でいる気はないので、お金払って自己責任なんだし、もう素直にやる気が無いときはやらんことにした。

今日はほとんど部屋の養生テープ貼りに費やし、明日穴を補修するつもり。やりたいことの優先がそっちなんだからしゃーない。

あーあと今日父が知り合いにお餞別を渡すというので母が祝儀袋を書いてくれと言ってきたが食事中だったし断った。書道習ってたからってなんでも書けると思わないでほしい。餞別の「餞」なんて書いたことないのだ。ついでに言うときれいに書けないのだ。先生とかに10万以上のお金包むときは祝儀袋買ったお店で全部書いてもらうほど字に自信がない。久々にコンプレックスを思い出させてくれた出来事でした。そして母は機嫌悪く自分で書いてた。母が書いてもわたしが書いてもかわらんっちゅーに。やっぱ実用書道って嫌いみたい。発見。


ごきげんよう



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