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家族とは身近な他人

今日から梅雨入りだそうですな。

低気圧のためか午後からだるくてだるくて仕事からかえってご飯食べてアイロン済ませたらヨガマットの上で眠ってしまっていた。

7時からオンラインレッスンだったのに宿題も終えずに起きたのが6時半で頭もぼーっとしてるしお休みの連絡を入れておいた。

ワインの講習の時も思ったが、私の場合週に一回というレッスンはしんどいのかも。だって一週間ってあっという間ですもの。それか情熱がないのか。

来週からは教室でレッスンなのでまだモチベーションは上がるかもしれない、、、と思おうとしている。


そいでですね。
レッスンお休みしたので何しようかと思って、この間のお茶のお稽古の時に「日日是好日」の映画の話題が出てきて、その流れで「万引き家族」の方が面白かったという話を聞いたので、Amazonプライムで視聴したのです。


普段映画とか疎いものの、話題になった映画ということは聞いていたので、気になってはいたのですな。

それでぼーっとした頭で見たんだけども。


そもそも「万引き家族」良かったと聞いた時に、「でもわざわざこんな日本の底辺を描かなくてもいいのにって皆さんおっしゃってたわねぇ」と聞いて、なんだかその言葉が引っかかっていた。
その人自身の真意ではないにしても、その、”底辺”という言葉が、その言葉を発した人の社会やものの捉え方を映し出している気がする。

映画は、一般的な(?)視点で捉えれば底辺の人々の生活なのだろう。
でも多くの人が感じたように、暖かさを感じる映画だったことは間違いはない。
家族がバラバラになってしまったクライマックスさえも、全てが愛のかたまりのような映画だった。
そして、幸せの匂いのする細かい演出。
羨ましくさえある。


樹木希林演じる”おばあちゃん”は懐かしさのあるおばあちゃんだ。
きっとみんな自分のおばあちゃんと重ねたことだろう。
おばあちゃんには嬉しい日も悲しいことがあった日も、何でもわかっちゃう。
それはちゃんと関わってるから。存在で関わってるから。

登場人物ひとりひとりとても魅力的で、万引き”家族”の構成員はある意味で理想的な心根の持ち主。

傷があって、トラウマがあって、寂しくて、だからこそ優しくて思いやりと良き方向に向かいたいという心のベクトルがみんな一緒。

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信代とおばあちゃんの会話で好きなやりとりは、

「自分で選んだ方が強いってこともあるじゃん」
「何が」
「何って、、絆?」
「あたしゃあんたを選んだんだよ」
「ふふふ」


「血が繋がってない方がいいってこともあるじゃん」
「余計な期待しないだけね」


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存在で関わるってのは、その人に対して嘘をつかない、素のままのじぶんで付き合うってことだと思う。
人間だから優しい嘘をつく時もあるけれど、でも嘘をついたことを認めてまた謝ればいい。
それは誠実さってことなのかも。

大人は、大体の大人は、子供に対して、あらゆる人に対して、自分に対して、嘘をついている。
幸せじゃないのに幸せって言ってみたり、あなたのためを思って言っているのよ、やっているのよ、と言ったり。

最後らへんのシーンで、祥太が「僕を置いて逃げようとしたの?」と聞いた時、「あぁ、した。その前に捕まってしまったけど」「そっか」「ごめんな」「うん」

ていう本音をちゃんと言える関係の、絆の深さに、そしてその関係の存在の対等さに、当たり前のことなのに簡単ではないという点で、尊さを感じた。


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そしてやっぱりこの映画を見て、これは映画だけど子どもの虐待や子どもの置かれる悲しい状況に、リアリティを感じざるをえなかった。

そして、昔から私の関心は、虐待されてる子どもも然りだけれどもその母親だ。

子どもを救いたいのならば、その母親をも救わなければならないと思う。


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こういう考えさせてくれる映画ってよろしいね。
しかも暖かい家族のモデルケースって感じで嫌な気分にならなかった。(私にとっては)


さーて蒸し暑いのでお風呂入ってさっぱりして寝ます。

明日は朝からシュニッツェル作るのだ。

ご機嫌よう。

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