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思考整理のための吐露

久しぶりの更新で、でもそろそろ書いておかないと整理ができないなと思うので記しておく。いつもそうだけど、これは自分のための日記ですんで。


◉悪夢
ループの夢を今年は2回もみた。あれは本当に怖かった。
仕事が忙しくて今年1回目の死にたい時期にみた夢。
夢の中でよからぬものの気配を感じて今寝ているベッドから起きて一階に降りようとするのだが、階段を降りる途中でぐにゃりと空間が曲がり気がついたらまたベッドで寝ているところからスタート。4回くらい繰り返してこれは夢の中で夢を見ているのだろうとわかって、わかったら余計に怖かった。目覚めようとしているのに目覚められない。そばで一緒に寝ているちいかわのぬいぐるみがどんどん大きくなったり、ようやく一階にたどり着いたかと思うと廊下が濡れてそれが光っていたりなんかして、あぁ私はまだ夢の中だ。。。と絶望した気分になった。どうやって起きたかと言うと、声を出したのだ。でも夢だし、体はまだ繋がっていない。ありったけの力を振り絞って唸るような声で、自分に叫んだ。起きろ、と。そしたらようやく現実に戻れた。夢もある意味では現実なので、身体のある世界とでも呼んでおこうか。
仕事の状況も落ち着き、まぁもう大丈夫だろうと思っていたのだが、1ヶ月前の母の骨折によりまたストレス負荷があったためだろう。またループの夢を見た。前回とは寝室の部屋も風景も変わっていたので、もちろんその寝ていた風景だった。また最初は夢の中で起きれたと思ったのに空間に吸い込まれるようにしてまた寝ているところからスタートする夢。数回でまたループの夢か、ともう慣れた心構えだったためかパニックにもならないですぐに起きれた。
分かりやすく、ループの夢ってのは逃れられない状況へのストレスなのだろうなと考察。わかってる、それを逃れられない、としているのは自分自身なのだと。

後はつい数日前の夢。これはループではないけれど、父、母、妹、妹の夫が出てきた。妹が何故か私に罰ゲームのような拷問を施そうとしている場面だった。でも別に縛られているわけではない。私は座って今から行われることに怯えているだけだった。しょうもないのだが、その罰ゲームとは大量の麺を私に食べさせるというものだった。そんなことをしたらお腹が苦しくて死んでしまう、そう怯えていた。そして妹が動いていたが母が笑いながら妹に指示していたのを私は本当に恐ろしくおぞましく悲しく感じていた。


◉母の骨折
母が5月10日に手首と恥骨を骨折した。親戚と祖母のお墓参りに行って帰ってきた玄関先で足を滑らせたのだった。ちょうど私の帰宅間近だったので帰った私は近くの病院に連れて行った。病院に着いたら歩けない状態だったから車椅子に座らせた。レントゲン・CTの診断で治るのに大体6週間だと言われた。入院しますか、に対して絶対に拒否の姿勢を示して、私も軽い気持ちで連れて帰った。最初は歩くのもままならなかったが、気合いですり足で歩きトイレまでの移動はすぐにできるようになった。しかし右手が使えないので他諸々はできない。別に料理くらいなんてことはなかった。食べやすい大きさにカットした料理、ベッドサイドに並べる。最初は久しぶりにキッチンが使えるので料理を楽しんだ。余物で作る自分の料理も美味しく食べていた。
何をどう表現したらいいのかわからない。何がストレスかなんていまだにわからない。
しかし改めて料理をしだすと、父も母も好き嫌いが激しいことが身にしみてわかった。二人とも魚はダメ、母は鶏が好きで父は鶏が嫌い。父は酸っぱいものが嫌いで母は好き。
それでも父の料理に関しては同じものを作っても嫌いなものでなければきちんと食べてくれるので苦労はしない。

母に至ってはあれが食べたいこれが食べたいこれはちょっと味が薄い濃い、もうちょっと丁寧にできないのかなぁ?とまるで姑。
挙句には美味しくなかった、と言って途中で残して捨てる。
不満げな態度をとると、頼んでもないのにそっちが勝手にしてるんでしょ!
もういいです、という。
ハラスメントの常套句。その後ごめんね。。なんて謝るもんだからDV旦那のようである。
書いてたら大したことない。あーあるよねー、ぐらいのもんであることも確か。
これによって昔がフラッシュバックするからより苦しいのだと思う。
4年前の骨折入院の時のこととか。祖母の元へ派遣されてた日々とか。

◉電車での母娘
そんな日々の中、電車であるシチュエーションに出会った。
お母さんと娘さん。ベビーカーに息子を乗せて不機嫌な顔の母親。娘は4歳くらい。泣いている。何か母親を困らせるようなことを言ったかやったのだろうなという雰囲気。母親は左手にベビーカー、右手に携帯で怖い顔で画面を見つめている。娘は泣いていて、母を見つめている。娘が母の手を掴もうとするのだが、母親はガン無視。空を掴む娘の小さな手。私は胸を痛めながら電車を降りたのだった。あの娘と私が重なった。あの親子がいつもそんなではない、ことを祈るばかり。

◉職場でも
ちょっと面倒だから端折るが、タイプ的には母と職場のボスは似ている。ボスはいい人ではある、わかってる。しかし私のようなタイプには危険でもある。期待に応えようとする実は断れない性格だから。
おそらく3月の忙しい時期も、それがあったから死にそうになっていたのだろう。同じタイプに苦しんでしまう、それが性なのだろうか。
今、母でこんなに辛いのにボスにまでやってらんねーよといつ爆発するかわからない。ちょっとしたことでイラッとする。そんな自分も嫌なのだった。
余裕がないとボスの相手はできない。

◉つまり
もう限界が来てるのかもしれない。前から薄々お分かりだと思うのだが、私は色々蓋をしてきてしまっていたようだ。4年前のあの時期から、改善されたように思える関係性や私の精神は、同じような状況になったら簡単に崩壊するような脆いものだったのだ。
いよいよ離れるしかないのかなと、その決断を迫るための今のこの出来事なのかなと思う。

◉自分のことだけ
自分勝手ではなく。自分のことさえちゃんとやってれば、余裕ができるのだと思う。今自分が死んでる。何もしたくない。強迫的にいつも大量に食べる母の料理を考えなくてはいけないのもしんどい、作っても吐くか捨てるかなのに。それが悲しいんだろうな。いろんな意味で。

◉安富先生
久しぶりに「生きる技法」を読んだ。言葉にできないハラッサーの気持ちを冷静で優しい文体で書かれているので読むだけでも救われた。再び。
自分の機嫌の主導権を自分に戻さなくてはいけない、自分のためにも周りのためにも、生きるためにも、と思わせてくれた。
そして安富先生は罪悪感についてもご自身の経験上よくわかってらっしゃるので、その点についても優しい。
思い切りは大切なのだが、でも少しずつ、そして自分のタイミングで。


◉限界
どこまで行ったら限界って言っていいのかな、と考えていた。
悪いものと比べたら俄然、さほど悪くはない状況である中、心はその人の器次第なのだから比べようがない、って自分で自分を慰めて褒める日々。
メンタルが弱いというわけではないと思う。そもそもそんな言い方もおかしなもんであるなと普段使ってた言葉を見直そうと思った。


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ちょっと記すだけで少しは軽くなるものなのだなと実感。
やっぱちょこちょこ記しておこう。
だってどうせ頭の中でぐるぐるしたって同じところに留まるだけだし、これも毒だしだな。今日の鍼灸で体の不調も良くなりますよーに。
少しずつ良いこと考えられるようにしていこ。
自分で鬱の治療してるって感じで。
こんなに落ちると思わなかった。でもこれは何かの啓示に違いないのだ。
少しずつ先のことを考えていこう。動かなければより悪くなりそうだ。これも経験から言えること。
はよ寝よ。

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